|
こんばんわっ☆
今日も自己啓発路線での展開ですっ☆(笑)(胡散臭かったらごめんなさいっ☆笑) さて、「経験」という概念がありますが、これは過去と現在における結末の連鎖ですっ☆ 夜中にマックのポテトが食べたくなって、24hのマックにドライブスルーして、マックポテトのMを4つ買ってきて、全部一人で食べたとします・・。 次の朝、(たぶん昼に起きるはずですが・・)、マックポテトM×4の影響で、随分胃もたれしてしまい、一日気分が悪く、油よいみたいな感じの体調になったとします・・。(汗)(MP、M×1なら大丈夫ですよっ☆マックの営業妨害じゃないですよっ☆笑) これが経験ということですが、「結末の連鎖」というのは記憶に長く残ることでして、短絡的に得るインパクトでしたら、連鎖ではなく結末の単体ですっ☆つまり体験っ☆ 差異を計るのなら、経験>体験という事でして、やはり経験というからには、その過去の経緯が現在まで連なっていなければならないのですね、なぜなら記憶とはそうゆう連なったものだからですっ☆ さて、マックポテトの暴食により胃もたれを経験をした人が、また5年後くらいに同じように夜中にマックポテトが食べたくなったとします・・、選択肢は・・、 1、失敗の経験を無視して今度はマックポテトL×6を一人で食べるっ☆(笑) 2、失敗の経験を利用して、マックポテトM×2におさえるっ☆ 3、失敗の経験を応用して、マックポテトM×4を買うが、とりあえず×2を食べて、残りは次の日に・・。 4、失敗は成功の元であるから、次は大丈夫だっ☆と、全く同じ行動をするっ☆ 5、失敗の経験を運用して、夜中のポテト専門デリバリーサービスの事業を始めるっ☆ 6、失敗の経験を多様して、夜中にドカ食いしまくって、デブタレとして芸能界デビューっ☆そしてマラソンへ・・。 7、失敗の経験を活かして、健康志向へ。マックポテト依存症を克服するっ☆ 8、失敗の経験を忘れて、自分がマックポテトを作る側になる・・。マッククルーのアルバイト面接へGOっ☆ 9、失敗の経験は人生を豊かにしますっ☆、マックに卸すポテト生産農家へ転身っ☆ 10、失敗の経験をバネにして、胃腸薬の開発に人生を賭けるっ☆ とりあえず適当に10項目アップしましたが、とにかく経験というものは「次に影響すること」を言いますっ☆ その影響がプラスかマイナスかは分かりませんが、分かっていることは、「経験しないと次がない」、ということですっ☆ 時間軸を基に考えますと、現在は過去から醸成されたものですが、過去はすべて経験ですっ☆ それが、これから先の未来に影響するのは、火を見るより明らかであり、また、その結末が、さらに次の未来の基となるはずですっ☆ ですから「連鎖」ということなのですが、これを「物事の分別」ということで考えたときには、やはり人間社会においては、是非の判断が各々の責任の下で、正しく為されなければなりません。 やはり戦略的に行動するためには、正しい判断が必要であり、また世界は前提として競争社会でもあるからですっ☆ 例えば戦略的に分別を判断して、「自分の人生を成功させたい・・」、と願う人がいたとして、ではまず、「どういったことで成功と判断するのか?」と考えますっ☆ そこでその人が、「10億円の財産を築いたら成功だっ☆」と考えたとして、では、そのためには、「これから10億円手に入れるに値する経験」が、自分のこの先の未来に待っているわけですっ☆ なぜなら、そうでなければ10億円手にすることが出来ないからで、至極当然の論理だからですっ☆ では、最初に戻って考えてみて、「10億円手にしよう!、それで人生成功だ!」