思想家 清水竜志のブログっ☆

今までありがとうございましたっ☆m(__)mまたどこかで会いましょうっ☆ヽ(^o^)丿

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こんにちわっ☆

今日は何でもない日曜日・・、別に何があるわけでもなく・・、「またきっと来週も同じような日曜日がやって来るのだろう・・」と、思うかどうかは知りませんが、とにかく現在の暦の中での確実絶対の日曜日っ☆(笑)

・・さて、今日はふいに「困難」について考えてみよーと思いますが、ともすると、人はその人生において度々「困難というもの」を体験すると思います。

調べてみると・・、

「困難」 = 物事をするのが非常にむずかしいこと。苦しみ悩むこと。苦労すること。

とありました。(※yahoo!辞書参照)

では、そもそも我々人間が、何故「困難」という感覚を感じるのか?、若しくはそうした状態を想像出来るのか?という事が言えなければならないと思いますが、まずそれを一般的に考えてみれば、「困難が無く、人生そんなに簡単に物事が解決してはつまらない・・」とか、「何かを達成するという事は、裏腹には困難を乗り越えるという計算から成立する・・」みたいな事が精神論からも言えるんだろうと思いますが、そうした一般常識のスタンスも去る事ながら、私が思想家的に指摘したいと思う事は、これはつまり「運命」だったり「種」という事なんではないのかな?と思うのです。

・・どうゆう事かと言いますと、まず「運命」という事なんですが、このブログでも何度も申し上げているとおり、物理の空間と時間の制約を受ける我々(あらゆる生物)の話ですから、つまり今目の前に起きている事実・現実とは、それが何よりも絶対的なのであり、またそれ以上以下でもなく、その連続を想像する事が「未来」なのであって、「過去」とはつまり記憶と記録から想像される偶像であり、では現実という単位に実態や実質はあるのか?と言えば、それとなく質量だったりエネルギーとされる事がおそらくそれに当たると言えるように思えるわけでして・・、ではそうした事から、「運命」とは「ただ今がある・・」という認識と単位が感覚的に起こっている事実を情緒的に言わしめているものが「運命」なんではナイのかな?という事でして・・。

それと、「種(しゅ)」ですが、生物学的な遺伝や生態という事もそうですが、「種」以前の「個」は、やはりそれ以上以下でもない、ただの個なわけで、それはこの広い世界にたった一つの希有で希少でそれ以外に無い、絶対的なものが個なわけで・・、そしてそれが相対的に、何かの優位性だったり存在の意義や価値や競争力みたいな事が言えるのであれば、学術的にも「種」だと言えるように丸めこまれるわけでして・・、ですから、いざそこに「何らかの個」が存在すれば、それは相対的な「種」なのである、と言えるわけなのです。

・・ちょっと意味が不明かもしれませんが、それで颯爽と「困難」の話に戻りますが、ふと、とある個体がそこにあって、それがハムスターでも人間でもトムソンガゼルやヤンバルクイナでも構いませんが、やはり営みを継続する上においては、何らかの困難がその個体にのしかかろうとするわけですが、では何故困難が訪れるのか?と考えれば、それが「種」であるためには、やはり相対的に「その個体が種であるための競争などの営みを果たさなければなりません」ので、それが単に自己実現でも良いですが、ではその自己実現を果たす代わりに捨てるもの、早く言えば「代償」として払わなければならないものが、すなわち「困難」なのであり、またそれを「運命」という事で言えば、その個体が生態として存在する上においては、「その事象そのものも運命」とも言えるわけですが、その先の営みについても、物理・空間・時間の前提の話ですから、どうしても「運命」のタガがはめられてしまう、とごく自然に考えられるわけなのです・・。

そうした事からも、「我々人間がなぜ日々困難を感じるのか?」と言えば、まず相対的な競争が種や個としてあって、全体の趨勢としては、それが繁栄やら成長・進歩発展なんかを果たすためには、まず「困難ありき」での事が言えなくては、そこに運命も無いですし、今ままでの歴史の事も言えないわけですし、最初の話に戻りますが、一般常識の事も言えなくなるわけなのです。(月並みですが、「困難」が無ければ「喜び」もまた無いのです・・)

・・まあ、全ては反動なんですよね、つまるところ・・。(笑)

