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実際、そんなに着ている方はいませんが、いまだに皮ジャン=ロックという
漠然としたイメージを、みなさん心のどこかで無意識にお持ちだと思います。

さて、なぜそのようなレッテルが貼られたのでしょうか?

本日は、暇なので、皮ジャンとロックの関係性について、
自分の狭い考えと、浅い知識で考証していきたいと思います。

〜第一章〜「1950s 旅立ち」

ご存知と思いますが、皮ジャンは、もともとオートバイのライダーたちが、
防寒や怪我防止のために着用していたのが始まりですね。

これをステージで初めて身につけたのはジーンヴィンセント
よく、わが国では勘違いされていますが、この時代のミュージシャンで、
皮ジャンを来ていたのはこの人ぐらいなんですね。

なぜ、ジーンは皮ジャンを着ていたかというと、このおじさんは、もともとオートバイ乗りだったわけです。
ところが、交通事故で片足が不自由になったため、音楽を始めたので、
おそらく彼は「道路をステージに代えて」という思いがあったのではないかなあと思います。
独断と偏見ですが・・・
ちなみに彼が着ているのは前開きでないプルオーヴァー型。カックイイ!

〜第二章〜「1960s海を越える風」

そして、60年代、英国では、ヴィンステイラーが皮ジャンを着用して、タコ踊りを披露!
あまり我が国では知られてませんが、このダンディーは、当時英国で人気があったそうです。
そして、かの有名なビートルズも、その黎明期に、ジーンや彼の影響で皮ジャンを
ステージで着るようになったそうです。
その少し前、英国ではカフェレーサーズとか、トンアップボーイズと呼ばれる、
わが国で言うところの珍走団がユースカルチャーとして、ありました。
彼らはバイクに乗る自分たちと同じような服装をしたジーンやヴィンスにシンパシーを
感じ、バイクに乗ってロックを聴く様になり、やがてロッカーズと呼ばれるようになりました。
また、ローリングストーンズが海を越え米国はカリフォルニアで演奏した際、会場の警備は、
皮ジャンに身を包んだ米国の珍走団、ヘルズエンジェルズ。

〜第3章〜「1970sファッション化」
我が国日本では、フォークソングが全盛。
しかし当時川崎に住んでいた若者はビートルズのようなロックバンドを
やりたいと考えていました。そして彼らがキャラクター性を際立たせるために
お手本にしたのが、前述の黎明期のビートルズの皮ジャンだったのですね。
キャロルの登場です。彼らが着用していたのは、川崎という場所柄か、
労働者階級のオヤジが着るような皮ジャン、否、川ジャン(川崎ジャンパー南辻命名)でした。
そしてこのキャロルや、のちのクールス、トラブル等を聴いていた若者たちが
ダンスチームを組み、歩行者天国で踊って「50s!」と叫んで名刺交換したため
ロック=皮ジャンというイメージが日本人には定着しました。
同時期に英国では、プログレなどを理解できないシンプルな頭の構造の若者達が、
シンプルなサウンドを求め、原点回帰の意味合いも含めてパンクロックを演奏し始めました。
その代表的なグループ、セックスピストルズのベースの弾けないベーシスト
シドヴィシャスが、前述のロッカーズ等の影響から皮ジャンをステージで着用したため、

ファンの若者たちは、同じように皮ジャンを身にまとい、
SMやボンデージ要素もファッションに取り入れ、さらに鉄鋲などでカスタムし、
のちの流れのハードコアパンクのいわゆる鋲ジャンに繋がりました。
そして、ヘヴィメタル勢もそんなパンクの服装の要素を取り入れ、
更に別の方向にショウアップしたりしました。
年をとると、おとなしい格好になりますが、一応皮ジャンは着てたりしました。

とまあ、この辺りの事情が皮ジャン=ロックの決定打だと思われます。







・・・いやあ、長い、我ながらよくもまあ、こんなどうでもいいことをつらつら
書き連ねたもんだ・・・
つまらんなあ、この日記・・・
でも、せっかく書いたから消すのも癪なんで、載せます・・・

Golden Cup is still gone crazy!

先日、音楽仲間で、飲み仲間でもある方にお誘いいただき、
本牧にある伝説のお店、ゴールデンカップに来店してきました!

40年以上の歴史を誇るこのお店、有名な話ですが、当時は、軍人と不良相手の
とても恐ろしい店だったそうです。そんな不良の中から飛び出したのが、
かの有名なゴールデンカップスですね!