と考えたその根拠は何でしょうか・・・? そうです、その考えに至るまでの経験がそのドリーマーにあったために、10億円という「根拠・概要が発生した」のですっ☆ ですから人間という生き物は、事実上、未来を経験することが出来るわけですっ☆ それを現在に基づいて、これからそのために何かと準備や行動するわけですから、それが成り立つか否かはひとまず置いておいて、その「何かと準備や行動する」は、まだ未経験のことですが、行動することが決まれば、それは経験したと同じことになり、また、未来が体験できたことになるわけですっ☆ こうしたことが、つまり「結末の連鎖」ということですねっ☆ そして、ここで矛盾点が発生します、「経験しないと分からないのに、未来が経験出来る」とはどういうことか??と・・。 まさに、そのパラドックスこそが、今回の記事の狙いでありまして、つまり、人間は未来を経験することが出来るにも関わらず、失敗もするし見当を違えることもある。 では通常は、経験してそれを活かさねばならない・・、となりますが、マックポテトの例のように、選択肢はいくらでもあるわけですっ☆ これは、経験したように感じることが出来る未来というものでも、人間は往々にして想像を忘れることが出来るからであって、想像上の経験も実際の体験も、どっちにしても、やはり経験してみないと分からない、ということになるわけですねっ☆ この頓知の面白いところは、「経験が実は経験ではないっ!」ということなんですよね〜っ☆ 想像しても経験なのに、その想像通りにやってみても、失敗したり・忘れたり・とぼけたりして、経験を活かした事になるかどうか分からないし、しかも人間は過去すら忘れる生き物・・。 さっきの繰り返しですが、経験とは「次に影響すること」で、しかも「経験しないと次がない」わけです。 では経験は絶対ということになるが、未来は絶対ではない・・。 しかし、人間は未来を想像して計画を立てることが出来、また、その通りに準備・行動もする。 過去と今と未来の三つの経験・・、かなり矛盾するようですが、しかし、これが事実の論理であって、やはり経験してみないと何も分からない・・、ということなのですよね〜っ☆ なぜなら人間は、経験しても何も分からないわけですからね〜っ☆(笑) |
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
|
こんばんわっ☆
今日は自己啓発路線まっしぐらで記事を書いてみようと思いますっ☆(笑) ですが、私は自己啓発なるもの、特に商材としてそれが謳われているものには抵抗感がありますっ☆ ・・と申しますのも、「そんなことはわかっているのだっ!」、と申し述べたくなるような商品が多いの世の常でありますっ。 成功する方法とか、頭が良くなる秘訣、ダイエットの法則、楽してお金を稼ぐ、などなど・・・。 胡散臭いとは、まさにそういったことを総称した生業のことを指すのでしょうね〜・・。(汗) ですから私の活動は、そういった類のことからは一線を退きたいと強く思うわけでして・・、ですが、そうしたときに、今回のような自己啓発の記事となるわけですが、やはり、そのやりとりに際して、私と読者の皆さんの中には、ある種の信頼関係というか、信用が成立しないとならないわけで、やりすぎると新興宗教みたい胡散臭くなるわけで、かと言ってやらなすぎると何も生み出せないわけで、・・なんとも、人間が考えるパラドックスというのは、見ようによってはいかようにも変化するわけですねっ☆(笑) まあ、そこらへんの評価は皆さんにお任せすると致しまして、今回は「集中力」についての話題ですっ☆ 人間の集中力は30分が限界・・、と、以前何かの拍子に誰かから伺ったことがあります。 その根拠は、「一つの事をやるにおいて」、やはり疲れを感じ始めるのが「30分連続した後」、ということなのだと思いますっ☆ 私はあながち間違っていないと思いますが、もうちょっと本質的に考えてみてはどうかな??