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こんばんわっ☆
今日は哲学というか自己啓発の話題ですっ☆ KY(空気を読む)とか最近言われ始めましたが、そもそも、なぜ人は空気を読むのでしょうかっ。 他人に気を使う、社交辞令、礼儀、戦略上の姿勢・・、などなど、色々と考えられますが、そうしたことを包含した表現を一言で言えば、「自分が今、何を求められているのか?」ということに尽きると思いますっ☆ 基本的に他力社会である昨今の文明ですが、やはり自と他が共生しないと、何事も成り立たないわけですっ☆ 例えば、お店で食べ物を調達する事象として考えて、販売側であるお店は、消費側であるお客から、食べ物と交換でお金を仕入れようとするわけですが、消費側のお客は自分の糧を得るために食べ物を調達しようとするわけですっ。 お店は食べ物を安く仕入れて、出来るだけ高く売ります・・、なぜなら、その儲けのお金で自分が生活をするためですっ。 また、消費側のお客も、また別の生計手段を営んでいるはずです。仕事をしたり財産を運用したりですっ。 それによってお金を生み出して、糧なり日用品などとお金を交換して、生活をしているわけですっ☆ ここに、自と他の相対性、つまり「共生の法則」が成立しているわけですっ☆ ですから、「空気を読む」とは、「自分が今、他に何を求められているのか?を把握する」ということなんですよねっ☆ 食べ物を買いにお客がお店に入ったら、お客はお店側から食べ物の購入が求められていることになりますし、お客側からは、お店があれば、そこで食べ物が販売されていることが求められるわけですっ☆ もしもこのケースにおいて、空気が読まれていなければ、お店側ならお客が来ても販売しない・・、お客側ならお店に入っても何も買わない・・、となるわけですっ☆ 原理原則から推測すれば、例えば食べ物なら、自分で土地を確保して、荒地を耕して、土を肥料で肥やして、種子を調達して蒔いて、収穫が得られるまでには、こうして作物を栽培しなくてはならないわけですっ☆、その収穫までの間にも生活しなくてはならないでしょうから、当面は魚を捕ったり、獣を獲得したりするハメになりますっ☆ 現在はそれをしなくても、自分の任された仕事をしているだけで、何かと生計が営めているわけですから、我々の現在の生活は、「基本的には他力に依存している」、と言えるでしょうっ☆ 社会の公序良俗としての法則を考えると、やはり、お客はお店に入れば何かを買う、お店はお客がくれば何かを売る、という前提と約束がありますっ☆ もし、その法則や、前提なり約束が成立しなければ、これまでの文明や社会がなかったわけですし、昨今言われている空気という概念は、実は大昔からあったことでして、つまり私が言いたい事は、「今、という立場において、自分が他に何を求められているのか?」の連鎖が、この今の世界である、ということですっ☆ そして、自己啓発ということで言えば、やはり、過剰なまでに自意識を高めすぎるのはNGですが、「空気を読む」とは、人間が社会性を持つ生き物である以上は、決して止められない感覚だと思いますっ☆ 私は自分のために生きておりますが、それでも世間一般に顔を出せば、それなりに場を取り持つように振る舞いますし、「他人の事を気にしないから何でも出来る理論」を持ち合わせてはおりますが、それと社会性との打算は、常に自分のCPUが演算するわけですから、KYは、もはや本能と言えるかもしれませんっ☆ ですので、今回の記事の趣旨から考えますと、現在の人間の本能とは「自分が何を求められているのか?」を追求する能力でもあり、繁殖・世界を広げる等の、その他の角度からも考えられますが、やはり、人間が人間である以上は、「求められたり」、「求めること」で、「今」が成立することが多いわけですっ☆ 損得勘定をすれば、それが出来れば得でして、出来なければ損なわけで、もし「成功や幸せ」、ということで考えるのなら、やはり、本能すらも自分の思いのままにするほうが、それに近づけるのではないか?と思うわけですっ☆ これまたパラドックスですが、自分とは何か?と考えて、「自分とは他のためにあるのだっ☆」、そして、「他は自分のためになるのだっ☆」、という理屈のスパイラルの展開が、もっとも啓発的なのである、と哲学できるわけですねっ☆(笑) 今、日本には何が求められているか・・、それは新しいビジョンですよねっ☆、皆が人生と毎日がやる気になりまくるくらいの、圧倒的なビジョンですっ☆、私はそれが「思想というもの」だと思うのですけどねっ☆(笑) |
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2019年04月28日
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