思想家 清水竜志のブログっ☆

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こんばんわっ☆
今日は副題なしで、ストレートな記事にいたしますっ☆
と申しますのも、このテーマはかなり重要で、ごまかしの利かないのテーマだからですっ☆

このリクエストは親愛なるレイアさんよりいただきましたので、「匿名性が保たれている」という前提での記事、つまり非常にセンシティブな内容ですので、レイアさんをはじめ、ご覧になる皆さんにもあらかじめご理解いただいたいと思いますっ。

ということで、まず「夢」について考えなくてはなりません。

夢 = 1、将来実現させたいと思っている事柄、 2、現実からはなれた空想や楽しい考え、3、心の迷い、4、 はかないこと、5、たよりにならないこと、6、睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。(※Yahoo!辞書 大辞泉参照っ☆)

ということですが、通常使われる「夢」の意味ですが、「1、将来実現させたいと思っている事柄」、という意味で用途されていると思うのです。

ですが、一連の意味を解釈してみると、大変矛盾する言葉でもあるように思います。

1、と5、たよりにならないこと、では、その用途の意味に大変な差、「差」というよりは、「矛盾」や「逆行」、と言うほうが正しいでしょう。

ですから、自身の人生を「大成させたい」、「幸せになりたい」と、本気で願うのなら、世の中の「矛盾を受け入れる用意」がなければならない、ということなのでしょう。

光と影、有と無、0と1、という具合に、形があれば、またその逆も有り得る、要は、「矛盾あっての今」、ということをしかと受け入れるべき、ということです。

このことを真に理解したときには、「夢」という言葉の意図と、真の用途について理解が捗ると思うのです。

かいつまんで言えば、夢とは、それほど何かの「足し」や「アテ」になる言葉ではなく、どちらかと言うと、大変無責任で曖昧な言葉、ということなのです。

ですから、「夢!夢!」と連発している人がいたら要注意です。

聞いている方からすれば、「無責任な人だな、この人は信用できない。」となるわけです。

唯一そのことに責任を取るとするならば、身を持って体現した人のみが連発してよい言葉と言えるでしょう。

「金メダルを取ることが夢でした。」←、これは金メダリストのみが使用できる言葉なのです。

・・ですが、それでは本来使われているメジャーな意味、「1、についての裏づけが取れていないではないか!」、とお叱りを受けそうですが、それについても答えを持っているのが私の良いところで、思想家と自分で言って楽しめている点だと思います。(笑)

「夢」というものは、あくまでも叶わない前提のもの、ということが答えです。

夢を見ている間は「夢」、として存在しますが、いざ実際に叶ってしまったら、その瞬間に「夢」ではなく、「現実の日常」となってしまうのです。

ですから、金メダルを取るのが夢でした、・・で、次の夢は何ですか、・・・、プラチナメダルです。とはならないからです。

物事には必然的に限界があり、また制約もあります。

ですので、今、夢と思うことを叶えたとしても、それでゴールかと言えばそれは違うのです。

なぜなら、時間は流れていますので、今の連続ですから、一時間毎に、夢夢夢夢夢・・・・・、となれば話は別ですが、それについていちいち価値を求めていられない、というのが人間の心情というものでしょう。

なので、「夢」というのは、理屈上は叶わないほうが良いのです。

叶え続ける人がいれば真に結構なのですが、断続的には理屈上可能ですが、連続的には無理なのです。

ですから、「幸せになり続ける」、というのはおかしい原理なのです。

ですが、人間というのは、退屈と孤独を最も恐れていますので、夢を見ることを止めません。

だからこうして問題や議題になるのですが、真理は非常にシンプルです。

なぜなら、「ゴールがないのがゴール」、ということなのです。

答えを求めても、幾ら多くを望んでも、その時の答えなど、諸行は無常ですから、時間の経過と環境の変化と共に自然に移り変わっていくのです。

金メダル、プラチナメダル、ロジウムメダル、カルホルニウム252メダル・・・、一体どこまでいけば気が済むのでしょうか・・??

ですので通常なら、「夢とは儚いもの」、というニュアンスでよく、ようはプロセス自体を結果だと思えることが重要です。

ですから、私は相対性理論を推奨しているのです。

時間の法則や原理というのは絶対であり、また万物がある以上は相対性は失われません。

なぜ重さがあるのか、それは「そこの何かがある」、という概念を人間が認識しているためです。

ハムスターは「重さ」、という概念すら認識がないのです。

要は人間社会なわけですから、人間の認識が全ての中心なのです。

分かり易く言えば、「自分の答え」、というものは、常に疑っているぐらいで丁度よく、「今の」答え、とドライかつクールに考える方が、精神衛生上、合理的なのです。

では、人間とは不幸になる生き物なのか?と問われれば、それも違います。

先程も指摘させていただいたとおり、幸せになるか不幸になるかは、大変曖昧であり、相対的かつ、考え方捉え方次第の、自由で無責任なものということでしょう。

結論からすれば、幸せと思えれば幸せであり、不幸と思えば不幸、そして万物は無常ですから、「刹那的なものである」、という前提もセットでついてまわります。

その「刹那」、という言葉の意図が「今」、ということの真相です。

優しく言えば、夢を叶えたから幸せになれるとは言えません。

お金持ちの成功者に安定剤が必要ないか?、と言われれば、「そんなことはない」、というのが世の常でしょう・・。

ですから、幸せの定義や形に真理などなく、あえて言うのなら、幸せを追求している最中、つまり人間の認識あたりで表現すれば、過程とされて考えられている「今」に答えがあるのです。

「今」とは過去であり未来です。そして絶対的な流れの中の、いわば「点」、なのです。

単に人間の記憶が過去がある、というイメージをしているに過ぎないのです。

ですから、子供や他者に「夢を叶えなさい」と言っている間が「幸せ」であり「夢の最中」なのです。

「夢をかなえよう!」と何かに向かっている「間」が、「夢を叶えている」もしくは「夢を感じている」、という事実になるでしょうっ。

たしか何度か紹介させていただいておりますが、アルピニストの野口健さんは言っておりました。

「険しい山の頂上に答えやゴールは無い、下山して安息が訪れたときに快楽や幸せが訪れるのだ」と・・。

ですから、頂上を目指している「間」が実は頂上であり、このテーマで比喩をするのなら、「夢」、ということでしょう。

繰り返しますが、誰かに「夢をかなえて欲しい」と願うのなら、その前に、「今」について理解を深めるほうが遥かに重要であり、もしその理屈が「自分の考えの理解に値しない」と判断されるのなら、実際に夢を一度叶えてみることをおススメいたします。

そして叶えてみると、その瞬間に夢は「現実」と「日常」に変わってしまい、「魔法」は「罠」となってしまうでしょう。

ですから、私はこれまでに「罠」を何度か経験しておりますので、みなさんには「罠」になってほしいとは思わないのです。

「罠」と思わないためにも、「夢」というものの「曖昧さ」を、今一度考え直してみるべきであり、そして、「今ある幸せ」をもっとしっかりと噛み締めるべきなのです。

という具合で、かなり哲学や思想の上級的な記事となってしまいましたが、もしも、この論理を理解できたなら、「幸せの真理」が理解できることと思います。

それと引き換えに、自分の存在の無意味さもセットでついてきてしまいますが、その「無意味さ」についても、実は答えを持っているのが私ですが、これはまたの機会に公開したいと思います。

キーワードだけお知らせいたしますと、キーワードは「宇宙」と「科学」です。

では、夢のあるコメントをお待ちしておりますねっ☆

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清水竜志
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