とも思いますっ☆ 例えば、いきなり嫌いなことを命ぜられたのならば、やはり人間ですから、「蓼食う虫も好き好き理論」で、好きなものもあれば、嫌いなものは嫌いなわけで、そうであれば、集中とか、そういったこと以前の問題だと思うのですっ☆ 昔は何に対しても豊かでなく、何かを自然に取り組むことが前提だったわけで、今のこの豊かな時代となっては、何事も選択の自由権があるわけですから、好き嫌いは、見事にはっきりしてくるわけですよねっ☆ 何が言いたいのかと申しますと、集中出来るか・出来ないか、ということではなくて、「好きなものなら好きにやる」でしょうし、「嫌いなものなら一切やらない」わけですっ☆ どうしても集中力という概念が欲しいのならば、「嫌いなものでもやりたくなるその限界値」ということだと思うのですっ☆ 単なる屁理屈に聞こえるかもしれませんが、「本当に好きなモノなら永遠とやる」はずですっ☆ 結婚だって、永遠に好きなと人ならば、離婚なんて、まずありえないわけですっ☆ ですが、「好きだったモノ」、「好きだった人」、となるから、物事が厄介になるわけで、政治とか外交もそうですけど、みんなどの国も何の利害もなく、好きな事を好きなように結び合えるのなら、全く問題はないわけですっ☆ ですが、現状はそうはなっておりませんので、条約や国際機関、基準とか声明とかの証拠が必要になりますっ☆ まあ、これらは前提や原則の話ですが、集中力という枠に戻って考えるとすると、そもそも集中力が必要なことで望むべく結果が出せるのか??という疑問が、一般的に欲しいと思うのですねっ☆ 速い話が集中力とは、すなわち自己強制力ですよね?? 強制されないと結果が出ない・・、というのは、ある種、自由や個人の尊厳からは逸脱した考え方でありますっ☆ ですが、共同体を営む上では、先の国際的な問題の例のように、お互いが妥結するべく、約束や信用が必要になるわけですっ☆ そして、その約束とは、お互いが100%出し合っては、何の進歩・発展に繋がらないわけでして、ですから、半ば強引な枠決めが必要なのです・・、そして、集中力とは、その枠決めの中での最大限を発揮するための概念っ。 ですから、好きなモノ以外にも、ある程度の望むべく結果を出さなくてはならない・・、というのが、文明や社会における、個が個として成り立つ、前提と原則でありますっ☆ もしもそうでなければ、代償を払って対価を得るという、ギヴアンドテイクの論理が皆無となってしまうのですっ☆ なので、集中力とは現状から算段すると正義となるわけでして、では正義は幸福と直結するのか??という疑問が残りますが、とりあえず、好きな事だったら集中力という概念が無用なので、集中力が必要な事は、つまり嫌いなことなのですっ、という制約と論理は、とりあえず、自己啓発の一環として養っておきたいものですっ☆(笑) PS、最後に、好きなモノが嫌いになる法則ですが、そもそも、好きってなんでしょう??、・・・、恋は盲目、好きは幻想ではないでしょうかね〜っ☆(笑)結論からすると、逆に嫌いなものが好きになる法則を考えた方が、人間としては良さそうですよねっ☆(笑)そのためには、まずは集中力から、なのでしょうかね〜っ☆(笑) |
|
こんばんわっ☆
今日は哲学というか自己啓発の話題ですっ☆ KY(空気を読む)とか最近言われ始めましたが、そもそも、なぜ人は空気を読むのでしょうかっ。 他人に気を使う、社交辞令、礼儀、戦略上の姿勢・・、などなど、色々と考えられますが、そうしたことを包含した表現を一言で言えば、「自分が今、何を求められているのか?」ということに尽きると思いますっ☆ 基本的に他力社会である昨今の文明ですが、やはり自と他が共生しないと、何事も成り立たないわけですっ☆ 例えば、お店で食べ物を調達する事象として考えて、販売側であるお店は、消費側であるお客から、食べ物と交換でお金を仕入れようとするわけですが、消費側のお客は自分の糧を得るために食べ物を調達しようとするわけですっ。 