思想家 清水竜志のブログっ☆

今までありがとうございましたっ☆m(__)mまたどこかで会いましょうっ☆ヽ(^o^)丿

過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2019年03月

← 2019年2月 | 2019年4月 →

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

平成最後の更新っ☆

皆さんこんにちわっ☆

このところずっと過去の記事をコピーして更新して参りましたが、今日は久しぶりに生の記事にしたいと思います。

・・さて、平成の時代も今日で終わりという事で、何やらやり残した事は無いかと思う人も少なくないのではないかと思う今日この頃ですが、私はこれまでの人生でやり残した事や後悔は無いと断言できます。

それは、何か事を起こす際には、必ず考えに考えてから行動に移すので、そういった事は少ない、という事なんだろうと思うのです。

終わり良ければ全て良し、ではないですが、とにかく「考える」という事、人間それに尽きるのではないでしょうか。

考える事はタダですし、考える生き物の人間は想像力で動いておりますから、未来を可能な限り想像してから行動する事、これが後悔をしない最大の戦略、手段なのだろうと思うのです。

しかしながら、失敗はしますよっ☆笑

後悔はしないのですが、失敗は挑戦の数に比例して起こります。

じゃあ、失敗しない方法を想像すればいいじゃないか、と思う所ですが、失敗をしない、リスクを取らない挑戦など、それは本当の挑戦ではないのですね〜。(たぶん)

後悔をしないために考え想像し、未来を創るためにリスクを取り挑戦する、これが成功者になるために必要な素養なのかもしれません。(やってからじゃないと分からない事は沢山あるのです笑)

はい、とゆー事で、平成最後の更新もこれでお終い。ちゃお

・・・とするのは何やらもったいない気がするので、少し今回は、思想家的に未来の事を書かせて頂こうかな、と思います。
と言っても何の未来の話なのかと言うと、やはり世界の話になりますかねぇ〜。

中国が大国として力を付けて来ている昨今の世界情勢の様相とか政治上の問題ですが、私が思うには、今後の人類の文明が発展すれば、それはどの国の民族が世界の経済の覇権を握ってもウエルカムではないか、という事です。

つまりは、我々人類が存在する意味は何か?という事なのです。

人間とは「万物の長」なのですよ。

万里の長城ではないですよ。笑

「万物の長」、早い話が人間より優れて発達した存在は宇宙のどの銀河を探してもないわけです。

であれば、生物の最大の本懐である、「増える」、「広がる」という事を、これからの未来はもっと高次元で達成するべきなのです。

まあ、早い話が宇宙進出を加速させる、という事なんですけど、私は全世界で戦争を今後一切行わないという条約を締結して、そして軍事に向けられる資源を全て宇宙開発に向けたらどうか?と思うのであります。

戦争ほど愚かで痛ましい事は他にはありません。

テロもそうです。

頭のイカれた輩が、人込みに向かって銃を乱射するとか、爆弾を仕掛けるとか、車で暴走するとか、ホント無いですよ。

人生は「冒険」でなくてはならない、と私は考えます。

なぜなら、これから生まれて来る未来の子供達には、子供だましのゲームではなくて、いよいよ本当の夢を与えなくてはならないと感じるからです。

なぜ生まれて来たのか?それは人生を謳歌し大冒険するためです。

なぜ学ばなくてはならないのか?それは冒険のための準備だからです、と言うためには、まず大人達が本当の冒険していないと説得力が無いのですよね。

そうです、そして次の時代の我々のミッションとは「冒険すること」、これに尽きます。

普通に生きているだけでも自然災害とか不況とか何が起こるか分からない人生なので、普通なのも冒険と言えばそうですが、やはり本当の冒険は宇宙にしかない、と私は思います。

