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生きて行く上での悩みごとを選択問題にすれば早く解決するかも知れない。
二択問題が一番解決は早いし、時間もかからない。
例えば恋の悩み事なら、
相手を好きか、嫌いか。
仕事の悩み事なら、
続けるか、やめるか。
人間関係なら、
縁を続けるか、遠ざけるか。
自分はそんなに割り切れないと思えば、
三択、四択、五択の方法を考えて選べばいい。
五択以上になると悩み事解決に至らず、
問題を考える事に時間がかかりすぎてしまうので解決には至らない。
選択権は自分自身。
基準は、自分が生きていく上で幸せだと思う方を選べばいい。
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躾
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今の社会の仕組みに似合う人を磨き上げて、人が財産となるような人を創り上げる仕事力を目指しています。
どんな風に生きればいいかなぁ〜?!
どんな人になったらいいのかなぁ〜?!なんて事を一緒に考えると
いいかも!!
どんな風に生きればいいかなぁ〜?!
どんな人になったらいいのかなぁ〜?!なんて事を一緒に考えると
いいかも!!
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出会いとは、その人にとって必要で必然だから出会いうのだ。
それは、自己成長に必要だから起きるのだ。
という考えを理解するにとても時間がかかった。
だって、
人との出会いも、いいこともあれば、悪いこともあると感じてた。
出来事も、楽しいこともあれば、つまらないこともあると感じてた。
でもね、
いいことも、悪い事も、楽しいことも、つまらないことも、
すべては自分の心が決めること。
自分の心を自分で責めてはいませんか?
縛りつけてはいませんか?
どうして自分で苦しむ方向を選ぶのですか?
自分の人生じゃない
いいことや、楽しいことが沢山あるほうが嬉しくないですか?
だから、出会いや出来事は自分にとって必要で必然と
心持ちを持てば、
であった人は、私に必要で、何かのメッセージを伝えてくれるんだと思いながら付き合うと、その中で見えてくる出来事がおきて、
なるほど、この出来事を知らせるために出会ったのねと感じることができないだろうか??
最近普通の女子社会人と思っている私の出会いを考えると、
今までの出会いは、普通の女子社会人に比べて
ありえない人達に出会いっている。
しかし、これが私の普通なのだ。
言い返せば、
出会いとは、その人が必要で必然だから選んでいるのかもしれない。
それは、自己形成の為に!!
人は、自分の存在価値について自信と責任を持つべきではないだろうか。
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この間の会合で、
子どもたちの様子を伝えましょう。という任務にて
今のゲームや、TVに慣れている子どもたちが、
何もない場所でどう過ごすかという観点で3分程度の私の話といえば、
子どもってすごいんです。
何もないところで、遊びを作ってしまいます。
時には、一人で、時には仲間と
仲間とのトラブルは多少ありますが
それも、彼らの成長の証ですね。。。とやんわり話した。
その帰り道
では、私の子どもたちのトラブルを起こした時の指導概念は、
自己責任を伝えていくことkなぁ〜と思う。
例えば子どもたちはトラブルに出会うと
「〜チャンが悪い。」だの、「自分はやっていない」だのと言い放つ
確かにそんな場面もあるかもしれないが、
人のせいにするのはとても簡単で、楽なのである。
かつて自分もそうだった。
親のせい、社会のせい、会社・上司のせい、etc・・・
〜のせいにするととても気持ちが楽になることは確かなのである。
しかし、その問題については何も解決しない。
〜のせいを責めても状況は変わらない。。
だから、トラブルの場面に出くわしたとき、
自分だったらどうするか!
自分だったら何と言葉がけるか!
これだけで子どもの柔軟性は優れており
泣いたカラスがもう笑うのである。
大人が見習わなくてはならない
自分を変える柔軟力である。
人を変えるのではなく、
自分が変わらなければ前には進めないことを伝えたい。
まぁ、
まれに、前に進みたくない人もいるけど
それは、それで、人の価値観なので、
私の心の中では、冬眠中の人と名づけている。
春の来ない冬はないからきっと目覚める事を祈りつつ・・・
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する側から、受ける側の職場での研修にて、
講師は大学の教授、大阪出身で、大阪弁トーク
社会福祉について考える。
福祉って人間を対象に全ての方必要なものらしい。
子ども達を手助けするには、自分の過去と向き合っているという心構えで、
年配の方を手助けするには、自分の未来と向き合っているという心構えで、
貧困や障害などに困っている方を手助けするには、いつ自分がそうなるかもしれないという心構えで
援助すると人間らしい対応になるらしい。
確かにそうよねぇ〜
人は時として、「〜をしてあげている」と上から目線になるし、
教職を身につけているなら「教えてあげなきゃ!!」なぁ〜んて一緒の職病におかされてしまう。
全ては人対人んだから平等でないといけないのに
心の中にひそむ、おごりや、優越や、自信から弱者に対しての感情を持ってしまうものよねぇ〜
子どもは、小さい人
年配は、人生を沢山経験した人
貧困や障害などに困っているのは、つまずきのある人
人の定義は何一つ変わらないらしい。
確かに!!
ついでに、自分らしさとは、自分で勝手に判断するのではなく、
人の前でいかに振舞えるかが
その人の持つ本当の自分らしさらしい。
そうね、この世の中に自分しかいなかったら
自分らしさも評価されなくていいのだから
気にする事はなくなるわよねぇ〜
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幸せの基準はその時々で変る。
それは、自分の心が動くから。
何故心が動くかといえば、毎日いろんな出来事が起きるから
それに巻き込まれていると
「幸せダァ〜」と感じる感情が変化し、基準が変ってくる。
いろんな出来事とは、仕事であったり、家族であったり、恋人であったり,
etc・・・
共通点は人との関わりの中で変る。
でも、幸せの原点は、
今日しっかり働いて眠りにつき、
明日目覚めてお天道様を拝める自分ではないだろうか??
命がつきたら拝むことできないものね。
ただそれだけの事なのに。
幸せを感じるための欲が増えてしまうのは何故だろう??
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