お店は食べ物を安く仕入れて、出来るだけ高く売ります・・、なぜなら、その儲けのお金で自分が生活をするためですっ。 また、消費側のお客も、また別の生計手段を営んでいるはずです。仕事をしたり財産を運用したりですっ。 それによってお金を生み出して、糧なり日用品などとお金を交換して、生活をしているわけですっ☆ ここに、自と他の相対性、つまり「共生の法則」が成立しているわけですっ☆ ですから、「空気を読む」とは、「自分が今、他に何を求められているのか?を把握する」ということなんですよねっ☆ 食べ物を買いにお客がお店に入ったら、お客はお店側から食べ物の購入が求められていることになりますし、お客側からは、お店があれば、そこで食べ物が販売されていることが求められるわけですっ☆ もしもこのケースにおいて、空気が読まれていなければ、お店側ならお客が来ても販売しない・・、お客側ならお店に入っても何も買わない・・、となるわけですっ☆ 原理原則から推測すれば、例えば食べ物なら、自分で土地を確保して、荒地を耕して、土を肥料で肥やして、種子を調達して蒔いて、収穫が得られるまでには、こうして作物を栽培しなくてはならないわけですっ☆、その収穫までの間にも生活しなくてはならないでしょうから、当面は魚を捕ったり、獣を獲得したりするハメになりますっ☆ 現在はそれをしなくても、自分の任された仕事をしているだけで、何かと生計が営めているわけですから、我々の現在の生活は、「基本的には他力に依存している」、と言えるでしょうっ☆ 社会の公序良俗としての法則を考えると、やはり、お客はお店に入れば何かを買う、お店はお客がくれば何かを売る、という前提と約束がありますっ☆ もし、その法則や、前提なり約束が成立しなければ、これまでの文明や社会がなかったわけですし、昨今言われている空気という概念は、実は大昔からあったことでして、つまり私が言いたい事は、「今、という立場において、自分が他に何を求められているのか?」の連鎖が、この今の世界である、ということですっ☆ そして、自己啓発ということで言えば、やはり、過剰なまでに自意識を高めすぎるのはNGですが、「空気を読む」とは、人間が社会性を持つ生き物である以上は、決して止められない感覚だと思いますっ☆ 私は自分のために生きておりますが、それでも世間一般に顔を出せば、それなりに場を取り持つように振る舞いますし、「他人の事を気にしないから何でも出来る理論」を持ち合わせてはおりますが、それと社会性との打算は、常に自分のCPUが演算するわけですから、KYは、もはや本能と言えるかもしれませんっ☆ ですので、今回の記事の趣旨から考えますと、現在の人間の本能とは「自分が何を求められているのか?」を追求する能力でもあり、繁殖・世界を広げる等の、その他の角度からも考えられますが、やはり、人間が人間である以上は、「求められたり」、「求めること」で、「今」が成立することが多いわけですっ☆ 損得勘定をすれば、それが出来れば得でして、出来なければ損なわけで、もし「成功や幸せ」、ということで考えるのなら、やはり、本能すらも自分の思いのままにするほうが、それに近づけるのではないか?と思うわけですっ☆ これまたパラドックスですが、自分とは何か?と考えて、「自分とは他のためにあるのだっ☆」、そして、「他は自分のためになるのだっ☆」、という理屈のスパイラルの展開が、もっとも啓発的なのである、と哲学できるわけですねっ☆(笑) 今、日本には何が求められているか・・、それは新しいビジョンですよねっ☆、皆が人生と毎日がやる気になりまくるくらいの、圧倒的なビジョンですっ☆、私はそれが「思想というもの」だと思うのですけどねっ☆(笑) |
|
こんばんわっ☆
