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成功のヒントのつづきです・・。
では次は5、です。「確かな存在がある」ということです。 「存在」というと大袈裟な気がするかもしれませんが、これも非常に重要です。 「存在意義」という言葉がありますが、本当に「そもそも論」的な話ですよね。 辞書によると、 意義 = 値打ち、価値、意味、内容 ということでした。 存在の値打ちや価値、意味ということを表している言葉が「存在意義」ということです。 それを認めるか否かということは、そのものを否定するか肯定するかということで、有か無か、という理屈です。 確かな存在とは、まさにそのようなことであって、それが自分にあるか無いか、ということが、やはり「成功」ということにも、大きく影響してくるのだと考えることが出来ます。 家族や恋人、友人やペットでもいいですよね、自分にとって「確か」だと言い切れる存在があれば、もしかしたらそれだけで「成功」かもしれませんよ。 では6、についてです。「確かな未来が想像出来ること」です。 ここで、唐突ですが問題です。「未来」とはどのようなことでしょうか、分かり易く証明してみてください。 「・・・・・。」、そうですね、証明など絶対出来ませんよね。 相対性理論によって、時間の流れというものはこの時空において一つしか存在しないことが、理論上確立しているわけですので、それを覆すようなことをしないと「証明」とは言えないと思います。 なぜなら、時間の感じ方や、物体の相対性は認められますが、「未来」や「過去」ということについては、実際あって無いようなものなのです。 私たちには過去の記憶があります、なぜでしょうか・・・。 脳が通り過ぎた時間の事実を記録しているからでしょうか。 学説的にも常識的にもそのような答えで模範になるかと思いますが、それで過去があったという事実が証明されたことにはなりません。 なぜなら、私たちは過去には戻れないからです。 後にも先にも現在の時間の流れの連続ということしか、現在の人間の能力には図ることが出来ないのです。 未来についても同様のことが言えると思います。 スーパーコンピューターで、「何年後の地球」みたいなことが推測されていますが、あれはあくまでもシュミレーションであって、未来の証明ではありません。 確実性や根拠というありふれたことではなく、根源的な考え方をすれば、「今のための予測」ということでしょう。 温暖化や環境破壊によって、こうなるかもしれないので気をつけましょう、ということが言いたいのであれば、素晴らしいのですが、そのことで、未来を証明したなどと言われては困るのです。 楽しみにしていたゲームが、始めた瞬間にいきなり完全に攻略されていたらどうでしょうか・・。 全く面白くないですし、それが人生に起きたとすれば、相当におぞましいことだとも言えますよね? ですから、未来の証明などしなくていいですし、出来なくて当然です。 かなり理屈っぽくなってしまいましたが、理屈を楽しんでいただくということが、このブログの「存在意義」でもありますので、ご理解と暖かい傍観をよろしくお願いします。 話を戻しまして、矛盾するようですが、人間に証明能力はありませんが、勝手に想像することは自由です。 ですので、想像自体に価値があるとも言えます。 要は、今の創造力で未来が切り開ければ良いわけですから、「確かな未来」が現時点で想像出来ていれば、「成功」にグッと近づくはずです。 そして裏を返せば、もし想像出来なければ、後にも先にも自分にとっての、「相応程度な時間の経過」だけが待っているということです。 では7、に参ります。「今後の人生に選択の余地があること」です。 「選択の余地」ということを考えると、「職業の選択」という問題が過去にあったことを思い出します。 「職業」ということは、人生や生活、自己実現といった具合の観点で、最も重要なファクターです。 何にもしないで立派になれば、それはそれでいいかもしれません。 しかしサウナと一緒で、我慢したり困難から開放されたりすることで、人間は喜びや達成感を大いに感じます。 負や忍耐の反動があればこその「価値」ということでしょうか。 ですので、何にもしないで気ままに過ごしていても、一見楽で理想的な生き方に見えますが、長い人生をトータルで考えれば、やはり職業や生計をそれなりの労苦を持って継続した方が健全であり、好ましい状態だと考えることが出来るかと思います。 それで、まずは職業が必要だと考えて、それが選択できるということの、「利」や「福」、あるいは「徳」とはどのようなことでしょうか。 極論を申し上げれば、アフリカで貧困に困窮している人々に選択の余地は限りなく少ないと言えます。 食料を国際機関から援助されなければ、生命の継続すら危ういのです。 