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こんばんわっ☆
ふと気がついたのですが、「イライラする」ことって、実はそれこそが「自分」というものではないのか?と思ったのでアップですっ☆ どういうことかと思うしますと、人間誰しも「何か」を抱えて生きていると思うのですっ☆ 例えば、デザインが好きな人なら、デザインに対する「思い」や「拘り」があるでしょうし、社会に対する「思い」や「考え」があれば、政治や国際事情に対して色々を思いを巡らせるわけですっ☆ そうしたときに、とりあえずデザインと政治が一例ですが、もし巷にくだらないデザインが蔓延っていたなら、「もっとこうすれば良くなるのにっ!」とか、政治なら、「もっとこうした案や手法の方が効果的なのに!」、といった「イライラ感」ってあると思うんですっ☆ もし仕事が出来ずにイライラするのなら、仕事が出来る自分がイライラしないわけですから、どうにかして仕事が出来るようになれば、それが自己実現になるわけですし、その先に何かがあって、それが達成できないから「イライラとなる」ということのパラドックスを鑑みて見ると、では「その先」ということが、哲学的に言えば「自分自身そのもの・・」、ということにもなろうかと思うのですっ☆ そもそも哲学とは、自分探しの最高峰、みたいなことなわけで、それが現代社会では、選択肢や物事が在り過ぎて、何が何だかわからない状態だと思うのですっ☆ ですから、例えば、今回は「イライラ感」から鑑みる、という視野角ですが、そういった切り口でも一向に面白いとおもうんですよねっ☆(笑) 自分がイライラしていることに対し、それがもし仕事になり生計が立てられるようになるのなら、それは成功者への道しるべではないのか?と思い、では、そういう私は何に対してイライラしているのか?と問われれば、やはり、人間としての生きる道、といったことのトレンドがない!ということにイライラするわけですっ☆(笑) 例えば、義務教育の学校では、道徳の時間っていうのがありましたが、でも、我々人間は、捕食する生き物を殺して生を得るわけですけど・・、それって矛盾しませんか??ってことですっ☆ 生きるとは殺すことなのか??、動物愛護を説く人もおりますが、そうした人はベジタリアンなのか?? 職業選択の自由、思想の事由、言論の自由、生存権、自衛権、みたいなことは、一応果たされておりますが、私は思うには、自由とは、つまり「勝手にやれ!」ってことでして、矛盾ということは、「どちらでも良い」ってことでして、ともすると、なんでもありのフルコンタクトファイトをしなさい!ってことになりますよねっ?? それでいて社会保障やら大義名分やらとメディアは言っているわけですから、実に滑稽な社会構造というか、時代のうねりというか、富める者はさらに富め、貧する者はさらに貧するという生存競争の淘汰圧、ダーウィンの進化論の「適応力」ということで言えば、適応できない者は悪で、できるものは正義となる、といった構図なわけですっ☆ 「絶対的なもの」、それはいわゆる「トレンド」ですが、やはりこれだけの文明が発達すれば、利便性は富まれますが、やはりその反動たるや想像を超えてしまい、至るところに矛盾はありますが、そうであっても、500万年前?くらいから人類はいた、とされているわけですけれども、今に至っても、「生物としての人間」とは、なんら変化がないわけで、これだけ時間が経って高度の文明が起きているのですから、やはり未だに「人間として究極に生きる道や未来が示されていない!」ということに、私はイライラしたりしており、今の時点で言えること思うことが、こうして多少なりとも表現できていることに感謝はしつつも、やはり「イライラ感」があることは否めない事実でありますっ☆ といった具合の記事になりましたが、皆さんは「イライラ」に対してどのような見解をお持ちでしょうか?? ポジティブに考えれば、「イライラこそが自己開発の最高峰だっ!」みたいになりますが、イライラしっぱなしで、自己実現ができないのなら、その先には「破滅」という二文字が待っている気が致すのですっ☆ 昨今話題になるうつ病や自殺とは、やはりこの「イライラ感」の派生による部分が多いのではなかろうか??、そして、もしこの「イライラ感」に光明が差すとすると、それはかなり「面白いことになる」のではないか?と思い、とりあえず今回は終了ですっ☆ イライラを解消&自己実現、の一挙両得ができたなら、それはそれで「成功した人生」と呼べるのではないでしょうか??と思いますっ☆(笑)
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