思想家 清水竜志のブログっ☆

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こんにちわ〜っ☆、今日も快晴で最高の天候という具合ですっ☆(ちょっと風が強くて冷たいですっ)

さて、親愛なる「ふぁんとっくさん」よりリクエストいただきました、「なぜ人間は自殺するのか?」というテーマについて、思想家的考察をしてみたいと思います。

まず「自殺」という概念についてですが、単に「自分の生命を自分で絶つ」、ということもそうですが、それとその本質は「自己を否定する」、という要素で考えられると思います。

感情の論理で言えば、人生に絶望する、生きることに未練がなくなる、生きる意味を完全に見失う、精神の崩壊、情動的激情的な現実逃避、みたいなことになるかと思います。

細かく言えば、もっと多くの理由が挙げられると思いますが、シンプルに考えれば、「自己を否定する」、ということで、理屈の筋が決着すると思います。(何事もシンプルに考えたほうが分かり易いので・・)

では、自己を否定する・・、この概要の狙いとはそもそもどうゆうことなのでしょうか・・・?

例のように国語辞典で調べてみると、否定 = そうではないと打ち消すこと、非として認めないこと、偽りであるとすること、ということです。

つまり自分を認めない、自分が偽りである、自分ではないと打ち消す、こうゆうことが、「自己を否定する」、ということの概要だと考えられます。

ちょっとお時間を頂戴して、純粋に想像していただきたいのですが、自分を認めない・・・、これに対して真剣になってみてください・・。

・・・、どうですか?、これでかなり自殺する人の心理に近づけたのではないかと思うのです・・。

ここでちょっと弁明したいのですが、私は自殺を扇動しているわけではなく、単に、「なぜ自殺という行為が成り立つのか?」、ということを解明しようとしているだけですので、決して怪しいものではない、ということだけ、この段階でお伝えしたいと思いました。

しかし、現在の日本において、年間3万人以上の自殺者が統計されている、という事実を真摯に考えてみると、こうゆうことも、身近にちゃんと考えなければならない、という段階には来ていると思います。

と、いうこともさることながら、本題に戻りますと、自分を認めない・・、これは本当に恐ろしいことです。

想像に容易いかと思いますが、誰しもが「幸せ」や「成功」、というものに憧れます。

せっかくの「人生」や「命」ですから、できればその本分を全うしたい、誰かと幸せになりたい、自己実現を果たしたい、こうゆう欲求はごく自然なことで、ある種の本能とも言えるかと思います。

しかし事実として、自殺者という方々が存在するように、そうゆう欲求があるにも関わらず、自殺という手段や行為に興味を持ってしまい、実際に成功させてしまう・・、こうゆうことが起きていることが現実であり、また真実であります。

それについて、「なぜ?」という気持ちが先行するのであれば、その人にとってのいわゆる、「死」というものに対する価値観や考え方というようなものは、比較的健全であり、また正常なことだと考えられます。

ですが逆説的に、「その裏を取る」という意味でも、「自殺する人の気持ちになる」、というようなことは、さらなる心理の発展には不可欠の行為であり、人類には知的発展が今後の文明社会にも大いに期待されるわけですから、感情や心理のトレーニングや成長、こうゆう観点からも、このことは好ましいことかとも考えられます。

なので今回のテーマであります、「なぜ人間は自殺するのか?」ということについて私が考えて、このブログに投稿させていただきた価値や意義とは、この真実を受け止めたうえで、「あなたはどう生きますか?」、みたいなことだと思います。

私の考えでは、「死」というものは自然と訪れるもので、進んで自分から望むものではない、と考えています。

ですから、その法則を素直を受け止めて、自殺したくなるほどの失敗や挫折、という考え方はできるものの、実際にはそれを図らず、自分の中での概念を認めない、ということでしょうか・・。

ちょっと理屈っぽ過ぎて分かり辛いかとも思いますので、現実的な話で進行させていただきますと、「なぜ人間は自分を否定するのか?」、という問いに対する答えが、今回のテーマのミソとなるはずです。

積極的に結論から申しますと、「頭が良くなり過ぎた」ということが、一番取り掛かりやすい考え方です。

ご存知の通り、人間とは人間である前に「動物」です。

これは、相応の本能や感情が備わっているという証拠でもあります。

動物は自分で自分の命を投げ打つような真似は致しません。

なぜなら、「生きるため生まれてきた」からです。

「生きる」とは、「永らえること」が前提で、どこかに集中するポイントを絞って、そのために訓練や準備をする、といったことと相反した関係にあります。

しかし、生物界の掟では、「子孫を残す」、というポイントに絞って永らえる、ということが成り立っています。

これは、生きることそのものよりも、子孫を残すために生きている、と言えることであって、自分の命<子孫、という方程式が成り立ちます。

ですので、人間という存在を考える以前に、「生物は子孫を残す」、ということを命題にして「永らえている」、ということが言えるかと思います。

これを応用して考えると、単に「自己の生命の維持」、ということから派生して、「いかに子孫を残すか」、そのためにいかに有利に事を進めるか、いかに自分が優位な存在になるか、みたいなことになるわけです。

それが自己実現ということで言い換えられるとすれば、それを否定する、ということは、すわなち自分の存在を認めない・・、そこから、「自殺」みたいな事象に発展していくのだと考えられます。

このように、人間とは非常に戦略的で打算的な生き物ですから、その対価と代償の論理で、そもそもの命題すらも、思考や理性でコントロールする、つまり自分で自分を否定できてしまう、それくらいまでの境地に達した、進化や発展がそれを可能にさせて、生物の規則までも、知能や思考が統治している、というようなことだと思うのです。

事業で失敗して絶望の後に自殺、愛する人に見捨てられて自殺、生きる意味がなくなって自殺、真に悲しいことですが、今や巷に溢れ返っている話題ですので、そこまでタブー視されない、という事実を基の話を進行させて参りますと、要は、そうゆうことが連鎖的、連続的に想像されれば、自分は自己実現が達成できない→子孫を残せない→幸せになれない、みたいな事になって、「絶望」ということになるかと思うのです。

ややもすると安直な考えではありますが、もしそのことを理屈で理解していれば、少なからず、その実行を踏みとどまられることもできるのでは、とも私は考えています。

なぜなら、私にも似たような経験があるからです・・。

先程、「頭が良くなりすぎた」、という表現を使いましたが、これはまさに諸刃の刃、良くも悪くも人間という生き物は、歴史的に見ても、進化の論理を謳歌してしまっているということです。

生態系、つまり環境や文明のことですが、その発展と同時に人間自身も成長と進化を果たした、この本質は、身体的、能力的な発展ということよりも、知的発展ということが重視されると思うのです。

現に、チンパンジーと人間とのDNAの違いは1%だけというのに、人間は地球を支配して、チンパンジーは支配される側と言えます。

その差とは何か、要は、知恵や知的な能力の差だったと言えるでしょう。

ですが、相対的にチンパンジーは自殺することはありません・・。

ということで、これが今回のテーマの答えとなると思うのですが、皆さんはどのように感じていただけましたか??

願わくば、今回のテーマに皆さんの今後の人生が一切の関わりの無いように、この辺で終了したいと思います。

親愛なる「ふぁんとっく」さん、いかがでしたか??、ではコメント待ってますね〜っ☆

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清水竜志
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