そしてそれから、全世界で宇宙開発をすれば、地球上での諍いなど、些末なものに感じるはずなのです。

政治家の品の無い争いに時間と労力を費やすより、子供達の未来のために、我々はこれから新しく生態系を広げる必要があるのですね〜っ☆

我々の科学技術・文明は次のステージの「そうゆう時期」に入ったという事ですっ☆

月面基地とか火星への移住とか、もっと世界は本腰を据えて取り組むべき時代がやって来たのですっ☆

はい、とゆー事で、平成も終わりますっ☆

新しい時代でまた会いましょうっ☆

ではまたっ☆ちゃお
おはようございますっ☆
今日は、(私もそうですが)皆さんが日頃から問題にされていると思われる、動機付け(モチベーション)のお話ですっ☆

よく話題に上がるのが、若者が夢を持てないや、成人・社会人にしても、仕事をする意欲が湧かない、何のために頑張るか判らない、といった内容のことです。

これらの問題を野放しで突き詰めていくと、過労やストレスにより、うつ病になったりするわけですが、それ以前に、まず第一歩が踏み出せない状態の場合もあると思うのです。

そうしたときには、やはり根本的な「人生の意味が問われる」と思うのです。

当ブログのメインテーマでもありますが、「何のために生きているのかわからない・・」、みたいなことで、それを現実的に置き換えてみると、やはり現代においては、仕事・職業ということになろうかと思いますが、いくつか考え方の方向性はあろうかと思うので、ちょっとだけ項目にしてみますと・・、

1、別に働かなくても生きていける事実
2、過酷な就労に抵抗感がある
3、どの業界でも競争が激化しているためフロンティアがない
4、ど真面目に考えてしまって完璧を追求してしまう
5、嘘をついたりつかれたりしたくない
6、人が信用できないししたくない
7、お金を得ても特にやりたいことがない
8、日頃のニュース等で社会に嫌悪感を持つ
9、単に失敗や挫折を恐れる
10、自分がやらなくても結構どうにかなっている
11、自分が必要とされている気がしない
12、やりたいことはあっても難易度が高い
13、各事情により希望が叶えられない
14、勉強や人からやらせられることは得意だが自発的にはやりたくない
15、自己主張ができない
16、人生の選択を一つに絞れない
17、顛末を予想や想像をすると嫌になる
18、自分の可能性に勝手に限界を感じる
19、世の中の全てが嫌い
20、身の丈がわからない

・・、という具合に、短時間に適当に考えてみても、それなりの理由と言うか「言い訳」みたいな風に、次々と題目があがってきます・・。(汗)

こんな時に参考にされるのが、「成功者」というような人の話なわけですが、、そういった成功者の人が、口を揃えて言う事が・・、

1、リスクを恐れない
2、失敗は当然
3、逆境を乗り越える
4、前向きに考える
5、使命や運命を唱える
6、夢を持つ
7、目標を設定してしまう
8、ピンチをチャンスに変える
9、お金のためにやるのは違う
10、仕事が幸せに密着している

・・・みたいなことです。(ちょっとダブる項目もありますが・・・汗)

そして、それらを総称して考えたときには、

1、まずやってみる → 2、失敗する → 3、考える → 4、やり直す → 5、またやってみる → 6、また失敗・・・、とか言う、ありきたりな順序とかではなくて、「自分の人生がなんなんだ!?」ということが判っているかどうか?ということに尽きると思います。

そうでなければ、どっちにしても「進むこと」や「生きること」に失敗やリスクはあるわけですから、その都度、無理くりに目標を設定しては、世の中に厳しさにより、個人など簡単に敗れ去るわけで、お土産品の「起き上がりこぶし」でもないのに、それはうつ病にも普通になると思うのです。

勝ち組・負け組とか言われておりますが、もし勝ち組ということであるのなら、それは、「自分の人生がなんなのか判っている人のグループ」、ということで結構だと思うのです。

狭義では、人間、神様でもないのですから、実は判っていないはずですが、要は、マインドコントロールとかセルフマネジメントとかいうポジションなのでして、人生色々とやっていくうちに、自分にあった道や筋みたいなものが見えてきて、それを後付けにて、「使命」だとか「運命」だとか、あるいは人から言論を求められれば、「リスクを恐れない」、「失敗を糧に・・」、みたいな格言になったりするわけですが、実は、そんなことも手八丁口八丁でありまして、繰り返しますが、人間、神様でもないわけですから、成功者というような人は、あくまでも、「今」、成功者というだけであって、時代や歴史が物語っているように、万物は無常なり・・、栄枯盛衰、なわけでして、成功や失敗など、極めて安易なものだと言える、ということです。

ですので、今回のモチベーションのお話を取りまとめると、モチベーションなんて、実は「あって無いようなもの」でして、「それでいて元気を出さなくてはいけない・・」、という、極めて理不尽な理なのだと、私は考えています。

それでも、生活の維持や義務は果たさねばならない・・、つまり、俗に言う「ジレンマ」というものに陥るわけですが、そんなときには、「命をさらし出すようなこと」にでも挑戦してみると良いかと思うのです。(山篭りとか・・)

