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ある日僕は、人生の螺旋階段を登るのをやめた。
やめたとたん、また違う螺旋階段が表れた。
仕方がないからその螺旋階段を登ってみた。
そのうち疲れて階段を登るのをやめた。
「あーあ疲れたなぁ」と思ったとき誰かが「二人で登らないか」と
言ってくれたような気がした。
当分二人で登っているような気持ちで登っていくと
そこに未来がない事が声をかけてくれた人には分かっていた。
僕も初めからそうなるのではないかと思っていたが
一生懸命だった。
一生懸命さをその人は教えてくれた。
そんな矢先に、また別の階段が現れ
「僕も一緒に登りたい。」といってくれる人が現れたような気がした。
一人より二人、二人より三人の方がいいに決まっているし
螺旋階段を登るのをやめた僕には
いいとも、悪いとも言えるわけなかった。
その人は、心の安らぎを求めた。
心の安らぎは、自分で見つけるものだと僕は思っていたけど
その人は、僕に求めた。
求められたら断る理由もないので、
一生懸命心の安らぎになってみたら
その人は、自分で心の安らぎのやり方をみつけて
階段は、細くなった。
一生懸命さを教えてくれた階段も、
心の安らぎの途中で細くなった。
僕は、これで本当に螺旋階段を登らなくていいなぁと
少しホッとしたら、
「愛というなの階段を登ってみないか。」と声が聞こえたようなきがした。
目に見えないものを信じる僕でないが、その階段も悪くはなさそうである。
すべて、僕のエゴから成り立っている物語
生意気なはなしだし、わがままでもある。
でも僕は、その時、その時、マジで登ろうとしていたんだ。
本当に、本当にその事を考えようとしていたんだ。
僕が、僕でいれた階段だったんだ。
僕はいったい何者で、どうして生きて生きたいかを知るために
螺旋階段を登るのをやめた僕の前に階段はあるし、
僕が新しい階段を選んでいるんだ。
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