今日は政治と生物学を掛け合わせて哲学してみようと思いますっ☆ NHKスペシャルの大ファンであります、私、思想家Sですが、ロシアの動向をドキュメントした番組が、ここのところ何度か放送されておりますっ☆ グルジア紛争を吹っかけた超大国のロシアですが、冷戦終結後、経済の低迷、国家の凋落を経て、中国で言う改革解放政策みたいなことで、国家の原資を専有化から市場化して、民衆の力と経済のダイナミズムで経済復興、国家の威信回復を果たしたわけですが、もとより広大な国土を保有しているロシアですから、その気になって国土開発をすれば、いくらでも外貨を稼げるわけでして、やはり社会主義国家とは、体制の保身を優先する傾向が強いという前提があるようですっ☆ NHKスペシャルの放送の結論によると、やはり最近のロシアの動きとしては、過度のナショナリズム・強いロシアを復活させようという帰来がある、ということです。 ロシアのエネルギー政策で、EU方面にガスのパイプラインを敷いているわけですが、エネルギー価格の高騰を理由に、一方的にガス価格の値上げを決定し、値上げ分が払えないから供給を調整した、と、先般のニュースで大きく報道されましたっ☆ これは明らかに、国際社会に対する挑戦状だと言えるでしょう。 国土が広く、資源がふんだんにある国家なわけですから、その資源を売りたくなるのは当然で、また買う方も、自前で開発するよりも他から調達したほうが便利なわけですけども、ガスは寒い地方にとっては、まさに生命線なわけですから、それが分かっていて一方的に価格を操作するなど、明らかなる挑戦以外の他の何者でもありません。 この問題に関する公式な弁明では、「市場原理の末の当然の決定である・・」みたいなことを、国家元首の方がおっしゃっておりましたが、それは結果論であって、それまでのプロセス、専有化→市場化→専有化、という経緯がガスプロム社にはあるわけで、しかもそのやり方が、財閥の経営者を法律の超解釈で逮捕して、その上で国家が会社をのっとったわけですから、やはりこれは明らかな挑戦だと言える裏づけがある、ということでしょう。 こうゆうことをあまり大袈裟に書くと、KGBの工作員に放射能を盛られて暗殺されますので、あまり強調しませんが、やはり大国は大国のプライドがある、ということなのでしょうっ。 先だって放送された回では、ロシアの軍事事情について放送されておりました。 少年や青年を幽閉・管理して軍事教育を施すという、まさに日本が戦前に施策していた手法と、この時代において全く同じことをやっているわけです。 さらに危惧することは、そういった事を日本のメディアに堂々と公開している点です。 「何を隠すことがあるのか?」といわんばかりの、まざまざしい態度であります。 戦闘機内の映像や、その訓練の最中の映像・・、私は驚きと共におぞましさの感覚すら覚えました。(汗) なぜなら、開きなおって悪い事をする悪人ほど、タチの悪い存在はないからです。 ナショナリズムが悪か?と言えば、一概にそうとも言えないですが、元気がありすぎて気合が入りすぎると、やはり自分の成立・保身以外に、相対的な存在を意識したり、競争原理が過度になるというのは鉄則であります。 なので、それに負けじと別の大国Aなんかがよからぬことを言い出したりするのは、歴史が証明している簡単な原理原則ですから、賢い人間の集団である日本は、このままコバンザメ戦法に徹するほうが無難である、と私は平和的に考えるのでありますっ☆ 私は、「他人と比べて何が楽しいのか?」、自分の成立とはその他との戦いもそうだが、最も大事なことは、自分の核となることを見つけ、それを磨くことである、と思うのですっ☆ それが未開の地の開拓だったり、豊かな土地の侵略だったりするのであれば、もしそれが「際限あるキャパであると認識されていること」であれば、まさに愚かなことである、と言えるでしょう。 そして、ここでようやくタイトルの内容ですが、「生物の至上命題」とは、まさしく自分の世界を広げることなのです。 