そもそも、そうでもしなければ「自分の命とは何か?」と問われて、真に答えを持つ人など、今の豊かな日本という国には少ないと思うのです。

私はこのことを、人間の進化の過渡期なのだと自信を持って言えますが、例えば、不治の病から生還を果たした人は、ごく当たり前の事象に対しても、相応の喜びや刺激を感じるはずでしょうし、サウナの理屈もそうですが、我慢や忍耐から脱出した暁にはその「先」にある、「些細な喜び」こそが「甲斐」である、みたいになると思うのです。

ですから、先人というかご先祖さま方は、今の我々の暮らしぶりを真に達成したくて、時代のうねりの中で切磋琢磨したわけでありまして、「文明の利」を享受し過ぎてしまっている我々は、やはり「何が人生なのか?」という答えに実に乏しいと思うのです。

稀に「恵まれ過ぎている」、みたいな事が言われますが、まさしく、「別にやることなくても大丈夫っ☆」、というくらいの心理状態でしたら、それは昨今の競争論からすると、「落ちこぼれ」みたいに扱われてしまって、どんなにまともな考えを個々で発揮しようとも、それはそれで、世の中がなんとなく回っているわけですから、ちょっと厚顔くらいに構えているくらいで結構だと思うのです。

そして、文明人・文化人みたいな風に考える今の若者は、極めて真面目で真っ当だと思うのです。

なので、道理に外れたことや、競争論で、他者を蹴落とす、みたいなことには抵抗感があり、ですが、思考においては、現代人、特に若者は超一流ですから、打算や計算は得意なもので、なんでも直ぐに想像で片付けられてしまい、この先の人生においても、このままでは悲観される事実が判明し、夢や希望を無くして、モチベーションとならない・・、みたいなことだと思うのですっ☆(現に私がそうでした・・汗)

ちょっとグチっぽくなってきたので、内容を仕上げて参りますと・・、まず、考える以前に経験があったと思うのです・・。(とりあえず・・)

「物心がつく」と言いますように、物事が考えられるまでには相応の期間・経験があって、その上での「判断」なり「思い」なりが、実際の行動となるはずです。

そして、行動→失敗、して気付くのです、「自分」とは相対的にこのくらいなものなのだ・・、と。

その上で、「ではこうしよう・・」、「いや、こうではない・・」、みたいに、自問と自答を繰り返して、その内に、自分の可能性やら限界やらが見えてくると思うのです。

そして、なんとなく選択肢が狭まってきたら、その域内での最大限とは何か?みたいに考えて、それでもダメなら、新たなる挑戦と、その代償を天秤に掛ける作業を繰り返す・・。

ですから、打算や計算の領域は、皆一様にそれなりに十分果たすと思いますので、この部分で最も重要なことは何か?と申しますと、先ほどの「自分の人生なんなんだ?」というのは実に極論でして、現実的には・・、

1、まずは挑戦する(動機は私欲か危機感で)
2、もし失敗しても許せるくらいの行動・準備をする
3、前向きに諦めて、覚悟・腹を決める
4、半分無責任になってみる
5、世間の目を気にしない

ということで、これらを総称すると、「前向きなること」というので、ある程度くくられると思います。

あとは、その順序だと思うのです。

挑戦する前から前向きの人もいますが、事後的に・尻上がりに前向きになっていく人もあります。

ある程度結果が伴ってきてから、前向きに切り替えていく場合もありますし、ストイックな人は準備や練習を過酷にすることで、精神衛生が保たれたりします。

そして、4、5、については、その人の気質に拠りますが、「大物」というような人間性として考えるならば、他や周囲からの意見など一切気にせずに、「我が道を行く・・」、「半分無責任くらいになる」というのは、最も優れた思考回路だと思いますっ☆

恐れも失敗も、前向きに考えることができれば、再チャレンジも出来ますし、そもそも、程度・度合いが保たれるはずなのです。

「好きこそものの上手なれ」と言いますように、前向きになれる事なら、ある程度は好きな事のはずでして、あとは、それを仕事にするのか?趣味で終わらすのか?みたいな現実と打算の駆け引きということでしょう。

何を持って成功なのか?、失敗なのか?、そんなのは、好きなことを始めて行動してから後で考えれば良いのではないでしょうか!?(笑)、ということで、「モチベーションのお話っ☆」でしたっ☆