人生色々、日々の困難もまた良し也・・。 by思想家S おしまい
こんばんわっ☆

ついこの前年明けを過ごしたかと思えば・・、今こうしている今日は、もう既に3月1日ではないですかっ。

つい先日だと思える日にまた新しい暦が数えられ、その後のこの2か月間・・、思えば自分の人生に対するレスポンスが一体どれだけあったろうか・・などと考える程ではありませんが、とにかく我々の時の流れを感じるなどという認識は、人が生まれてから意識や感覚を覚え、その後死んでいくまでに決して休まる事のない、何よりも絶対的な事象だと言えるわけですが・・、ともするとそんな事を考えるいとまも無いほどに、実はあっという間の持ち時間の消費が人生なんて括りなのかもしれないわけでして・・、とすると、気がつけば「あぁ・・もう90歳になっておりましたね〜・・汗、こんなんで人生いいのでしょうか・・?汗」なんて事にもなりかねず・・、しかしながら運命なんてものはそれを留めたり保障するものでもないわけで・・、あるいは時間や人生や生命と言わず、あらゆる物事は一切過ぎ去ってしまう無常のものなのでしょうね〜・・、と割り切る事も出来るかとも思いますし・・。

そうは言っても、今の私の能力で言える事は、物理の相対性理論から察するに、一生懸命だったり夢中で熱中している事がある人なんかは、時間の感じ方というものが大変に早いようでして、もしも誰でも寿命が同じなのだとすれば、「そうした人はあっという間に死んでしまう・・と感じられてしまう」という事になるように思いますっ。

時間の消費をもったいぶって、インチキ臭く長い長い人生を送るのか・・、あるいは覚悟を決めて相対的な時間の消費を恐れずに、あっという間に過ぎゆく人生を選ぶのか??みたいな事は、今の時点で確かに言えるんだろうと思いますっ☆おしまい
こんばんわっ☆

今日は日中暑いくらいでしたね〜っ・・(驚)、皆さんは今日のお天気、どう感じましたか〜っ??

さてさて、日々忙しく生きる私思想家Sですが、ややもすると「希望」というかあるいは「展望」でしょうか、とにもかくにも、まずはそうゆうものが今の私の芯の部分をしかと形成しているように思いますっ☆(なんとなく・・笑)

・・と言いますのは、私が思うには、「想像力7、本能3くらいの割合で生きるのが現代人」だと考えるものですから、やはりそこは「希望」やら「展望」というものがあって、次に現実がそれに伴って行くっ☆、というのが自然であって、あるいは実際とも言えるのではないのかな?と思いますゆえに、今しがたそう書かせてもらったわけなのですっ☆(笑)

それで、今日は一体何を申し上げたいのか?と言いますと、恐らく「一日」という単位の考え方・感じ方の話なんだろうと思うのですが、それで私が思う「一日」というもの括りですが、つまりそれは「寝て起きて、生きてまた寝る・・」という単純でそのままの事なわけでして、しかし実際には、単純でそのままの事が我々の一様の営みだと説明が出来ようかと思うのですが・・、まぁそれが長いスパンで行けば、「生まれて生きて、死んでいく・・」という事が世に言う「人生」という単位なわけですが、・・まぁ、そうこう考える以前に、まずは「幸せ」だったり「救い」だったり「成功」や「安楽」を望むわれわれ人間の事ですから、そういう事を望むそのための「良い人生」は、何を隠そう「良い一日からっ☆」という理屈がなんとなく通るはずですから(笑)、では、「どうすれば明日を今日よりも良く出来るのか?」と考えれば、なにはともあれ「善行ありき」なんではないのかな??と思うのでありますっ☆

・・また「善」などと言うと、右だ左だと面倒な事にもなりかねませんので、ここは私らしからぬ一般論というか常識論で言わせてもらえれば、「善」とはつまり、「それが人のためになり、また巡って自分のためになる」という事だと思えるわけでして・・、あるいはその逆もありますし、または同時にそれが起こる事もあるでしょうけども・・、まぁ、そんな所がいわゆる「善」と言われる事の概要なんではないのかな?と思いまして・・、では、どうして良い人生には「善」が必要なのかな?と考えれば、自分が幸せになりたい! → 自分のために頑張る! → 自分のために!は巡って人のためにもなる! → では人のためにも自分のためにも頑張る! → 結果自分が幸せになるっ☆、という一見勝手なやじるしの進み具合でよろしいと思うのですっ☆(笑)

