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子供のときに高校野球のテレビ放送で、PL学園の二人の球児に釘付けになった。 一人は桑田投手。もうひとりは4番を打っていた清原和博。 清原のバッティングのスケールは高校生離れしていた。 描くアーチは、まさにスラッガーのものだった。 高校3年の秋、KKコンビの動向に世間の注目が集まる中で行われたドラフト会議。 桑田は早稲田大学進学を表明し、清原は巨人入りを熱望し、相思相愛であろうというのが大方の見方だった。 しかしフタを開けてみると、ドラフト史に残るドラマが待っていた。 巨人は桑田を強行1位指名。清原は南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団から1位指名を受け、抽選の結果西武が交渉権を獲得。 ドラフト会議直後の記者会見では、失意で涙を溜めた姿が放送された。 清原は西武に入団し、ルーキーイヤーの成績は、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放って新人本塁打記録の最多タイを記録。打率.304及び打点78も同じく高卒新人の歴代最高記録で、新人王に選出された。 チームは日本シリーズに進み、清原は日本一に貢献した。 この年から西武の黄金時代が始まった。 翌年の1987年、日本シリーズでの対戦相手は巨人。日本一を目前にした第6戦の9回2アウト、一塁守備についていた清原が涙を流し泣いているシーンがテレビに映し出された。 西武はタイムを要求し、辻が清原のところに駆け寄るという一幕があった。 自分にとって一番思い出に残るシーンである。 テレビに映し出される、所沢の寒空の下、3番、秋山と、4番、清原のAK砲や、渡辺久信、工藤公康、両投手などの活躍をリハビリの合間に見ていた。 夢中になりつつある自分を抑え、次のリハのメニューを早くこなし、試合終盤にテレビの前に到着するよう、この頃、必死になっていた。 清原はとにかく大舞台や、ここぞという勝負どころに強い、まさにクラッチヒッターの印象が強い。 調べてみると以下の記録がある。 通算サヨナラ本塁打:12本(日本記録) 通算サヨナラ安打:20本(日本記録) 通算満塁本塁打:11本(歴代9位タイ) 通算サヨナラ満塁本塁打:2本(歴代1位タイ) 剛速球投手が清原に真っ向から挑み、繰り広げた名勝負に息をのんだファンは多いと思う。 清原と野茂の対決は「平成の名勝負」と言われた。 1996年、FA宣言のニュースをテレビで見た時、「メジャーに行け」とひとりごとを言った。それ以降、動向を伝えるニュースを見るたびに。 清原が選んだのは読売だった。。。 「なんで、よりによって読売なんだよ。。。」 自分はアンチGということもあるが、清原には、もっと輝ける場所があると思っていたので納得できなかった。 飼い殺しにあうのは目に見えている「清原の野球人生は終わった」と何度も吐き捨てた。Gファンに対しても。(笑) それからというもの清原に対する感情は複雑だった。凡打したときヤジを飛ばすこともあれば、ここぞというときに打てば「やっぱりすご」いとなる。 怪我をすれば悔しがる自分もいた。 強打者の宿命「厳しいインコース攻め」にあい、藪の投球が手首に直撃し亀裂骨折。クロスプレーで靭帯損傷。 オリックスに移ってからも、ひざを手術するなど、清原の体は悲鳴を上げていた。 2007シーズンをリハビリに専念し、再び1軍のグランドに立つことを目指した。 今年の8月3日、1軍の試合に出場。8月19日、誕生日に引退を表明。昨日の迎えた最終戦、清原は四番に入った。 ネットで無料中継をやっていたので観戦した。 杉内は、すべて直球で勝負した。 その勝負は見ていて心地よかった。 第3打席はタイムリー二塁打。最終打席となる第4打席はフルスイングの三振だった。 いかにも清原らしく「華のある三振だった」 「フルスイング」 それは清原の現役生活そのものだったと思う。 23年間のプロ生活、お疲れ様でした。 そして、たくさんの思い出をありがとう。
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