ではでは、よかったら意見をお寄せくださいっ☆、お待ちしておりますっ☆
こんにちわっ☆
今日は社会科学からの哲学的考察ですっ☆

私は世界史の傍観が大好きなのですが、アフリカ史なんかをちょっとだけつついて観た時に、やはり人類の歴史は、競争と格差、そして結託の連鎖・スパイラルからの産物ではないか?という考察が為されると思うのです。

19世紀くらいに、大英帝国やオランダなどの航海術に秀でた帝国が、大きな武力を獲得してアジアやアフリカ地域に植民地を広げていったわけですが、黒人のプランテーションが出来て、その後黒人民族の反乱が起きて、黒人国家の樹立が為されたわけですが、その後BEE(ブラック・エコノミック・エンパワーメント)などと言って、黒人の主権を獲得し、民族の自立・繁栄を謳歌するわけですが、すると、旧来は同志だった民族(黒人)同志の格差が発生し、貧困層の不満が鬱積、暴動やら反乱やらが勃興するわけですが、これらを注釈してみると、競争→格差→結託、のスパイラルではないか?と思えるのです。

これは、侵略側にも同じことが言えるわけでして、もしも航海という手段に出なければ、国内で競争→格差→結託のスパイラルが起きていたでしょうし、侵略国→植民地→民族、という具合に、フィールドや規模が変化しただけで、実は、本質的な内容とは、一向に変化していないではないか?という疑義が生じると思うのです。

例えば、侵略国は自国の富だけで満足できないのか?や、植民地では管理される内容で不満なのか?、独立や自立後は、主権を割愛して平等を謳歌することはできないのか?という疑義です。

そして私はこれに対して答えを持っていますが、多少差別的な表現があることに対し反感を買うことを恐れずに言えば、明らかに食料が不足したり、衛生状態が悪いのに繁殖行動をする心理や打算・・、明らかに他を虐げる欲望や下心・・、これらは、もはや「宿命付けられた本能」と言えると思うのです。

例えば、本能的に繁殖行動、つまり生物学的に言えば「性行為」ですが、これは微生物から哺乳類まで一様に約束された圧や傾きのデフォルメです。

通常、生命の維持が為され、繁殖が十分に可能な環境であれば、意識、無意識に関係なく、その目的を達成しようという作用が働きます・・、それが本能というものです。

血糖値が下がれば空腹感を覚えることと同じで、健全な成長を果たした男女や雌雄は、その目的の本分を達成しようという圧や傾きの指示に従います・・。

すると、さらなる繁栄や成長を享受しようと、次回、第三回と、作用を働かせ、次第に許容の域を超えてしまい、他に影響が及ぼされることになるのです。

例えば、一家10人で暮らしている集落があるとして、10人のキャパでの均衡が保たれていたとすると、11人、12人とニーズが増えると、供給、つまり食料や衣・住の確保などの問題が生じます。

それでもそれに適応すると、さらなる圧や傾きのせいで、15人、20人・・、とその目的と本分が為されると思うのです。

すると、次第に供給は限界を喫し、次なるフロンティア(侵略・開拓)を目指す法則が働きます。

そのフロンティアを目指す際には、単独では力に限りがありますから、やはり党を成して、集団にて行動を共にするわけですっ。(これが結託)

これが人間風に、そして私なりに解釈すると、競争→格差→結託、の、そのスパイラル・連鎖になるということです。

ですから、これが先進国で起これば雇用問題だったり格差だったりするわけですが、それまでは、高度経済なんとか・・、もはや戦後ではない・・、みたいなことで、まだ需要が供給を乗り越えていなかったわけですから、その程度なら問題なかったわけですが、合理化、高度の成長を繰り返すうちに、時間の経過と共に、その他(国外など)に活路を見出すのですが、それすらも需要が供給を飲み込んでしまえば、どこかで何かがダブつく事態になるわけです。

すると、競争→格差→結託のスパイラルが発生することになり、そして、もしそのスパイラルを外へ出さないのなら、排泄欲が達成されない状態、つまり腸閉塞みたいなもので、現況の「閉塞感」みたいなものが起きてしまっても、このスパイラルや法則、圧や傾きからすれば、極めて自然なことであって、そこに「あぶれた存在」や「ダブついた存在」は、どうしたって排斥される運命にあると思うのです。

