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こんばんわっ☆
今日は哲学や思想というか、ちょっとシビアなお話となりますっ☆(汗) 「分別」という言葉がありますが、「これは一体どうゆうことを示した言葉なのか??」ということが、今回のテーマになりますっ☆ 当ブログにおいても再三書かせてもらっていますが、ともすると今の現代人は、行き過ぎた自由と個人主義によって、あらゆるシチュエーションにおいて、「分別」が欠如し過ぎているのは明白ですが、それにしても現在は、文明化の便利社会なわけですから、「鬱陶しい人付き合いをしなくても良いっ☆」となれば、短期的・衝動的には、やはり誰もが自由と個人主義を標榜すると思うのですっ。(汗) こうしたことは、人類の進化と時代の趨勢、文明の発展と事物の高度化という前提があればこそ、揺ぎ無いベクトルであるとは思いますが、それにしても、「何をもって是とするか?」ということは、実に難しい問題であります・・。 ・・例えば、宗教が熱心な地域にある国家・共同体は、その宗教と宗派における戒律や、それに関連した厳しい制約の下で人生にレールが敷かれていて、そのレールの上で生きてさえいれば、個としても全体としても、成功や幸福とされることが毅然として成立しているわけです。 我が国における昨今の事情でもありますが、もしも、そのような枠や決まりがなければ、基本的に厄介な「衝動的思考動物」である我々ですから、正にやりたい放題の無法化とされてしまうわけでして、つまるところ、我が国の実態から推測したら、警察組織や機動隊などの物理的な制約こそ無くなれば、その筋の暴徒の暴挙により、一挙に国家が荒廃するのは目に見えているわけであります・・。(汗) 社会主義や共産主義、圧制国家もそうですが、「全体としての是」や「全体から了解された理想」があれば、本当に「生かされた人間」には有り難いことですが、個人の人格や尊厳を遵守する種ならば、やはり開かれたルールにこそ光明があるわけでして、進化と共に賢くなった現代人の我々は、得てして、「次なる正義」や「分別」とは何か?という命題が、現代においてシビアに突き刺さって、正に当然の論理というわけですっ。(汗) そして、何がどうシビアなのかと言いますと、具体的かつ分かり易く言えば、例えば「結婚」、「子育て」、「仕事」なんかは、まさしく典型の問題だと言えましょう・・。 例えば、とある女性が25歳にして外務省勤務の外交官の男性と結婚し、結婚生活の末、子供二人をそれなりに育てあげ、42歳にて現在の人生に見切りをつけて、「離婚→目ぼしい相手と再婚する・・」、なんてエピソードは、極めて現実的な話であって、まんまと新しい相手を見つけて旅立ったその女性は、まさに自由と未来を手に入れた訳ですが、頑固で格式ばった外務省の役人と残されたその子供は、「その後の人生をどうするのか・・?(泣)」、みたいなことにもなるわけです・・。 あるいは、とある男性がサラリーマン生活に辟易し、脱サラ&多額の借金をして飲食店を開業する・・、なんて話もコロコロッと転がっておりますが、「どこから先が無謀で、どこまでが挑戦なのか?」という線引きは、まさにその脱サラ店主の才能と根性・・、みたいなことでしかないわけです・・。(汗) そうした折に、それらの人生の選択が、「吉と出るか?、凶と出るか?」という話ですが、その選択後の進行に移る前に、やはり「分別」という言葉がネックになると思うのです・・。 こうした内容における「道徳」や「常識」という言葉もそうですが、私が敢えて「分別」という言葉を選んだその理由は、単に「分かり易いから」だと言えますが、「分別」と書いて、「わける・わかれる」と漢字を読み解く事が出来まして、その熟語の本来の意味は、「道理を弁える」、「善悪を承知している」、ということですが、私が思うには、「現代における分別」とは、早い話が「覚悟」ということだと思うわけですっ☆ 考えて気付いてみれば単純なことですが、制約や規律は「不満」を生みますが、自由と個人は「乱れ」を生むわけで、そうした折に、人生の重大な選択を果たす際には、「何をもって是とするか?」という問題は、「全体の尊重なのか?」、「自我の開放なのか?」ということになり、どちらにしても、その先にあるものは、リスクでもあり、冒険でもあり、ややもすると「覚悟」という事になると思うのです・・。 分別が「分かり易い言葉である・・」、というその根拠は、「それなりに重要な要素を多分に含んだ内容の表現である・・」、ということですっ☆ 「分別のある人間」・・、となれば、道徳心・倫理観・社交性・弁え・自己研鑽・全体思想・自己犠牲・奉仕の精神・やるときはやる気概・・、という風なことだと思うのですが、ちょっと背反や矛盾も感じますが、「漠然とした具体性」という感じで、ちょっと「ぼやかした本質」くらいの方が、人間の脳にとっては了解しやすい事ってあると思うんですっ☆ 例えば、「これが象徴ですねっ☆」よりも「これは象徴的ですね・・。」みたいなことです・・。(笑) 結局、私が今回何を言いたいのか?と申しますと、「分別とは、現代においては何ら実態の無い概念である・・」、ということだと言うことですっ☆ 「折衷」と言いますか、「相対的」とでも言いますか、つまるところ、物事が完全に自由だったら、「本質的な分別」なんて、無きに等しいものであろう・・、ということです・・。(汗) 新社会人の離職率が高いのも、芸能人の新婚カップルのスピード離婚が多いのも、転職サイトがやたらと多いのも、総理大臣がコロコロ変わるのも、実は、こうした理屈を鑑みると、極めて理が伴った行動及び結末なのであって、現代において、「分別たるやなんぞ・・??」と問われて、理想や建前を抜きにして、「本当のところはどうなんでしょうか・・?」となる人って多いと思うんですっ。(汗) ゆくゆくは、世界中で人間が種としての統廃合が加速するわけで、国家や共同体の再編が進んで、生存競争の淘汰社会となるのは目に見えておりますが、それにしても諸行無常において、昨今の時代の移り変わりのスピードは、元来からのものに比べると、目を疑うほど目覚しいものでありまして、そんな次世代の思想を担いたい私ですら、日頃の気付きや発見に一喜一憂しているわけでして、そんな頃合いに「分別とは?」と考えると、「本当に意味を為さないことってあるんだなぁ〜汗」っと感慨を深めたわけなのですっ☆(笑) ・・そうは言っても、まだまだスクエアな常識や、全体の道徳心だけで存命されている方も多いですから、今後30年くらいは、「分別は分別のまま」なのでしょうけども、当ブログに関心を持って頂いている人生のセンサー・アンテナが敏感な人は、高度の文明人たる個々としても、徐々に「分別とは覚悟なんですっ☆」という哲と気概をしかと持つべきだと、私は強く言いたいわけなのですね〜っ☆(笑)おしまい |
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2019年05月16日
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