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承太郎と丈助の橋の上でのシーン、無様です。 おそらくアニメ作家なら、もっと素敵なコマワリで盛り上げて下さると思います。 何故、あそこを長回しにしたのか? 理解に苦しみます。 お陰で緊張感も失せてしまったし、伊勢谷友介氏が如何に 承太郎役に相応しくないか?を 暴露してしまっている。 致命的に体の厚味が無い事。 日本の実写映画監督による映画化って、このように原作を貶める場合が多過ぎます。 「オープニング映像13分」ですよ? 充分に掴みの為のリミットですよ? なのに、ここで観客を突っ放してしまうお粗末さがこの映画の出来の哀しさを物語っていると考えます。 |
本(漫画もね)読むぞ映画見るぞ
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雑食です!
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会社で、大陸の案件を扱う事がしばしば有ります。
その度に脱力してしまうのが、「精度」の問題です。 「精度」、そのまま「制度」と訳しても、中原では致し方あるまい。 その「セイド」の匙具合は、自分が繋がっている勢力の強弱のほしいまま。 goo.gl/uDfZa9 |
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時代物と呼ばれる分野は自分勝手に大まかに分けて二つに分かれると思うのです。
・歴史小説 ・時代小説 先ずは、歴史小説 20代の頃に、上司から読まされた童門冬二先生作品。 『小説上杉鷹山』 学陽書房 http://www.gakuyo.co.jp/book/b175302.html 『近江商人魂 蒲生氏郷と西野仁右衛門』 学陽書房 http://www.gakuyo.co.jp/book/b175531.html いやぁ、本当に退屈でした。営業に活かす事は出来ましたけどもね。 何れも自分の「読書体験」と言うよりも参考書を「頑張って遣り遂げた感」ってところです。 正直、読んでいる最中は、夏休みの読書感想文の為の「課題図書」に取り組んでる心地。 「歴史小説」って、「英傑の成功譚」を綴ったものが主流ですよね。 日本(や西欧)の封建主義の目標「富国強兵」や「殖産興業」を「斉民要術」でもって 成し遂げる・・・企業家目線の半ばビジネス書の類が多いような気がします。 しかも、童門冬二は元々、ビジネス書からの出発。文章は巧みですが、エンタメとしては 未発達と思いました。 それはそれで、読む人にとっては「グッとくる体験」なのでしょう。 童門冬二先生を槍玉に挙げて申し訳ないんですが、まぁ自分の中では極北の作家さんなので 面白くなかったのは仕方ないですね。 しかし、一方では「歴史小説」に分類される「戦記物」にも、楽しい小説に出会ったりもしました。 和田竜(りょう)先生の 『のぼうの城』 小学館 https://www.shogakukan.co.jp/books/09386196 時代は、安土桃山時代。秀吉に心酔する石田三成が小田原攻めの一環に2万5千の兵を率いて 「天下人の戦」を志し、関東周辺の領土を平らげる途上で、忍城に出くわした。 対して忍城の守備兵は5百人。さてさてどうする?と言う内容。 ところで、忍城を束ねる城代が奇人過ぎる。これには誰とても真似できないだろ。スッキリ。 映画「のぼうの城」とは、ほとんど別物です。 『忍びの国』 新潮社 http://www.shinchosha.co.jp/book/134977/ やはりこちらも安土桃山時代。「天正伊賀の乱」を背景にした作品。リアル北斗の拳以上の 血みどろで、尚且つドライで計算高い世界が伊賀の里で展開されていた。 司馬遼太郎先生の「梟の城」を更に凄惨にした「忍者の心理」が題材になる。 和田竜先生は徹底的に文献に当たられています。 さて、この話題は続くかどうか? |
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「PSYCHO-PASS」の監督、本広克行は、自分より少し上の世代だけど
映画 「ブレードランナー」や「ブルースティール」、そして
コミックの「ヘルシング」に直撃されたのって明らかだね。
銃の変形や他人には聞こえないマナーモード仕様とか
デバイスと通信機能の標準化&統一されているのも
「BLAME!」 と 「BIOMEGA」 の世界観。
排除基準も アンチウィルス の規格で決定され「思考停止」で実行されるのも
似ている。
警察小説ってジャンルがあるのだけど、上記の「ブルースティール」なんかは
それの肥大化した例。
制服へのフェチを満足させる為に作った映画だと思う。
「青い制服」を放って着用させたのが、本広克行 の拘りでは?
ところで警察庁、警視庁は内務省の管轄なんだけど 「PSYCHO-PASS」 の
観察官の場合は厚生省だね。
現在で言う、司法警察員の麻薬取締官と同じ立場。
解らないのが、その辺りの世界観と行政構造、取締対象の規定。
厚生省に統合されたのかな?
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あけましておめでとうございます。
今年は、どうか良い年でありますように。
さて、いささか啓示のようなタイミングで天童荒太の「家族狩り」を年末に1〜3巻まで読みました。
全世界を荒れ狂うISの出現を予想したような作品です。
勿論、物語の主軸は「家族の在り方」を中心に語られます。そして、その在り方は日本国家に棲む
人々のそれぞれの視点で語られるのですが、それと同時に日本人の登場人物が著作当時の勃発した
代表としてボスニアヘルツェゴビナ紛争等の極限の地域の人々と苦しみに瀕した自分を顧みて、そして比して
「自分って何でもないじゃん」と合理化させる作業をさせるわけですね。
その作業に関して作者は、おそらく神の視点で「そうではないだろう」というサインも送ります。
全巻を読んだ挙句の感想ではないので悪しからずですが、不平等って我慢出来ますが、不公正は
絶対に赦したくない。
不平等は能力や出自の差で納得出来ますが、それを越えた不公正は容認出来ない。
例えば、仕事に対する忠誠心。
今の言葉で言えば、ガバナンスやコンプライアンスを踏まえた上での所属企業に対するそれ。
しかし、それを踏みつけにする人間も企業の中にはいる。
話を戻しますか。
天童荒太は「家族狩り’95作でビンラーディンの勃興やISの「やんちゃ」を予言している。
これは、正に「不公正」への意味付けなのではないか?
天童氏の著作の滞りも所謂、色んな価値基準に囚われた挙句の思考停止ではないかと。
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