(ちょっと強引ですが)・・ですから、なんとなく明日また一日という単位が始まり、また夜になり今日という一日が終わるという単調で退屈な繰り返しがまたどこかにあるとすれば、そこにふと「善」なんかがあれば、それはそれで、ふいにやじるしが勝手に上手く進むんだろうと思いますので、そうすれば、ほんの少しでもミクロンでも宜しいと思いますので、「この世界の一日は、何らかの自分の善によって形成されるっ☆」くらいの勢いで明日の自分の心構えをしておいてみて、また明日やってくる勝手な一日を、どうぞ充実させてみてみて下さいませませっ☆(笑)おしまいまい
こんばんわっ☆

・・たまには愚痴でも書いてみよーと思いまして、こうした↑タイトルになったわけでして・・。

何を隠そう、他でもない極度に私的な話で恐縮なのですが、ふいに・・、例えば私が嫌いな「全体主義」という思想形態がありますが、あれは単純に一言で言えば、「みんなのためにみんながあるっ☆」という明らかで明快でそのままの「理想」を語っているわけなのですが、・・ただですね、物理の世界で生きる我々の事ですから、つまり「現実」というものが何よりの「絶対」なのだと思う私からするとですね・・、つまりそんな「偽善」や表面的でうすっぺらい思想はですね、根っこの部分ではワガママで利己的な人間の事ですから、そんな理想は行き過ぎればエゴとなり、もしもそれが成り立っても、良くて「短命」若しくは「どこかに偏っている」に違いないわけなんですよね・・。(「利権」然り「体制のエゴ」然りです)

それでですね、話はそこまで大袈裟ではなくて、「国家」とか「政治」とかでもないですが、つまりは何を隠そう私が何を言いたいのかと言えば、一重に「人間」だったり「個人」の事なんですが、考えてみればDNAとか遺伝とかの事なのかもしれませんが・・、ですが一般的に言う所の社会が創造する「世間体」というやつなんだろうと思いますが・・、それは対面性や対外的な上辺の正義を重んじる態度や姿勢や、あるいはそうした人生の歩み方とでも言いましょうか・・、それで、私が感じる日本人の80%とかそれに近い割合の雰囲気及び勢いにですね、そうした種類の人々が、それは例えば「偽善」だったり熱烈な全体主義者か社会主義者みたいな具合にて、結構それなりにそういう風潮が蔓延っている事実があるわけなんですね・・。(妙に遜っている人とか、絶対にそんな風に思っていないくせにイイ子ぶる人とか、いざのいざとなれば本性を出す・・みたいな)

それで、結局私はそうした人が極度に苦手なんです・・。(いやホントに・・汗)

ふいに・・、貝の「牡蠣」ってあるじゃないですか・・、あれは私の中では「エイリアン」でして、あの生臭い味も去る事ながら、見た目からもとてもとてもあれが食べ物だとは思えず、旧来より私の感覚器官がそれを食物だと認識してくれないわけなのですが・・、そうした「牡蠣」と、偽善者だと思える人の事ですが、私はそうした種類の人が、「エイリアン」か「絶対に食べたくないものNO・1」と似て非なるか若しくは同じくらいに苦手か嫌い思えるわけなのです・・。(汗)

これまでの歴史が証明しているように、やはり「自由」と「競争」からの成長発展を望む事からすると、当然にその抵抗勢力になり得る社会主義者も私は嫌いなのですが、まず基本的にそういう考えと趨勢が世界にあるとして・・、まぁ、とにかく、「偽善者」は個を顧みない「社会主義者」とも似ているところがあると思うので、何を隠そう現実現実のこの世界の話なわけでして、それと人間はワガママで勝手で崇高な生き物ですから、それで党を成したり、全体としてどこかに偏ったりしていては、そこから純粋で活き活きとした本来の姿や結果が望まれなそうなわけですから、現在、社会として、ある程度の縛りありきで全体を考える事が出来ているのなら、やはりそこから先の事は、個がもっと活かされるべきであろうと思いますので、そうこうと考える事もそうですが、「とにかく偽善はおかしいっ!」と言える事が、個々の精神衛生の事もそうですし、おそらく昔から言われる「ヒトトナリ」もそうだと思いますので、そうした事を含めて、今回の記事で私が勝手に言いたかった事なのですっ☆おしまい

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