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やっと今日から休みだ。最近全然書いてなかったので、どうもワードがおかしい。IMEの学習履歴を消去して対応。単文節変換状態になってたわけですが、いったい何を学習してそうなったのやら。特殊な言葉は辞書ツールを使ってぶっ込んだほうがいいのかもしれません。
今更だが、最後のM-1、どうだったかな?どうせ一般には受けないけど、個人的にはモンスターエンジンが好きです。なので、彼らに敗者復活してほしかったなーとか思いました。でも、なんでピースがあんなに高得点だったんだろうか。そりゃ人気はあるけど。
スリムクラブだっけ?何だか彼らを見ると、ハムを思い出します。食べない方の。特にああいうタイプのネタはゆっくり見たいもんですが、どうなんでしょうか。
東京の人はせっかちなので、レッドカーペット方式の方が好まれるようです。私はあのやり方、嫌いでしたが。時間制限があって、短くまとめようとすると、どうしても早口で間を置かない、リズミカルなパターンが増えてくる。笑いの好みは地域差があるからな〜。東京は、テンポと上手さがメインのコロンとかナイツとかパンクブーブーみたいなパターンが好きなようです。
思うにどうも、ネタ見せ番組が増えて、視聴者が慣れちゃったんじゃなかろうかと。おなかがすいている時なら、嫌いじゃない限り大抵のものを食べたいと思う。でも、満腹に近づいてくると、よっぽど好きな食べ物以外は食べたくなくなる。東京好みの芸人が増えてくるのは、まあ、おなかいっぱいってことなんだろうと思います。もう末期ってことでしょうね。お笑いに関しては、たぶん関西人はグルメで大食漢なので、東京好みだからって受け入れられないわけではないだろう。上手いけどお笑いかどうかは微妙なコロンとか以外なら、受け方に違いはあっても、そこそこ問題なく笑えると思う。ただ、グルメな人は毎日ジャンクフードという生活に耐えられない。おいしく食べられることとおいしく食べ続けられることは別の問題なので、ここにお笑い格差が生じ、お笑いエントロピーの増大が東京にてお笑い番組の減少そしてお笑い多様性の減少を招き、地方では同じタイプのお笑いばっかり見せられて飽きる。そして地方でもそういう番組の視聴率は下がる。まさにお笑い自然破壊というやつですよこれは。なんかそんな感じで、M-1終了も、詮方なきことかな、と思います。別に今回が面白くなかったわけではなく、見る側が変わったってことですね。主観的世界の変質が客観的世界を再評価するっていうか。気分が変われば空の青だって別の青ってことですね。だから感想は、「なんか昔のほうが面白かった気がする」ということでよろしく。別にレベル、落ちてないと思うんだけどな〜。あと、モンスターエンジン見たかったな〜。
東京国際アニメフェア、ボイコット出版社が同日イベント。朝日新聞電子版より。
まあ、子供に変なものを見せたくないという親の欲望は理解できないこともない。頭の良くない人ほど教育の効果を過大評価したがるので、こういう傾向にあるのは、日本社会の保守化と「ウブ」化が原因かなとか思ったりする。
人生を輝かせるのは絵にかいたようなキレイ事ではない。夢と希望にあふれた人生観など、むしろ有害だと私は思う。夢を持って生きてほしいなんて語るバカな大人が増えてるってことなんでしょうね。だから、汚い夢を見せないように、スクールゾーンだけせっせと清掃して満足してる。
人生には動機が必要だ。夢なんてぼやけた回答出してるようじゃ駄目だろう。夢を持てっていうのは、動機を持てってのと同じ。たとえばそれは、子供に向かって「勉強を好きになりなさい」と言ってるのと大差ない。好きになれって言われてなれるなら、私はとっくにトマト大好き人間だ。「好きになる努力をしなさい」これもおかしい。努力で好き嫌いを操作することは可能だが、難しい。その難しいことを可能にするには動機が必要だ。親から言われた程度の動機で、その困難が達成できるとは思えない。
教育ごときで人間の何が変わるのか?人を変えるのは人で、教育ではない。人を変えるのは教育ではなく教育者だ。すでに変わろうという意思のある人なら教育で大きく生まれ変わるだろうが、親の義務で教育を受ける子供にそういう変化を期待するのは無理がある。根本を誤解しておきながら、なにが「子供のため」なのか、私には納得できない。経験不足の大人たちが、馬鹿みたいに躍起になって「原因」を取り除こうとする。代わりに与えるのは「夢を持て」という空虚な言葉。別にそういう時代の気分なんだからそれは仕方のないことだと思うけど、原因を取り除いて結果を押し付けても、彼らの欲望が果たされることはないだろうね。
結局は、マンガが悪いんじゃなく、マンガ程度のものに影響されてしまう人間関係の希薄さのほうが問題。または、マンガ程度の影響力に勝てないと思ってる親の教育力のほうが問題。親の「かくあれ」は良い子は増やすけど、子供と大人の世界を乖離させる。「良いこと」を強要するような親は子供をダメにすると思う。
もっと遡れば、病理はむしろ、叱れない親というところにある。叱れないから、叱らないで済むように子供をカスタマイズするのだ。そのためには、悪いことをした時に叱りつける代わりに、良いことをした時に褒める。子供を型に嵌めるやり方だ。そりゃ、誰にだってこうあって欲しいという思いはある。でも、行き過ぎると、問題が出てくる。本当は、褒めることも叱ることも両方必要なんだ。
親が子供を叱れないのはどういうことか。それは、叱り方が分からないということと、子供から嫌われたくないということがあるのだろうと推測する。前者は、ゆっくり壊れてきた日本の家族システムの問題。叱られてないから叱れないということ。時々感情任せに怒ることしかできない。これは子供の精神を不安定にする。叱られるということと怒られるということが区別できなくなった子供は、叱られただけでビクビクする。叱られるということが愛情の介在しない、存在の否定を意味するように感じられるからだ。それはともかく、後者は、精神的未熟が原因かなぁ?愛されたい気持ちが強すぎて、愛し方が分らないとか、そんな感じだろう。腫れ物に触るように優しくしても、子供は恐縮するだけなんだが。だから子供もいたわるような距離感を保ったまま良い子を演じるハメになる。
マンガを発禁にするぐらいなら、親から見てどうかと思うマンガを子供が読んでいた時に、「こんなもん読むな」と言うほうがずっと効果的だと思う。それでも子供はそのマンガを読むのをやめないかもしれないが、少なくとも、そのマンガがよろしくない内容だということは分かるはずだ。そういうコミュニケーションができないからって、制度を弄って満足してるようじゃ、ちょっと大人げないんじゃないかな?
まー、どーでも良いことではある。そういう時代なんだから、私が屁理屈こねたって、どうにもならないことです。 |
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