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Lou Gehrig  #4




1903年6月19日 、ドイツ系移民である父ハインリッヒと母クリスティーナ・ファクの息子としてニューヨーク市に生まれる。
彼が野球で注目を集めたのは高校生のとき。1923年の途中からヤンキースの一員となり、同年6月15日には代打としてメジャーデビューを果たす。
そしてのちに偉大な記録を打ち立てることとなる。1925年6月1日にゲーリッグは代打として登場。1939年4月30日まで2130試合連続出場の記録し
この記録は1987年に衣笠祥雄、1995年にカル・リプケンJrによって更新された。
試合にはフルイニング出場できず、代打で出場などということもあったが記録のためではない。
記録を打ち立てることが出来たのは体が頑丈だったことと、バッティングが優れていたからだ。

MLB史上に名を残す成績をあげている。

アメリカンリーグMVP 2回:1927年、1936年
首位打者 1回:1934年(.367)
本塁打王 3回:1931年(46)、1934年(49)、1936年(49)
打点王 5回:1927年(175)、1928年(142)、1930年(174)、1931年(184)、1934年(165)
MLBオールスターゲーム選出 7回:1933年 - 1939年
満塁ホームラン数歴代1位(23本)

通算 17年  2721安打 493本塁打 1995打点 打率 , 340 出塁率 . 447

彼のエピソードで好きなのは日米野球で沢村栄治の好投による“あわや完封負け”の危機から全米軍を救ったのがゲーリッグのソロ本塁打による1点だった。

頑丈さから鉄の馬(Iron Horse)と呼ばれいたが、1938年シーズンの半ばからゲーリッグの成績は段々と下降線をたどり始める。
ゲーリッグの体には異変が起きていて、日がたつにつれ、それは誰の目にも明らかとなっていった。
ロッカールームやフィールド上でさえ転倒してしまう事もあった。

ヤンキースに対する忠誠心は強く、球団が年俸の3000ドルダウンを提示してもゲーリッグは素直にそれを受け付けた。
復活を目標としていたが体調は回復せず、1939年6月13日に医師の診察を受け筋萎縮性側索硬化症で不治の病だと告知された。
そして6月21日に引退が発表された。

1939年7月4日をヤンキースは“ルー・ゲーリッグ・デー”を制定し、メジャー他チームを含む多数の人々がゲーリッグを祝福しに訪れた。
ゲーリッグは式典で「今日の私は地上で最も幸せな男です」という言葉を残してグランドを去った。
彼の病の状況を考慮し、通常は引退後5年経たないと被投票権を持たないが、特例としてゲーリッグに対する投票が行われ、殿堂入りが決定した。36歳という当時史上最年少での殿堂入りにも関わらず、病により式典に参加する事はできなかった。

1941年6月2日、享年37歳。38歳の誕生日の17日前だった。

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