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暑いなぁ。室温は35度を突破せずだが、自律神経が夏モードに入っていないせいか、熱が体内にこもって困る。
夏は水分摂取を控えましょう。というのは、一般的な注意事項とは逆だが、私の場合常に水分過多になりがちで、そのノリで夏に突入するとむやみやたらに汗をかくハメになる。汗臭いしミネラル無くなるし、良いこと無しなので、適度な水分摂取を心がけます。 昨日もジム的なところで汗を流しましたが、まだ成果は遠いようです。当たり前です。続けることが肝心です。来週も頑張るぞっと。 “ヒンヤリ”商戦、この夏も熱い! 敷くだけジェルマット参戦続々。MSN産経ニュースより。
ジェルマットです。使ってませんが、どうなんでしょうか。別に扇風機の直風で十分な気も。体には悪いのだろうが。今はまだ、熱帯夜というほど暑くない。夜になればそれなりに気温が下がっているように思う。でも、夜でも35度ぐらいあるような時期になると、それではキツイかもしれない。そんな時期が本当にあるのかどうかは別として。 そーいや、地球温暖化ブームは去った感じ。まぁ、企業がエコエコ言ってるのがどれだけ参考になるのかは不明だが、エコは残ってるのかも。 しかし、実際のところはどうなんだろうか?長い時間軸で見れば、地球の大気は薄くなる傾向にあるのではなかろうか?気体は軽いので、引力圏ギリギリにあるような気体は時々地球外へと投げ出され、ゆっくりと少しずつ数を減らしていくのではないかと。しかし、地球本体からどのぐらい大気へ補充がかかっているのか分からないので、あくまで地球時間では減少傾向という程度の話になるのだろう。大気が薄くなれば、当然保温能力は下がる。こうなってくると、火星のようになる。逆に、大気が濃くなれば、金星のような火の星になる可能性も無いわけでは無いが、あそこまで地球の大気の濃度が高くなることは…考えにくいので、こっちの可能性はほとんど無さそう。 でもまあそれもあくまで太陽系が維持される間の話であり、それまでの間にその状況が生まれるかどうかは計算上の問題。当然、太陽活動の減衰具合も関係してくるので、簡単に割り出せる問題では無いだろう。ともかく、太陽系が永久的に継続するという仮定に基づけば、地球は最終的に火星のような星になるのだろうと思う。 【一芸アイドル最前線】ミステリーアイドル・瀬口かなさん(18)「背丈が小さなおじさんの妖精が…」。MSN産経ニュースより。
ニュースが無いのでなんとなく。 どっかで聞いたような話だ。 知覚と記憶を混同しやすい脳構造でも持っているのかね?超常現象は、出合う人は何度も出合い、出合わない人は一生出合わないという実に胡散臭い側面を持っている。当該現象が均一的事象であるのなら、その遭遇率はおおよそすべての人について平等であるべきだ。偏りが生じるのなら、そのことには説明を付けねばならない。 1、霊感がないとダメ。 非常に一般的な解釈。霊感。なんですかそれは?まあいいや、面白いから。 2、錯覚を起こしやすい精神構造を持っている。 1の裏解釈。薬物症状の幻覚も霊感の一種だとか言ったら、霊能者は怒り狂うかもしれない。 3、そういうものに関心のある人は探す。無い人はそういう現象を見逃している。 この意見は退屈。探さないと見つからない超常現象なんか、どーでもいいと思いませんか? 4、そういうのに関心のある人はそういう場所に行く。関心の無い人は行かない。 こっちの意見の方が楽しい。そういうのが起こりやすい場所と起こりにくい場所があるという発想。でも、幽霊の話ならまだしも、超常現象にはUFOとかも含まれるわけで…。妖精さんが見えるとか、どこまで同一視して良いのかは悩むけど、とりあえず、場所なんか関係ないでしょう?って話が多すぎるので、この案は却下。大体この案だと、超常現象の目撃例の大半が、積極的に目撃しようとした例でないとおかしい。 5、超常現象に出合ったという人は皆嘘吐きだ。 極論。そりゃ、嘘を吐いている人がいないとは言わないが、全員がそうかと言われれば…違うだろう。 6、超常現象は、それを異常と認知できる人間と認知できない人間がいるため、目撃が偏る。 1と同じ発想。なんか漫画っぽい。 あまり決定的なアイデアは無さそう。まあ、いろいろ書いたけど、別に彼女に興味はありません。ただ、私は基本的に怖がりなので、ヤバイとか言われる心霊スポットに嬉々として突撃調査に乗り出す彼女を想像すれば、そういう映像は見てみたいような気もする。無いだろうけど。 日韓併合百年で「おわび」検討。ロイター日本語版より。
うーん。別にどうでも良いんだが、歴史問題の区切りは、つかないと思うね。別にだからそれが許されるとかそういうことを言うつもりは無いけど、たとえばユダヤは、今の世界の体制が続く限り100年でも200年でも1000年先でもホロコーストの被害者であり続けるだろう。まだ人類の倫理観は未熟な部分を抱えていて、祖先が被害者であれば今の自分たちがそれに対して怒りを覚えても良いということになっている。100年ぐらいなら当時の関係者は生きてるかもしれない、150年でも当時の関係者の関係者は生きている。そんな理屈を持ち出せば、何百年経っても被害者のまま。まあ、被害者だったことは事実だし、罪は認めるべきだけど、今はもう届かない過去の出来事に現代的価値観に引きずられた私たちがアレコレ文句を付けるのは正当では無いと思う。何より、被害者意識というのは良くない。被害者意識は、自分自身の加害行為を正当化する原動力になる。罪悪感を鈍らせる。多くの宗教が人間の罪を責めるのは、罪を犯すのはいつでも自分の罪を意識しない人間であるからだ。そもそもあなた、本当に純血の「○○人」なんですか?私だって日本国籍は持っていて両親も日本人だけど、私が受け継いだ血が日本人のみで構成されているかなんて知る由もない。たまたま自分の血の50パーセントが被害者の血統だからって、もう半分は加害者の血統なのかもしれない。それに、被害者が加害者ではないと限らない。日本は日本でアメリカにいろいろされたからね。こうなってくると、被害者加害者という色分け自体が、何か正当性とか合理性とは別の地点を基準として存在しているもののように感じられてくる。 ともかく、そういう考え方は多分、今の世界ではタブーに近い位置にあるだろう。こういう主張はしないのが無難。張り切りすぎるとネオナチみたいになっちゃうからね。はーはーわるーござんした。私の考え方は道徳の授業においては落第点です、ごめんなさい。 |

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