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こんばんわっ☆
やはり、いつもながら思うことですが、人生が「何だったか」分かって死にたいですよねっ☆ というのも、なぜ人間は、成功したり幸福になりたいのか?と考えたときには、五里霧中の生涯ではあまりに切ないために、自分という存在がちっぽけであるのは、誰しも知りえていることですから、せめて「これで間違いないなっ!」という答えを得てから、その生涯を終えたいと願うのは、頭が良くなった人間の常であると言えますっ☆ 例えば、現1000円札の「野口英世さん」は、黄熱病にてその生涯と終えてしまったわけですが、そしてその生涯は、細菌学に捧げられていたわけですが、当時の技術では、細菌についてようやくわかり始めたころで、それよりもはるかに小さい「ウィルス」について調べることが出来なかったために、野口英世さんは、そのウィルスの存在を知らぬ間に、無念のうちに亡くなってしまったわけです。 これでは、最期に死ぬ死に切れない思いだったに違いありませんが、それでも、自然の摂理は無情なもので、容赦なくその運命を遂げさせたわけなのです。 そして、このことは何も大きな偉業を果たそうとした偉人に限ったことではなくて、一般庶民にも広く言えることだと思うのです。 例えば、どうしても子供が欲しかった女性が、不妊のために子供が出来なかった場合には、大変な敗北感の末に、その生涯を終えなくてはなりませんし、あるいは、どうしてもお金持ちになりたかった上昇志向の人が、志半ばで、結局ジリ貧の人生で終えてしまえば、それも相当な無念になるわけです。 人間、「無念のままに」死ねないのは、頭の良い狡猾な現代人にとっては、誰でも常に念頭に置いている尺度だと言えるはずです。 そんな私も、いくら悟りを開いたとはいえ所詮は人の子ですから、実際の生活や人生が望むべくものでなければ、当然、物事の考え方が卑屈になっても致し方がないことなのだと、自分の拙さに、改めて悪い意味で感慨を深める次第なのでありますっ☆ そうは言っても人生80年・・、何とかこれからの変化に喰らい付いて、人生が「何だったか」分かってから死にたいと思いますっ☆(笑) そうした折に、皆さんはどのように考えるでしょうかっ☆(笑) |
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2019年06月27日
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