そこに、学校や職業訓練の施設、情報インフラ、趣味や教養といった選択の余地があればどうでしょうか・・。 そうですね、実際にそのような活動が認められているように、選択の余地ということは、人間にとって非常に重要な考え方だと言っていいと思います。 ですから、必然的に「成功」には、「選択の余地」も入り込んできて然りなのです。 補足ですが、現在の日本には選択の余地がありすぎて決断できない、ということもあるかもしれませんね。 では8、です。「認められたいと願う人から認められていること」です。 やはり、人間には「願い」や「思い」が重要です。 孤独では成り立たない、と先程お伝えしましたが、支えあっていたり、認め合っている、そんな相手が必要になる今日この頃です。 ですので、認められたいという欲求は、真に自然で、「美しいこと」だと言ってもいいでしょう。 そのために、「善」や「正義」を果たすならば、誰にも咎めることは出来ないはずです。 価値観や考え方に、対立や抗争はつき物ですから、行き過ぎは災いになってしまいますが、均衡が保たれているうちには、大いに「善」や「正義」を主張するべきではないかとも考えられます。 「認められたい存在から認められる」、これほどの快楽は滅多に経験できないのではないでしょうか。 認められなくてもいい存在から認められても、それほどまでには嬉しくはないものです。 社交辞令や、外面美人を装うことに辟易している人も多いのではないでしょうか。 そんな退屈な心理を働かせることはひとまず置いといて、「成功」の条件、認められたい×認められたい=認められる、こんな方程式があればいいのではないかと思います。 次は9、「自分自身で成功したと思えること」これも非常に重要です。 満足や充実は自分ですることだと言えます。 他者から補填することなどありえませんし、そこに価値はありません。 結局は自分の問題は自分のものでしかないのです。 良い事も悪い事も、すべからく自己責任であって、行動するかどうかは分かりませんが、思うことや望むことは現行では法の下においても際限なく自由です。 ですので、自分で自分が成功者だと心の底から思うことば出来れば、社会や他者の評価など関係ないとも言えます。そんな状態を、「自己満足」というのでしょうけど・・。 まあ、それと同様か、それに近いことにもなりますが、やはり、最後は自分で締める必要があるのでしょう。 人生の終焉がやってきたとして、「自分の人生は成功だったか?」と、自分に説いたときに、YESであれば最高ですし、もしもNOであれば、死んでも死に切れないかもしれませんね・・。 最期には、「自分は成功したんだぞ!」と言い切ることが出来るようにお互い頑張りましょー!! 最後の10、「自分の子孫を健全に残していること」です。 「本能」と、このブログでも何度か書かせていただいていますが、「生きる意味」の回を見ていただけたらと思います。 やはり人間も動物です。動物界の生存競争は優秀な子孫を健全に残すための手段と言っていいと思います。 動物が激しい生命の営みを繰り返す理由、それは「子孫を残す」ということに尽きると思います。 ですので、人間も同じことは言えるのです。 「成功」、「幸せ」、「豊かさ」、これらに「子供」というファクターを入れたり除いたりして考えてみてください。 その結末が、あなたにとっての「運命」とも言えるかもしれません。 「自分は動物ではない!」、と言い切られてしまえば身も蓋もありませんが、私はまだ自分が動物の域でいいのでは?、と考えていますので、そのへんの賛否のコメントもお待ちしております。 子供が生めない、その機会を逃した、という方が「成功」出来ないかと言えばそんなことはありません。 その他の項目を充実させればいいわけですし、それも「運命」や「使命」と考えれば、「勇気」も沸いてくる気がいたします。 それに、医学と科学の進歩によって、従来の妊娠では考えられなかった手段が、徐々にではありますが、優秀な研究者のお陰で開発されていますので、倫理の問題に抵抗がなければ、今後の文明の発展と共に、様々の可能性が開かれて来ることでしょう。 話をまとめますと、自分の子孫を健全に生み育てることが出来たならば、私の理論と理屈からしても、人生の50%は「成功」したと言っていいと思います。 かなり長くなってしまいましたが、この書き込みが誰かの「成功のヒント」となっていただけたら幸いです。 私もこの項目が達成出来るように、今日も地道に頑張っていたりいなかったりしています☆おしまい |
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2018年12月14日
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