|
こんにちわっ☆
この頃は天気が悪い日が多く、気分も優れない感じですが、人間とはそんなものかな、というぐらいの塩梅ですっ☆ 勝手な感情を抱き、自分本位に物事を捉え、都合が良ければ気分が優れ、そうでなければその逆に・・。 人間とは、「真に適当な生き物だなぁ〜・・・」っと感慨を深め、そしてこのようにブログを更新する、何とも面白い動物であります・・(笑)。 ・・面白い動物といえば、私はアルマジロがおススメですっ☆ なぜかというと、指したる理由はありませんっ(笑)。 なぜなら、何やら、あの不恰好と行動が面白い、としか言えないからですっ☆ しかし彼らにすれば、かなり一生懸命なはずです。 日々危険と隣り合わせの生活で、さらに種としての競争を強いられているわけですから、あの不恰好さにも相応の理由や意味があり、そして価値のある含蓄が、そこかしこにあるように思うのです。 ただ、それについて確かなことは、アルマジロさんからすれば、そんなふうに考えていないと思います。 無意識の中の意識、本質の中の真理、みたいなことで、端的に言えば本能みたいなことですが、自分がアルマジロだなんて知る由もなく、勝手に人間がそうゆう生物だ、としているに過ぎません。 いつしかアルマジロが能力を身につけ、地球上の支配の座を、人間にとって代われば、その立場は逆転し、面白いことになりそうですねっ☆ まぁそのころには、彼ら不恰好な姿や行動ではないと思いますけどねっ☆(笑) さて、今回のテーマは「バチ」という曖昧なものについての考察ですっ!? バチ当たり、感じで書くと「罰当たり」ですが、罪(つみ)、という意味と裏腹なのは、みなさんご存知の通りですっ。 例えば、神様仏様に対する無礼な行いや、社会の良俗に反する行為など、そうゆうものに対する制裁、↑罪と罰、というようなことですが、そもそも「罰」とはどのような了見なのでしょうか?? 以前のTV番組で、「なぜ人を殺してはいけないのか?」、みたいなことをやっていましたが、それについての説得力のある解説が無かった、というのを憶えています。 なぜ人間は動物を殺すのに、人間は殺してはいけないのか?、かいつまんで言えば、こうゆうことだと思いますが、「罰」、というのを考えると、こうゆうことに辿り着く必然性がありそうに思うのです。 単に、良識の範囲でその問いに答えるならば、社会という構造や性質上、担保や信用の下に全てがあるわけなので、その法則に従えないものは社会に参加する資格がない、ということで、人に迷惑を掛ける、という行為事態がNG、という答えになるかと思います。 要は矛盾はありえない、という要件からでしょう・・。 しかし極論といいますか、生物や生死ということを考えた時には、その域内ではないか?、あるいはそれを超越した理由が発生するのも、人間の妙と言うか、伺いしえない超状的な感覚ともなり得そうとも思います。 時に人は、普段の感覚ではありえないような、スーパーパワーみたいのを発揮することがあります。 超難技をする超人、みたいな人は、もはやそれに値するかもしれません。 先般の繁華街での連続殺傷事件のようなことも、ある種のスーパーパワーではなかろうか?とも思います。 現にバチを受けるか否か、みたいになっていはずなので、やはりこのテーマに則した例だとも言えそうです。 冷静に考えれば、あれだけの行動に走る動機もさることながら、その覚悟や決意、というものは、常軌を逸していて、まさにそうゆうことだと思うのです。 是か非かといえば、明らかに非であり、スーパーか否かと言えば、そんなレベルの話ではない!、と弾劾されそうです。 ・・と、ここまで発展させるのもどうかと思いますが、「バチが当る」、というのは、その良識の域を超えるか否か、ある種の観念形態、「良し」とすれば良識であって、「常」とすれば常識、伝統などとなれば「慣わし」や「慣習」、という具合になろうかと思います。 なので、「バチが当る」とは、その行為とその結末から換算した教えであって、人間を種として見たときには、矛盾こそが社会や文化の敵、とも言えそうです。 現代の日本や世界の趨勢とは矛盾の世とも言えそうですが、それでは常か良か、そんなことは立場によって違うのか?、あるいは答えが無いのが答えか?、なんとも迷宮的なグレーな部分ですねっ。 ・・そんな考察を楽しむでもなく、日々の暮らしの一部として取り入れる・・、哀愁とも言えそうな、曇りだか天気だか分からない、そんなそんなの日常なのでした・・。(汗) バチがあたるといいますが・・、それって一体なんでしょう・・?? よかったら考えてみてくださいねっ☆(笑)、ではでは・・っ☆ |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2019年02月16日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