やがて米軍住宅が返還され、横浜市電が廃止され、再開発の波にのまれ・・・
現在では、ご近所さん相手の社交場として、でも、我々の様な客にも気さくに
接してくださるような、のんびりとした営業をされているようです。

このお店、そんな当時からのメニューももちろん健在ですが、
対面にあった中華料理屋、本牧亭が再開発で地上げにあってしまったため、
それは可哀想だということで、開店から夜10時までは、ゴールデンカップ内で本牧亭の
メニューを提供できるようにしており、中華料理も食べれます!しかも安くて量も多い!

店員さんから、若かりし頃のキャンプ巡りの演奏をして、怒られながらも実力を磨いた話や、
楽器が高かった話などを目を細めながら語ってくれました。
まさにバンドマンという言葉がぴったりの方でした!

余談ですが、以前住んでいた東村山にあったコンセプト不明の店、魔法の杖の店長
さんも、米軍キャンプ巡りの仕事をずっとやってらして、その方を思い出しました。

日本の音楽というのは、つくづく米軍基地と切っても切れない関係があるのだと思います。

そんな話を水割りを飲んで聞いていたのですが、
作る方によってウイスキーが、ニッカになったりジムビームになったりするところや、
年配の常連さんの、うまくはないけどどこか味のあるカラオケなど
のほのぼのしたローカルな雰囲気に混じり、

往年の白黒写真、床の絨毯、壁、いい感じに欠けたカウンター、などから、
拭っても拭えない、かつての熱のようなものを感じました。

このお店に限らず、戦後のこういった歴史の忘れ物のような場所や文化を、
悲しいかな日本人は以前それに頼ったこともあるというのに、
本当に忘れようとしてしまいます・・・

本牧、というと電車が走っておらず、陸の孤島のイメージを持たれると思いますが、
実際、駅から全然歩ける距離です。是非、かすかに残る当時の熱を感じに行ってみてはいかがでしょうか?
というわけで、当面の夢は、ゴールデンカップで演奏すること!になりました!



駄菓子と放射能

今日は久々に、先月10回目の誕生日を迎えた子供と会いました。 
更にいろんなことが出来るようになっていて成長ぶりに驚きました。 

学童保育を受けてるわが子。自分自身も彼と同年代の頃は、学童保育の世話に 
なっていました。 

何度か場所が変わったのですが、印象に残っているのは、空き地に建てられた 
プレハブ時代です。小学校のOB達が持ち寄ったおもちゃや本などでにぎわっていた 
その場所は、やはりOBなだけにちょっと時代がずれていて、ゴレンジャーやピンクレディー 
、スーパーカー消しゴム、あと、なんという名前か忘れましたが、 
ハプニング」という言葉がやたら使われているボードゲームなどがあり、 
とても楽しかった記憶があります。 

そして、ある程度の時間になると「おやつ代」と称して、一人\50ずつ支給されるのですが、 
これが嬉しかった。買い物という体験を始めてしました。 

皆、50円玉を手に、少し先にある文房具屋なのに駄菓子も扱っている、当時全国各地に 
あった○○商店のような店に走り、50円分の駄菓子を買うのです。 

ここで、自分は、同世代の方なら誰しも記憶にある丸い小さなオレンジ味のガムが4つ入ったやつや、酢ダコ三太郎、あんこ玉、コーラあめなどの味を覚えました。 
5円で売ってる5円玉の形をしたチョコレートを10個買ったときは、皆にうらやましがられ、 
とても鼻が高かったです。 

ある日、「ねるねるねるね」が発売されました、TVなどでそのCMは見たことがあったので、 
その商店の棚にその姿を見つけた際、「これは!」と思い手にとりました。値段はなんと50円。 

当時流行の買い物スタイルは、50円分を様々なヴァリエーションのものを購入し、 
違った味を楽しむことでしたが、この商品はこれ一つだけで50円。 

ねるねるねるねを持つ手が震えました・・・ 

そして、通常の流行スタイルで買い物をする友人たちを尻目に、 

「おれはお前らとは違うんだ。おれはやる男なんだ。」 

と、ばかりにたったひとつの商品を手に、学童保育へと舞い戻りました。 

封を切ると、すぐに食べれるわけではなく、付属の棒でかき混ぜなくてはならない 
という、他の駄菓子に比べて、消費者に対する負担がひとつ大きいシロモノでした。 

包装紙に書かれている手順どおりにかき混ぜると、得体のしれない、ソースみたいな 
ものが出来上がりました。食べる、というより舐める。2.3口で舐め終わってしまいました・・・ 

