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こんばんわっ☆
昨日・一昨日と、哲学的には重要なテーマでしたので、今日は少し程度を下げた内容という具合で、できるだけ完結に記事を取りまとめたいと思いますっ☆ 「機会費用」、という言葉が最近話題になっているわけでもないですが、ちょっとしたビジネスのテーマになっているようにも思いますっ☆ ベンジャミン・フランクリンの 「Time is money」、日本語訳は「時は金なり」は、哲学的にも、大変有名な言い回しでありますっ☆ これは何をどのように感じるか?、ということを説いているようにも思うのです。 「時」と「お金」、ということですが、基本的にはどちらとも、有効かつ重要な概念です。 昨今においては、「お金」というものが無くては、経済活動が出来ませんし、生産的な行動が成り立ちません。 「時」という概念は、物事の移り変わりを表す上では、これ以上ない「感覚」というか「表現」です。 どんなに有難い見聞を説いたところで、「時」ということに確かなことはなく、現在の科学では、その規則性や連続性しか分かっておりません。 ですが、「お金」と「時」に対して、まぁ今回のテーマですが、信用と信頼、ということを当てはめて考えれば、時に関してはそのまんまですが、とかく、お金に関して考えれば、信用と信頼の概要ということの理解が進むと思うのです。 まず信用ですが、 信用 = 確かなものと信じて受け入れること、信頼できると判断すること、世間が与える評価、人や物事のもつ価値や評判、ということです。 では信頼とは、 信頼 = 信じて頼りにすること、頼りになると信じること、です。 信頼の方が、意味合いとしてはシンプルであり、こと人間に関してみれば、スムーズにその意図が把握できるように思います。 「頼る」ということは、自分の能力や領域を超えた何かを望んだ場合において、他者やその他の領域の裁量を「アテにする」、ということです。 かいつまんで言えば、「アテに出来ることを信じる」ということで、厳しく言えば、「寄生」や「利用」ということで、優しく表現すれば、「助け合う」や「相互扶助」ということです。 信用の方は、辞書にはそのようにされていませんでしたが、字と意味からすれば、「信じて用いる」という、いわば「戦略」や「打算」が専攻した概念なのです。 ですから、物事の成果や結果を望む場合においては、「著しく優れた」、あるいは「突出した概要」を望む場合においては、やはり他人(自分以外の人間)はアテにしてはならず、社会や福祉というパラダイムもさることながら、オリンピックや競技に代表されるように、その競い合いに魅力を見出すというか、その「連鎖」や「複利」が喜びというか刺激というか、まぁ単にそれだけでもないですが、「ニュアンス」ということで言えば、自ずと「確かなこと」になろうかと思うのです。 ですので、「信頼」というのは、社会が社会たる所以でありまして、どこまでいっても結局はそれぞれは人間程度なのですから、「侘び寂びでいきましょうよっ☆」、というのが信頼で、信用というのは、「何かを果たす際のアテ」、つまり手段や方法ですが、あくまでもその突先にある「要素」だと思うのです。 分かりにくいかもしれませんので比喩表現を致しますと、「道具」を信頼し、パフォーマンスを信用するのは結構ですが、その際に用途した先の機能に裏切られれば、「信頼はしていたが、信用してはいけなかった」、となるわけです。 得てして、私が申しているのは、「対人間」のことですが、人間を道具として比喩するのは遺憾だ、という前提もそうですが、やはり雇用とか使用者とか言われている昨今ですから、「そうも言っていられない」、というのが現状です。 ですから、対人間に関しても、信用に値するのかしないのか?というのは、社会ということではなくて、単に物事を達成する際の概要や気概、要は裏切られて「是」でしたら問題ないのですが、そうもいっていられない状況って、やはり誰にでもあると思うのです。 ですから、信頼と信用の考え方と使い方如何が、実は結構色んなことの差異となって、長い人生においては、色々と問題もあるわけなのです。 ですから、人を信用するにはリスクを取る覚悟が必要で、「リスクがとれない」、というのであれば、信用するべきではない、となる具合なのです。 それはその時々において「時は金なり」ですから、余裕のある方は信用という概念を多用してもよかろうかと思うのですが、私のようは若輩者は、やはりリスクを取る範囲に問題がありますので、信用は安易にはできない、というのが常であり、寂しいことではありますが、やはり若輩者は聖人君子には程遠いと思うのです。 私はお店に行って飲食を致しますが、デート利用の際に、「望みどおりのパフォーマンス」をしてくれたら「信用」で、その後、結婚してから家族で利用しても「まだ利用したいと思う」のなら信頼、となるのだと思います。 ですから、人を信用できるか否かは、その求め次第であって、要は自分の感じ方なのでしょうけども、ファーストインプレッションで、相手からいきなり「あなたを信頼します」、と言われても、「逆に疑わしくなる」のは私だけではないはずです。 であるのなら、「信用してください、なぜなら文章で証拠を残しますから」、と言われて、ようやく信用となり、フェアとなるのではないでしょうか?? なので、冒頭の振りの答えですが、お金に対する「信用」とは1000円が1000円の価値を示す、ということで、「信頼」とは「このお金がこの国で使えるわ」、という感情の反応ということではなかろうかと言うことなのでしたっ☆ そして「時」という概念についてですが、時については科学的根拠がないので「信用」できるわけもなく、「信頼」に関しては、「自分が存在する上でそうせざるを得ない」、と言う具合の様式になることでしょう。 「時を信頼しない」とは、「現代は平成時代ではなく平安時代だ、だから私はマイナス1300歳だ!」。みたいなことで、「時を信用しない」とは、「時給で働いているが年俸で支給してくれ」、みたいなことなのです。 物事のカテゴリーがくっつくと分かりづらいかもしれませんが、要は人間社会なわけですから、対人間の価値観ということなのでしょうねっ☆ 人類は信頼するが、人間は信用しない、みたいなことですよねっ☆(笑) |
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