それを調整するには、管理を強化する以外にないのですが、それには限界がある、という歴史認識が為されておりますので、その「閉塞感」と「競争からのスパイラル」と、どちらが良いですか??という問いが発生しているも同然でありまして、とにかく、私がこの記事を通して言いたいことは、人類とは本質的には、「いつも同じことを繰り返しているのだ」、という認識を持ってはどうでしょうか・・?、というようなことなんですねっ☆

ですから、そのスパイラルに巻き込まれない対策と言いますか、それなりの哲学みたいのを駆使して、それぞれを福利を追求すれば良いと思うのです。

私なりの見解ですが、真っ当にその圧や傾き、スパイラルに抗ってしまっては、絶対に勝ち目がないので、ちょっと視点をずらしてみると良いかと思うのですっ☆(笑)

例えば、お金儲けを止めてみる、経済一辺倒の価値観から離れてみる、などなど・・、ですっ☆(笑)

ひとつだけ確認しておきたいことがあります・・、それはどんな時代にも、幸福な人と不幸な人があった、という事実認識ですっ☆

時代や趨勢がどんなに荒廃していても、どこかで福利を得ている人は絶対におりますし、そこに気付くか気付かないか次第・・、みたいなところは、いつの時代もどの環境でもありますよっ☆

ということで、競争→格差→結託、のスパイラル・・。←これについて何かの考えがあれば、よかったらコメントしてみてくださいねっ☆


こんばんわっ☆
今回はヒューマニズムについての考察と展望ですっ☆

最近話題の自殺者数もそうですが、人間や社会が崩壊・限界に達している部分が、世間に露呈し始めていると思います。

これは統計や確率・割合の話なのでしょうけども、とにかく見て見ぬ振りが出来なくなって、さらに事態が悪化しているような具合です。

少子高齢化で生産労働人口が減少することもそうですが、人が人らしく生きていくのが困難な状況が色濃くなって来ている節があります。

これは、文明に人間が依存し過ぎてしまい、「人間のための文明」という性質から、「文明のための人間」、という具合になっていると言って良いのでしょう。

例えば、自動車の生産ラインでは、ロボット同然の動きを強いられる作業現場でありますし、公務員や教員なんかも、規則やカリキュラムが絶対、みたいな風潮・・。

非正規労働市場の問題でも、明らかに労働環境や待遇が悪く、生産やサービスは一流でも、その反動で、人道的な扱いが為されていない、それが美徳、というような悪しき風潮です。

「要領が悪い・・」、と言えばそれもそうですが、それがコングロマリット的に「結託こそが正義」、みたいな、旧日本陸軍による圧制とマインドコントロールのようなもので、本格的に融通の利かない風潮が、世のトレンドになりつつある、と私は考えています。

ちょっと冷静かつ柔軟に考えれば判りそうなものですが、現状や「慣れ」とは恐ろしいもので、日本人は「その他」との調和を最も重視致しますから、極限状態での判断が的確に為されない、というようなことで、それがどこにしわ寄せが行くかと申しますと、障害者の様な相対的な弱者ではなく、「絶対的な弱者」へ向かうのが世の常です。

凶悪犯罪の被害者然り、家庭環境・DV然り、学級崩壊・いじめ、等々です・・。

最後には、善人は馬鹿を見るよろしく、人間味のある人から崩壊していく・・、というトレンドが発生し、真面目にやっている人ほどそのダメージの歪みが大きく、薬物依存やアルコール中毒、自傷行為に、最後には身売りみたいなことにもなるわけです。

この原因とは何か?と問われれば、間違いなく、文明に依存した社会の顛末である、と、私は断言できますが、では、この文明国家の捨てて、旧来の第一次産業重視のライフスタイルに戻るか?と問われれば、決してそれが第一案となるべくもなく、大抵の場合は、文明の依存から抜け出せない、抜け出したくないというチョイスが為されるのだと思います。

電気の使用量や時間が制限される、自動車の利用量も申告制、着る物やる事すべてにおいて統制の下での選択となれば、それも可能ですが、自由競争、自助努力、自己責任、という正義の先にある利便性、これがあるからこそ今の生活水準が維持されているわけですが、その恩恵を真に賜るのは一部の勝ち組だけではないか?と言えば、おそらく、最も正当性のある主張であろうと思います。

なので、要は矛盾していて、単にみんなが「ワガママになってきている」と言ってしまえば、それだけなのですが、この現状のグチだけでは、私らしくもないので、この問題の本質から考えて見たときには、要は「調整局面」なのだ、ということでしょう。

少し想像して欲しいのですが、「イナゴの大発生」、ということが起きますが、あれは一体何故起きるのでしょうか??

