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これから毎日これまでの記事を再アップしていきますっ☆どうぞ良かったらコメントくださいませっ☆
では私がこのブログを始めてから初めて投稿した記事からですっ☆
ではどうぞっ☆↓
どうも!、初めてブログというものを始めますので、若干ドキドキしております。
改めて思うことですが、現在の文明ってすごいですよね。 電気が本格的に普及してから、おそらく200年も経っていないと思いますが、今ではとんでもないことになってますね。これから更に200年経ったら、人類は火星に住んでいるかもしれませんねっ☆ では、タイトルの「幸せとは何でしょうか」について書いてみたいと思います。 プロフィールをみていただけたらと思いますが、私は思想家ということで、この活動に参加しております。 「思想」 = 「人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。」(ウィキペディア参照) ということですが、分かり易く言えば、思考と感情を合わせたようなものです。 人間にとって思考と感情は、存在そのものであると言ってもいいと思います。 それをなくしてしまったら、サイボーグかロボット、或いは単細胞生物くらいになってしまいます。 ですので、私は思想家と言っても、これについてちょっと詳しくなりたいと思っているぐらいのもので、職業「思想家」となるには、相応の蓋然性(がいぜんせい)がないとNGです。 ですので、勝手に思想家と名乗ってしまいます。 ですが、ちょっと考えていただきたいことは、哲学や思想といった類のことは、昔から言われていることですが、自我がある人間にとっては、自然なことであって、このことについて詳しくなりたいと思うかどうかの違いだけでして、私のように、偏差値50以下くらいの人で、取り立てて何の特技も無い人でも、思想家や哲学者になることはできると思うのです。 例えば、この文章のタイトルになっていますが、「幸せとは・・・」、について考えない人は少ないと思います。 なぜなら、人は幸せになるために様々な苦労が強いられる訳であって、このことに考えが無いという人は、無駄な苦労をしてしまっているということになりますので、おおよその確度で、その人なりの幸せは、各々が持ち合わせていると思うのです。 ですので、ある程度のパターンや法則があれば、その人はそのことについては思想家であり、哲学者なのです。 要は、社会的にその肩書きを名乗りたいか、そうではないか、という違いなだけです。 理屈っぽくなってしまいましたが、実は、私の狙いは、この「理屈」という思想を展開するということです。 「理屈っぽい人は嫌い!」と言われてしまいそうですが、それはそれで仕方がないかと思います。 「蓼食う虫も好き好き」という言葉があるように、個々の考え方は自由が原則です。 ですので、このことに共感していただける人のみが、楽しんでいただけるのだと思っております。 話がそれてしまった感がありますが、とにかく私は「思想家」になりたいですし、そう呼ばれるように活動をしていきたいと思っています。 そのことで、「誰か」や、「何か」に新たな価値が生まれれば、それが私の価値ということになるでしょう。 世の中というものは、それで全てが成り立っています。 よく言う、「ギブ&テイク」というやつですね。 持ちつ持たれつ、お互い様のバランスが保たれている、という蓋然性が認められるといった具合でしょうか。 まあこんな調子で、今日から文章をアップしていきたいと考えております。 では、改めて本題です。 「幸せとはなんでしょうか・・・?」と聞かれたら、あなたはどう答えますか? 1、お金 2、結婚 3、子供 4、家族 5、趣味教養 6、、健康 7、自己啓発 8、生きることそのもの 9、神様の恵み 10、信仰 ・・・、といった具合のことでだいたい網羅していると思います。 では、現実的に1、のお金が無くとも、6、の健康があれば幸せでしょうか・・・? そうですね、さっきの説明のとおり、そう考える人はそうでしょうし、そうでない人はそうではないということです。 価値観が多様化していると言われますが、まさにこうゆうことですよね。 健康が一番と考える人は6、で最もだと思いますし、お金の人は1、で結構だと思われます。 なぜなら、それくらい「幸せ」なんていう概念は安定していないのです。 「幸せになりたい」、「幸せになれない」などと嘆いている人がいれば、その人には恐らく幸せは訪れないでしょう。 なぜなら、幸せになれるかどうかなんて、非常に曖昧で、なんでもないことなのです。 誤解を払拭するために前置きしますが、「幸せになる必要がない」とか、「幸せに意味はない」ということではなく、形や結果が伴わないということです。 考えても見てください。 これだけ、多様な人間が存在しているわけですから、その結末も非常に多様なのです。 もっと言うと、一旦幸せになれたとしても、直ぐに幸せでなくなる可能性も相当程度認められます。 幸せから一気に不幸になることだって、十分に考えられるのです。 ですので、ここで申し上げたいことは、そんなに肩の力を入れて考えなくてもいいということです。 あくまでも、そうゆう結果であって、その時になってみないと絶対に分からないことですし、安定も確度もないということです。 ですから、「幸せになりたい」と思うことまでは、非常に素直で美しい心構えだと考えられますが、それで、結果に拘ったり、他人と比べたり、安定や確度を求めることはナンセンスだということです。 ある方向性を決めて、それに向かって突き進む、ということぐらいしか人間にはできないのです。 あとは、残酷なようですが、運命や摂理といった具合のことに任せるしかありません。 世の中に保障が成されている事など、一切有り得ないと考えた方がクールでしょう。 要は、この事実を受け入れても尚、頑張れるか否かがターニングポイントでしょうね。 だいぶ偉そうになってしまいましたが、私の思想というものは、「こうゆうことでどうでしょうか?」、という一種の投げかけですね。 これを楽しんでいただければ嬉しいです☆おしまい |
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2018年12月08日
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