周りを見渡すと、まだ大分残りがある駄菓子を幸せそうに頬張る友人たち・・・ 

魔が注す、というより魔女のおばさんの手によって、 
私の人生初の高額商品購入は、まさに大失敗を遂げたのです・・・・ 

それ以降、高いものは買わなくなりました。どんなものでも、中古、もしくはそれによく似た 
安いバッタ物を手に入れるという、エコ精神の芽生えの始まりでした。 

まあ、それはいいとして、良くも悪くも、こういった思い出は、 
大切な経験として残っているのです。 

自分の息子は、放射能を恐れるがあまり、あまり買い食いや外食が出来ない状況です。 
なので今日立ち寄った東長崎の店でも、駄菓子を欲しそうにしていましたが、 
「やっぱりやめておく」とのことでした。 

自分は、親として、彼と駄菓子を味わったり、買い食いの楽しみなどを共有したいのです。 

そして、子供のうちに大きな買い物の失敗などを経験してもらいたい。 

そんな私の楽しみを奪った原子力や、原発推進派の屑野郎どもを、 
私は何があろうと許すことは無いでしょう。 

wots super?

今をさかのぼる事、約27,8年前・・・
ファミコンが流行っていて、一家に一台、という風潮でした。
特に、スーパーマリオが流行っていて(というか、当時ゲームソフトは高くて、無難な作品と言えば)、
学校では皆が裏技など、それについての会話に始終していました。
マリオはおろか、ファミコンさえ持っておらず、話題に付いていけない私は、両親に泣きつきましたが、
 
「TVゲームは、人間をダメな方向に洗脳する資本家の陰謀だ」と、取り合ってくれませんでしたので、
枕を涙で濡らす日々が続きました。
 
我が両親は、共産主義者だったのです。
 
ところが、ある日の誕生日直前に、親に、ダメもとで、
「クリスマスプレゼントは何が欲しい?」と、聞かれ、「スーパーマリオのゲームが欲しい!」
と、答えました。
 
クリスマスでもないのに。
 
すると誕生日当日、「欲しがってたマリオだよ!」と渡されたものは、
スーパーマリオブラザーズのボードゲームだった・・・
 
さらに驚くなかれ、ノータリン(脳が足りない)の私は、ボードゲームの駒が、立体の、
消しゴム人形だったので、「ファミコンのマリオより得したぜ!」と、思ってしまったのである・・・
 
そして、翌日以降、友人たちに、「why dont u guys come to my house to play mario? ive just got mine!」
などと、呼びかけ、いざ、我が家に来た友人たちには、ボードゲームを見て絶句されたのち、
笑われてしまいました・・・
さらに、プッシュ型の電話機が主流になりつつある世の中で、我が家はいまだに黒電話だったので、
それを見て、また絶句のち嘲笑していました。
 
親は選べません・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
でも、正直ぼくは、プラモデルみたいなプッシュフォンより、重厚な黒電話の方が高級感があると思っていて、
その気持ちは今でも変わっていません。
 
特に、日本の再開発や、建築センスなど、非常に美意識を疑ってしまいます。
病的な直線に彩どられた、新建材パネルの組み合わせのプラモデルみたいな住宅や、ビル、駅の柵、フェンス、
窓枠・・・ダサすぎる!
 
こんな糞みてえな建材で建てられたものは、何年経とうが、いわゆる経年劣化による味は出ません。
 
でも、そんな糞を、綺麗!と有り難がっているのかなんなのかよく判りませんがね。
 
とにかく日本の建築業者は、「安い建材、安い労働力、短い建築日数」と、金の事しか考えてない
ガッデムパセティックスカムバッグ野郎どもなんですね・・・
 
病的にまっすぐな直線より、少し(というより、だいぶ)ひんまがった窓枠等に、魅力を感じてしまう、
左寄りの親を持つ自分は、思うわけなんですね。
 
と、いうわけで、だいぶ話がそれましたが、来週はそんな親の為に撮影してきます。
 
親も年を取ります。そりゃそうですね、自分の子供でさえも10歳になったんですからね。
 
 

リマインダ―

ザ・デラックスファイブ、こんな方にお勧めです。
 
ロックンロールが好きな方、
3コードが好きな方、
日常の不満がたまっているのにはけ口が無い方、
超能力を生で観てみたい方、
私の超能力をインチキだと疑ってる方
 
是非お気軽にお越しくださいませ。
 
2012年2月11日 午後6:30開場 7:00開演
日ノ出町Okey Dokey
〒231-0065 横浜市中区宮川町2-55 TKビル3F
Tel 045-326-6776
入場料\1600(御飲物付)
出演:The DX5、Area、中学生
※受付で、「誰を観にきましたか?」と聞かれたら、泣く子も黙るような
大声で「ザ・デラックスファイブだよ〜ん!」と怒鳴ってください。 
 
活動再開記念として、ご来店頂いた方には、先着3名様に、
電飾墓場から持ち帰った、まともに捨てようとするとえらい大変な
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