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どうも!、ブログの扱いにだいぶ慣れてきました、今日この頃です☆
今日は「自己実現」と「成功」ということについての考察です。 先日、日本の素晴らしい科学者の方々が同時にノーベル章を受賞され、ニュースで大きく取り上げられました。 その表彰式が昨日、スウェーデンのストックホルムで執り行なわれたとのことで、私はその放送を観て、「自己実現」と「成功」について考えてみました。 国語辞典で調べてみると、 「自己実現」 = 自分の目的、理想の実現に向けて努力し、成し遂げること。 「成功」 = 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。 まさに模範解答ですね。国語辞典を作った人はノーベル日本語賞受賞ですね。 実際のノーベル章を受賞された科学者の方々は、「自己実現」と「成功」を見事に果たしたと言えると思いますし、これで果たせていないとなれば、一体誰が達成できる言葉なのかと思ってしまいます。 しかし実際には、その真意は不明だと言わざるを得ないでしょう。 また先に弁明を致しますが、他者の栄誉に否定的な意見を持つということではなく、思想や哲学の観点で考えるということです。 受賞された科学者の皆さんが、このことに価値を感じなければ「自己実現」ではないと言えますし、世の中から賞賛されても、自分で自分は「成功した」と思うことが出来ないと思います。 この例の、実際のインタービューやコメントなどを拝見させていただくと、嬉しそうで誇らしい様子も伺えるのですが、ふとした拍子に冷静と言いますか、「そうでもないですよ」といった具合の反応をされていることがあったように思えます。 これは「謙虚」とか「美徳」といった観点で考えれば、「品位」ある大人の反応ということなのだと捉えることができますが、理屈や思想を取り入れて、ちょっと裏を返して考えれば、非常に奥が深い考察が出来るのです。 たしか有名な登山家の誰かの言葉で、こんな表現が残されています。 「頂上が知りたくて必死になって登ったが、そこには何もなかった。」 近からず遠からず、こんな具合のニュアンスだったと思います。 これは世の中の「流れ」と言いますか、「摂理」や「冥利」と言いますか、ホントに奥が深いなと感じます。 恐らく、非常に高く険しい山に登ったのだと思います。 登る決意をするまでの過程はこの際置いといて、とにかく決意したのです。 そして必死になって上ったのだと思います・・。 道中、幾度となく危険な目に遭い、この山に登ったことを後悔もしただろうと思います。 「頂上が観たい」、「頂上が知りたい」、という野望や情熱というような感情がそれを達成させるのです。 そして、達成した次の瞬間に悟るのです、「ここには何もなかった」と・・。 これはまさに天竺を目指して旅をしたが、実は観音様の手のひらの上だったという西遊記の結末そのものではありませんか! 「本能」のことを前回書かせていただいたので、生命の真意については、その回の記述を読んでいただきたいと思いますが、人間は、命を授かって物心がついてから、本能的に自己実現を追求します。 本能のままに結果が伴ってくればこの上ないでしょうが、実際には様々の困難や失敗、大小はあれど挫折もそれなりに経験します。 そして、自分が思い描いていた頂上、すなわち「成功」だと信じていた位置に辿り着くことが出来たとして、その後はどうでしょうか・・。 その瞬間に、運命的に人生が終焉すれば、絵に描いたような人生だと思います。 しかしながら、幸か不幸か、その先にも人生は長い道のりが待っているのです。 このことが、「ここには何もなかった」というその時の言葉であって、下山してからその登山家が誰かに話したのだと思います。「そこには何もなかったよ」と・・。 この例で言うと、「自己実現」を果たすために、険しい条件の目標を達成しようと試みるのですが、実際に達成してしまうと、「それほどでもないかな」ということになってしまうのです。 しかし、人々はそのことを「成功した」と賞賛してくれるでしょう。 それによって、「自分は成功したんだ」と思うことが出来れば最高ですが、「そうでもないか」と思えば、この先一体どうすればいいのでしょうか・・・。 このようなことは紀元前から言われていることで、現代ではニヒリズムとかと言うそうです。 自暴自棄とは違いますが、とにかく虚無感です。 何事に対しても虚しく思えてしまう感情ということでしょうか。 このことが行き過ぎると、精神衛生上好ましいことではありませんので、「光」と「影」ということで言えば、「光」を望むならば、「闇」を知らないといけないと思うので、敢えて難しくしてみました☆ ですので、「自己実現」とは自分がどのように感じるかが全てであって、「成功」とは、これまた曖昧で不安定な言葉で、要は、周囲の評価ということでしょうね。 ノーベル賞を受賞された方々は本当に素晴らしいと思います。 研究というものは、日々の地道な作業の繰り返しだと伺いますので、平凡な研究者の方よりも、何倍もの研鑽を重ねた結果ということだと思いますので、生半可なことではないと思います。 私的で勝手な意見ですが、科学は地球を救うと思いますし、宇宙を支配する可能性だってあると思います。 この調子で科学や文明が発展して、いつかスターウォーズの世界みたいなことになれば、宇宙の端っこと、その外側が見てみたいと、純粋に思います。 ワープとかブラックホールとか地球外知的生命体も、きっと新しい感性を刺激してくれるに違いありません。 ブラックホールにドングリを投げ入れてみたらどうなるか、夏休みの自由研究で発表したいですね☆ 最後に、ノーベル章受賞者の皆さん、日本と世界に新しい可能性をありがとうございました! これからも科学に情熱を与え続けてください!、という気持ちでいっぱいです☆ |
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2018年12月11日
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