蟻はコロニーを拡大することが命題ですし、ネズミは活動領域を広げるために人間の繁華街に繁殖を広げます。 人間だって全く同じ事です。 生物であれば、やはり自分の世界を広げることに徹するべきであって、もしそれが「命題ではない」とするならば、それは生物ではないとするか、世界の定義を変える必要性が出てくるのですっ☆ ここで、これまでの説明のちょっと矛盾するようですが、まさにそれが今回の記事の狙いでありましたっ☆ ロシアは明らかに諸国に支配域を広げる戦略であります。 では、ロシアは生物の本能に従っているだけなわけです。 しかし、際限あるキャパである地球上で、どんなにその正義を振りかざしたところで、その可能性たるやしれております。 では、第三の案として考えられることが、世界の定義を変えることですっ☆ そうです、まさに世界とは地球ではなく、宇宙のことなのですねっ☆ 地球上で軍拡とかするから厄介なのですっ☆ 科学力を磨いて、どんどん諸惑星の探索なり開発を進めるべきですっ☆ 次世代の思想を作り出す私としては、そのことに貢献できる国が今後の一等国となるでしょうっ☆、と宣言できますっ、これにはかなり自信がありますっ☆ では、次に有望な国はどこか?、それは紛れも無く、我が国「日本」でありますっ☆ 経済大国であると同時に、科学大国でもある我が国ですが、本当にその気になれば、科学の力で地球上を支配することだって可能です。 ですが、我が国は平和国家ですから、世論はそうした野蛮なことを好まないのですっ☆ 未知なるフロンティアが平和的であれば、恐らく、我が国のナショナリズムは、一斉にそちらの方へ向かうでしょう。 なぜなら、それが生物としての至上命題である、自分の世界を広げることに繋がるからですっ☆ 狭い世界でチョコチョコやっていても、なんの解決にもならないのですっ☆ では、最後に問題ですっ☆、Q、宇宙が狭くなったらどうすればよいのでしょう・・??、 A、人間が宇宙を支配した際には、もはや生物ではなくなっているので、問題が問題ではないのですねっ☆ |
|
おはようございますっ☆
なんだか風が強い本日の関東平野ですが、春一番というやつですかね〜・・、昔の言い伝えって、大概当たってるわけですが、ともすると、自分の都合の悪いものは、疑わしく思えたりするものですっ☆(笑) さて、昨日くらいから4月みたいですが、いわゆる新年度というやつですが、学生は新学期で、企業人は新人研修みたいなやつですかね〜っ☆ 最近の新入社員は、3年以内に辞める人が大半って言いますけども、逆に4年以上も続ける人の傾向ってどんなでしょうね〜?? 辞める人の傾向って掴んであると思いますが、続ける人の傾向ってどうなんでしょうかっ?? 例えば、YESマンとか、洗脳し易い人間とか、辞表を出す勇気が無い人とかですかね〜っ☆(笑) 私が思うには、24とか25くらいで、人生の方向性が定まるほうが可笑しいと思うのですっ☆ 現在26の私ですが、たぶん30になっても40になっても、迷う部分は迷いますよ、きっと・・。(汗) 「だからこそ同じ仕事を継続するんだっ」、という生来からの従順な性格の持ち主ならば良いだろうと思いますが、人間とは、コミュニケーションや失敗の経験と、さらに目とか耳のセンサーから受ける刺激によって、気付きやひらめきが生まれて感性が成長するわけですから、いつも同じ場所、同じ環境で仕事をしていても、その刺激たるや、甚だしれていると思うのです・・。(汗) よっぽど優秀な、若くしてヘッドハンティングされるような逸材ならまだしも、そこそこ中流くらいのスキルの人が、どんなに縦社会で踏ん張ってみても、やはり年功序列で昇進する社会である日本ですから、やはり継続よりも転職の方が、自分の将来のためには間違いないと、私は思うのですっ☆ そのまま継続従事して、惰性で生きて適応力・競争力がなくなり、ホントに大事な時期、45とか50前とかに首切りにあって、途方に暮れている人なんてザラにいますからね〜・・。