気候の変化もそうですが、生態系の偏重や繁殖環境の充実、というのが、生物学上も正しい見解だと思います。

単なる例や憶測で、私は専門化ではありませんから、あまり信憑性を問われても困りますが、温暖化によってイナゴの食料が自然増産され、それによって繁殖を謳歌できる条件が整ってしまった・・。(という例で・・)

そして、次の時期には繁殖の成功により、大量の生体が発生、同一の行動が強いられる種であれば、一度に大量の生体が確認される・・、これが大量発生のメカニズムの簡単な説明でよかろうと思います。

そして、これを比喩で考えた時には、人類は農耕技術により大量の食料の確保を成功させ、飢餓に脅威を覚える必要がなくなり、大いに工業やその他の産業に力を入れることが出来るようになった。

人間の繁殖が謳歌できる環境を、幸か不幸か、自ら整えることが出来てしまった・・。

そしてその先には、文明の獲得と同時に行き過ぎた競争が待ち受けており、やってもやってもゴールがない戦いが待機していて、総力戦と言うか、疲弊合戦・消耗戦が勃興する。

そして調整のための戦いが始まる・・。

その戦いは、実質的には富める人・支配する人のための戦いであって、人権が1人に対し1あるとすれば、その社会的な地位や待遇の差たるや、健全性が認められる水準を1とすると、健全性が認められない人に対しては、5分の1や、酷い例では10分の1、とも考えられる事例があることでしょう。(この根拠は単に収入格差、世帯当り年収1000万円を基準として考える・・。)

ちょっと知恵を働かせて、その文明を謳歌し切った時期を考えると、私は西暦2000年がその時期としてふさわしいのではと考えています。

「丁度キリが良いので・・」、と言ってしまえばそれもそうですが、世に言うITバブル(1997年〜2000年)が起きる前までは、産業の成長こそが正義という風潮で、富める人も富まざる人も、コンセンサスが得られていたように思うのです。

その後の通信技術の進化と共に、本格的な個人主義が台頭し、携帯電話文化とパソコン文化の到来で、人と人との関係が希薄になり、それでも一線での戦いの様相は厳しくなって行きますから、趨勢が険悪になっていっても、なんら異論の余地などなく、安穏とした精神状態で過ごしている人など、今の世には皆無ではないか?とも思えるのです。(私もそうです・・・)

そして現在西暦2009年ですが、2000年から9年弱も経過してみると、その調整は極めて顕著になってしまっている、その末路が例年(11年連続)の自殺者が30,000人越え続け、家庭崩壊や薬物等の問題もより深刻になるのだと思うのです。

刑務所には受刑者が収容しきれない状態が恒常化しているようですし、生活保護の受給者は08年12月時点で160万6714人というニュースも先日報道されておりましたが、まさに、我が国の財政難と高齢化問題と共に、最も深刻な問題であると言えるでしょう。

・・ですので(そろそろまとめますと)、これらのセグメントを調和させて考えた時には、2000年頃までは成長局面、それ以降は徐々に、「調整の様相が色濃くなってきた」、ということだと思うのです。

その調整の「圧」や「向き」に屈してしまえば、行く末は「死」か、「社会からの排除」のどちらか?ということになり、まさにイナゴ同士の共食い状態であり、何のために働くのか?、何のために生まれたのか?という、根本的な問題に直結するのだと私は考え、当ブログについても、「相応の意義がある」、と勝手に考えておりますっ☆

そして、当記事のタイトルにもなっておりますが、コンプレックス(劣等感・自己嫌悪)、ジレンマ(板ばさみ)、トラウマ(心的外傷)、そういったものを皆一様に背負い込んで生きているのが、今の人間というか日本人・・・。

逃避先があれば直ぐにでも駆け出したい・・・、というような人って、現在の世にしてみれば、決して少なくないのだと、私は断言できます。(私の経験があります・・汗)

地上波のテレビを録画して、様々の情報を得るのが私の日課なのですが、ちょっとしたドキュメント系の番組を見てみると、リアル社会というか、現実の厳しさ、険悪さ、みたいなのがひしひしと伝わって来ますし、現にそうだと思います・・。ので、たまにはこういった真面目な社会問題も書いてみようと思ったわけなのですねっ☆

