思想家 清水竜志のブログっ☆

今までありがとうございましたっ☆m(__)mまたどこかで会いましょうっ☆ヽ(^o^)丿

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おはようございますっ☆
おととい辺りは妙に暖かかったですが、昨日は風も強く、非常に寒かったように思いますっ☆

まぁ、季節の変わり目、ということなのでしょうけども、太陽の周りを地球が回っている以上は、致し方がないのですが、度を過ぎた暑さも寒さも我々にとっては脅威でもあり、刺激でもあり、あるいは恵みともなり、万物の営みとは、ある種の法則的な決まりごとがあるようにも思えますっ。

このことを論理的であれ感覚的であれ、ともかく優位だと感じることができれば、自分にとっての本分とは、すなわち成功、みたいに感じるわけですが、そうゆう大きなベクトルや決まりごとの内の仕事であれば、我事など、ほんの些細なことだろうと、悟りにも似た境地にたどり着くわけでして、俗に言う「無我」とはつまり、「安息の中で自分に自分がない」、ということなのでしょうけども、日本古来の考え方ですが、慎ましさや美徳、みたいな事とは、人間の関わり合いを、うまく妥結させるための呼吸、みたいなことなのでしょうねっ☆

・・・かなり年寄りじみた冒頭となりましたが、風呂上りのほんわか気分でブログを更新すると、なんとも歯切れの悪い文章に陥りやすいことにも気づき・・、とはいうものの、今回書きたいテーマは決まっておりましたので、その趣旨だけは譲るまい、とする、今日の夜明け前の事情なのですっ☆

さて本題ですが、「目からウロコが落ちる」と言いますが、この言葉を調べてみると、実は新約聖書から引用された言葉のようでして、勘違いをされて、日本語古来のことわざのように感じていた方も多いと思います。

その発祥や経緯もさることながら、世の中には「目からウロコが出るような物事」というのが、それなりの可能性で発生しているわけであります。

良いことも悪いことも含めて、私が思うには、全ては「気づき」や「発見」から始まるのだと思うのです。

「それなりの可能性」、というものがよく言われる「運命」とかとなるわけですが、現実の時間の流れというのは、絶対的に一つしかないわけですから、運命とは必然でもあり、自然でもあり、当然ということでもあります。

何度も書かせていただいておりますが、運命か必然か、なにがどうなのか、それ自体は、実は当人の問題である、というのが本当のところでありまして、近代では、各メディアや色んな団体は、社会とか国とか経済とか言っておりますが、つまるところ、それぞれの思い方感じ方次第なのであります。

ですから、目からウロコが出やすい人、出にくい人、気づく人、気づかない人、それぞれにおいて、色んなシチュエーションがあるわけでして、どれが良いやら悪いやら、全く検討がつかないのにも関わらず、付和雷同、右往左往、右顧左眄、一喜一憂するのが人間であります。

そうでもあるにも関わらず、何が成功で正義で立派なのか?、これについてスッパリと意見を言える人って、結構トンチンカンな人が多いのだと思うのです。

無責任と言いますか、図太いといいますか、社会に対して権威とされているような人ほど、実は、人間の汚い部分をよく知っているという節があるように思うのです。

相対的に優位に立つ、ということを命題にするのなら、トンチンカンでも白が黒でも結果に拘るという、冷徹さが最も求められますし、結果は要らないから、自尊心だけは守りたい、という方は、トンチンカンでない代わりに、肉体的相対的な労苦を世に求められたりするわけです。

どれを選ぶか、あるいは必然なのか自動的なのか、相対性理論で、その人の感じ方次第というのは、繰り返した論理ですけども、とにかく自分の行き方、というのは、考えれば考えただけ難しくなるのが常であります。

なので、「目からウロコが出る!」、とか言って、ギャグを開発してみたり、「目からウロコが出るくらいの発見をしよう!」と試みたりするわけでして、人間とは、全く動かないメトロノームのようなもので、そのままでは何の価値もなく、その針をどちらかに振ることで、「とりあえず動き出す」、という制約がついて回るようにも思うわけなのですっ☆

ここで一つ疑問が浮かびそうですけども、何故このような記事を書こうと思ったかと申しますと、なんとなく、ふいに言葉が浮かぶことってあると思うのです。

その作用の反動を利用して、「何をどこまで考えることができるのかな?」ということを試してみた次第なのですっ☆(笑)

きっと、こんな具合にさりげない色んな引き出しをもっていれば、万一宇宙の彼方へ吹き飛ばされても、死ぬまでには退屈しないような気がして、最近流行りの妄想とも違いますが、「人間は考える葦である」というように、「考える」、という行為は決してやめられないように思うのですっ☆

ですから、私は今日も色んなことを考える、ということだけは必然であり自然であり運命だとも思っていますっ☆

目からウロコが出るような閃き・・、死ぬまでにあと333回くらいはしたいですよねっ☆(笑)

ところで皆さんは、「考える葦」の意味って知っていますか??

葦とは、雑草や草の代名詞みたいなものらしく、弱さや慎ましさの代表ということで、人間とはそうゆう無意味さを持っているのだ、というメッセージみたいですよっ☆

それがこのように考えてしまうわけですから、いろいろと悩んでしまってもしょうがないですよねっ☆(笑)

では今日も一日、ウロコが出るか葦となるか、何かと試してみましょうねっ☆☆☆

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