(汗) 人間の特性というものを本質的に理解すると、今の現状において、会社ほど信用できないものはないですよねっ☆ 同僚や上司なんて、ホントにうわべだけのお付き合いで、利用されることはあっても利用することは皆無ですよねっ☆(笑) まぁお互い、戦略と言えば戦略ですが、とにかく新社会人からずっと同じ職場の継続が、いかに人生において非生産的か、ということは、最近でも常識になってきておりますので、このように就職活動なんてしたことない私が嫌味半分で書かせていただいたわけですっ☆(笑) さて本題の「最初が肝心」ということですが、もっぱらの第一印象というやつですが、やはり人間とは記憶を頼りに行動する生き物でありますっ☆ なぜかというと、人間は知能がそれだけ発達しておりますから、感覚的・本能的に判断・行動するよりも、これまでの経験則や、その計画における結果の方が無難であったり、優れていたりするために、やはり知能に頼る部分が大勢を占めていると思われますっ。 知能とそれによる記憶が優位である、ということですが、そうなると、やはりその対象となる事物の評価、つまり印象というやつですが、ワガママな生き物でもある人間ですから、自分のワガママにその事物の内容を知ろうとする最中の情報が、最も刺激的に感じられるわけですっ☆ 例えば、長年付き合っていると馴れ合いになる恋人も、友人の紹介の時点では、良くも悪くも、それなりに刺激的であったはずですっ。 それは、記憶に頼る生き物である人間が、その対象者の記憶を、自分の都合良い形で処理しようとする働きを示すためでありますから、第一印象となる記憶は、極めて重要になるのですっ☆ なぜなら、その印象次第で、次なる行動の指針が決定されるからですっ☆ 良い印象ならお金を弾もう・・、悪い印象ならお金はあげない・・、となれば、良い印象なら、その上げるお金の効果を計るために弾むわけであって、悪い印象なら、その効果を計るまでもない・・、となることと思いますっ☆ 打算的・戦略的に考えれば本来のことですが、人情的・道徳的に考えると、人間とは末恐ろしい生き物でありますっ☆(笑) そして、なぜ今日はこの内容になったかと申しますと、新年度は新番組が多いから、そのことを気にしてみようと思ったわけですっ☆ NHKなんかは、まさに新番組ラッシュでして、長寿番組の趣旨が変わったり、大御所MCの異動だったりと、大変目まぐるしい状況でありますっ☆ そうした番組を観察するに当たり、やはり最初の印象・記憶は当然に重要になると思いますっ☆ 面白い、為になる、と判断すれば、今後も予約を入れるでしょうし、そうでもないかな・・、つまらないな・・、となれば、全くのスルーになるわけですねっ☆ 新入社員の目論見もそうですが、体験してみないと分からないことだらけなのが世の中ですし、人間の性でもありますっ☆ 先日、「先入観」の記事を書かせていただきましたが、記憶は想像を発達させることにもなりますから、記憶が先入観を呼び起こして、実際にその通りに行動するわけですが、やはり自分が浅はかな事に気付いて、軌道を修正しようと目論むわけですっ☆ 主従関係が文化だった昔の日本では、裏切りは絶対NGだったわけですが、終身雇用のそれでは、人生の選択の幅が狭くなることは当然で、人間は狭い世界で生きる蛙ではないわけですから、個人主義が問題になる世の中ですが、やはり民主主義、個人の責任の時代は今のところの正義だと確信するわけですっ☆ ですから、人間は記憶を操る生き物でして、そうであれば、やはり最初の記憶はやっぱり重要ですよっ☆ってことで、今回はサクッと終了ですっ☆(笑) 改めて・・、時が経つのって、ホントに速いですよね〜・・、ついこの間までお正月だったように思いますっ☆(汗) 人生なんてあっという間なのでしょうね〜・・っ☆(良くも悪くもっ笑) |




