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こんばんわっ☆
今日は短めに更新してみよーと思いますっ☆ なぜなら、きっと皆さんは忙しい生活を送っているはずなので、あまり読む時間が取れないと思ったためですっ☆ 理屈大好きっ子な私としては、長々と孤独を楽しみながら記事を書いていたい、という衝動があることも否めず、という具合なので、いつも長めになってしまいますっ☆(笑) なので今日は、そうゆう志向にも適ったテーマ、「普通」という概念を「幸せ」という要素で考えてみたいと存じますっ☆ まず、普通について調べてみましたら・・、 普通 = 特に変わっていないこと、ごく有り触れたもの、それが当たり前であること、ということです。 ↑、かなり模範的な表現に辿り着くことができましたっ☆、国語辞典、様様ですねっ☆(笑) ・・その「普通という概念の幸せ」か、「幸せの中でも普通のもの」か、ということがネックになろうかと思いますが、今回私が表したいことは前者、「普通という概念の幸せ」、という内容です。 何のことか分かり辛いかと思いますので、分かりやすく説明いたしますと、「取り立てて意識することが無い状態」や、「苦も無く楽も無く」みたいな、「平々凡々」、という具合の福利ということです。 この殺伐とした世の中ですので、私も含め皆さんも少なからず相応の苦難の経験があることと思いますので、理解に容易だと思いますが、仕事に忙殺されていたり、あまりに理不尽な出来事が重なったり、自己実現とは程遠い、みたいなことってあると思うのです。 そんな折にふと思うことは、「何にもしないをしたい」、とか、「楽になりたい」、「何も考えたくない」、みたいな風になろうかと思うのです・・。 ですので、今回のテーマ、私の言う「普通の幸せ」とは、そうゆう状態を望む姿勢では無かろうか?、ということです。 何にも尖ったところがない日常とは、実は大変に豊かなことではないのか?、みたいなことで、私の人生のテーマ、「退屈しない」、ということには相反することにも思いますが、いたずらに喧騒に忙殺されていては、それ以上に不幸感を感じてしまうために、「普通」すらも幸せに感じてしまう、そうゆうことだと思ったのです。 ・・なので、「平凡で穏やかな日常の良さ」、みたいなことを再認識することも乙なものではないか?、みたいなことで、しめくくりたいと思います。 「普通の幸せ」、「幸せは普通」、どちらでも大丈夫ですが、もしその辺についての考えがあれば、コメントお願いしますっ☆ (狙いどおり短く終わりましたが、このくらいのボリュームなら忙しくとも面倒にならないのでは?と思う、2009年の21日目、でしたっ☆) |
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2019年02月09日
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