調整や圧に負けない、それこそがダーウィンの言う「適応力」ではなかろうか?と思い、とりあえず終了ですっ☆(笑)

皆さんは適応力持っていますか??(笑)、よかったらコメントしてみてくださいねっ☆


こんばんわっ☆
今日は論語からの引用ですっ☆(笑)

「大器晩成」(たいきばんせい)という言葉・四字熟語ですが、これは「大きな器は作るのが大変なので、出来上がるのにも時間が掛かる・・。」という意味です。

これを比喩で人間に例えると、「大きな仕事を成し遂げるような人は、成功や名声を手にするのに時間が掛かる」、という教えです。

ここから幾つか派生して哲学が考えられますが、例えば、「小さな仕事は直ぐに出来るが、直ぐ成立するものにはあまり価値が認められない」、ということと、「リスクを犯して大きな事業・活動をするのは良いが、成立するには時間が掛かる・・」ということなんかがベターでしょう。

これらもそうですが、この顛末を総称して考えたときには、「ものは言い様・・。」という事で、全ては決着してしまうと思うのです。

それを証拠に、「大器晩成」の言葉の使われ方で、実は最もポピュラーなものは、いつも失敗ばかりしている人に対する「慰め」の意味で使われるという選択肢です。

失敗した人や、うだつの上がらない人に、「あなたは大器晩成だからね〜・・。」っと言ってしまえば、当初の意味である、「大きな器」の方とは全く逆の効果が発生してしまいます。

失敗が許される範囲ならば「慰め」になって、失敗が許されなくなると、「大器でない者が挑戦などするものではない!」、みたいになるわけです。

確かに、物事は最後の最後まで分からない・・、と言いますので、慰めも必要なケースも多いですが、往々にして、人間とは怠ける生き物ですから、大器晩成と言わず、出来るものなら大器でも朝成(ちょうせい)、晩と言わず朝飯前くらいでもよかろうと思うのです。

大器なのだから時間が掛かる・・、それでは一向に怠け癖が直らない人だったら、どこまででも失敗が許されるのか?という問題になり、また、では小器なのに晩成まで掛かる人は何も臨むべくもないのか?みたいにも考えることが出来ようかと思うのです。

健全な精神状態で物事の顛末をポジティブに捉えれば、「晩成なら大器なのだろう・・」、と、安穏と構えていられそうですが、「晩成まで待っていては、大器だろうと小器だろうと待てないよ!」、みたいになっている昨今ですから、それもどうなのか?、みたいに、勘繰りたくなる帰来があるようにも思います。

ここまで読んでいただいてお気づきの方が多いと思いますが、要は「屁理屈をこねているだけ」なのですねっ☆

理屈となるか屁理屈となるのか・・、ですが、論語もそうですが、冒頭でお伝えいたしましたが、結局は、どのように言い伝えるのか?あるいは、どのように用いるのか?、みたいな事だと思うのです。

「屁理屈」と言えばそのとおりですし、「立派な教え」と言えばそれもそう・・。

宗教なんかも、要は「思い込みパワー」による部分が明らかに多いですし、それでも、溺れる人が絶えない昨今ですから、「わらにもすがるような心境」であれば、もしも心が軽くなるのなら、なんでも信じたくなるのが人間の常なのでしょう・・。

私は神様仏様にケチをつけるつもりはありませんが、今回この記事を通して伝えたかったことは、結局はどんな「教え」も「言葉」も「言い伝え」も、その人自身がどのように捉えるか感じるか次第であるっ☆と、いつもの屁理屈なのですが、これについて、賞賛がいただけるのなら結構で、批判を申し受けるのならそれも結構だと思うのです。

結構・・、という言葉一つについても、「YES」と「NO THANK YOU」の二通りの意味で用いられています・・。

上等(じょうとう)・・、という意味においても同様に、「YESの方」の結構と、「望むところだ!」の上等がありますよねっ☆(笑)

大器晩成・・、と聞いて、皆さんはどのような考えをお持ちでしょうか・・?、よかったら、ちょこっと考えてみて教えていただければと思いますっ☆(笑)


全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


.
清水竜志
清水竜志
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

友だち(19)
  • BZ好きの中生
  • SGI健康塾・片山
  • イソジン
  • mato44444
  • a r i
  • ゆうへい
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事