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			<title>高校教師のぼやき日記</title>
			<description>つれづれなるままに、日々思うところを書いていきます。
教育現場への厳しい視線の中、ちょっとした気分転換に
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade</link>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>高校教師のぼやき日記</title>
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			<description>つれづれなるままに、日々思うところを書いていきます。
教育現場への厳しい視線の中、ちょっとした気分転換に
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		<item>
			<title>佐世保事件</title>
			<description>&lt;div&gt;　長崎県佐世保市で同級生を殺害したとして逮捕された女子高校生が、「人を殺してみたかった」と供述していることが分かりました。&lt;br&gt;
　女子生徒（16）は26日夜、自宅マンションで同級生の松尾愛和さん（15）の後頭部を工具で殴り、ひもで首を絞めて殺害した疑いが持たれています。遺体は首と左手首が切断されていました。捜査関係者によりますと、女子生徒は「人を殺してみたかった」「人の死に興味があった」という趣旨の供述をしているということです。一方、市内の葬儀場では松尾さんの通夜が営まれました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　テレ朝ニュース　７／２９&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　また、とんでもない事件が起こってしまった。サカキバラ事件を思い出させるような陰惨な事件である。現在、加害者の家庭環境や小学校時代の事件などが盛んに紙面を賑わしている。そういった事実に対してマスコミは「なぜもっと早く手を打たなかったのか」という相変わらずの論調である。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　その中で一番気になる論調は道徳教育に関してである。佐世保と言えば2004年にも小学6年生が同級生を視察するという痛ましい事故があった。その後、おそらく佐世保では様々な教育的な取り組みが行われたはずだ。しかし、今回同様の事件が起こり、いわゆる教育評論家という人々や大学で教育学などを研究している教授達が新聞で「対応が甘かった」「マンネリになって形骸化していた」「事件が風化していた」などと偉そうな事を言い、さらにかわいそうなことに当事者である教育関係者にインタビューで反省の弁を語らせている。こういったマスコミの誘導でどれだけ多くの人が教育に対して幻想を抱き、現実に対して幻滅をするのか理解しているのだろうか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ここで当たり前のことだが、はっきりと言いたいことがある。まず第一に教育は万能ではない。万能どころかほとんど無力といった方が近いかもしれない。道徳教育をいくらやろうと、その効果はかなり小さいと認識しておいた方がいい。また、教育はすべての生徒に等しく効果があるわけではない。人によっては逆効果ということも当然ある。そして、彼女のような猟奇的な殺人事件を犯す人間に普通の学校教育が効果があるとは思えない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　教育に対する過度な期待を抱かせないで欲しい。そうすればするほど、教育に対して何も期待していない人を増やすだけだから。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/56466357.html</link>
			<pubDate>Thu, 31 Jul 2014 12:54:10 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>模擬試験と定期試験</title>
			<description>&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;　進研模試の平均得点率は３５％、偏差値６０で得点率５０％である。したがって、偏差値６０以上でなければ有意差はなく、それ以下の生徒に関してはデータとして価値はない。なぜなら、単に問題が一、二個、偶然当たったというレベルでしかないからだ。さらに、模擬試験の問題は英語力以外の思考力や読解力が大きく作用しているので、問題文を見てだいたいの長文の内容を類推できる読解力さえあれば、英語力０であっても、選択問題で２，３問（６，９点）は得点することができる。実際、偏差値６０以下の生徒を見ると、毎回順位が大幅に変わっているし、学校の定期テストの点数と全く関連性がない。結局、英語力をはかる物差しとしては偏差値６０以上の生徒しか機能しないのだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;　定期テストはできるが、模擬試験になるとできないと言う生徒がよくいるが、主に二つの原因がある。一つ目は、定期試験は確認テストであり、平均点は６０点に設定してあることだ。生徒の得点は３０点が赤点なので、２５点～９５点くらいだ。まあ、要するに、狭い範囲で難易度をかなり低めに設定してあるわけだ。一方、模擬試験は先ほど書いたように、平均点は３５点である。学校によってもちろん平均点は違うが、我が校でだいたい４０点弱である。また、二つ目の原因は、模擬試験が応用力を試しているところだ。理屈や理論を覚えるのではなく、丸暗記をして１対１で物事を覚えている生徒、例えば、教科書の英文を丸暗記しているような生徒は、単語が一つ変わっただけでもう対応ができない。とりあえず目先のテストに対応するあまり、こういったテスト勉強をする生徒がとても多い。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:10.65pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;では、普段から、応用力を試すようなテストをしたらどうかと考える人もいるが、そうなると平均点６０点という目標が達成できない。テストの２割程度を応用問題にすればいいという意見もあるが、できない生徒にとっては残りの８割で３０点を取ることは不可能なのだ。そうすると、「そんな生徒は落とせばいい」「指導力が無いのだ」といわれそうだが、高校生がみんな一生懸命勉強しているわけではないし、一部は全く勉強をしない。単位を取らせないなどというと、文科省やマスコミが黙ってはいない。難しい問題なのだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;　こんな事を考えながら、ネットを見ていたら面白い記事があったので、引用しておく。ワシントン・ポスト紙に掲載された、メリーランド州の７年生（日本の中学１年生に相当）のベテラン教師の投書。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:10.65pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;こんなナンセンスを教えなくてはいけないなら、少なくとも上手に教えようと私は心に決めた。自分に高い基準を課し、授業を体系化し、個人指導を行い、プラスアルファの課題を出し、授業を面白くしようと努力した。……すぐに生徒の間で私の人気は上昇し、親とも連絡を取り合い、多くの生徒に確実にＡを取らせた。&lt;/span&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt; &lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:10.65pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;校長室に呼び出されたのはその頃だった。……校長は私がＤやＦをつけた生徒約&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;10&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;人のリストを示した。当時、私が教えていたのは&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;120&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;人程度だから、割合としては標準的だ。私は校長に各生徒の記録を見せた。テストや課題の点数が低いのではなくて、課題を提出していないこと、つまり責任感が欠けていることを示した。個人指導の記録や、親に宛てた手紙も見せた。だが校長は追及をやめなかった。&lt;/span&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt; &lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:10.65pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;つまりこういうことだ。『落第はあってはならない』と『ＤやＦをもらう子がいるのは、教師に足りないところがあるからだ』。足りないところ？&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;&amp;#8195;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;確かに私は、生徒に回答を教えてやらなかったし、文字どおり生徒の手を取って課題をやらせなったし、毎晩、生徒の自宅までついて行って宿題をきちんとやるよう指導しなかったし、生徒の怠慢を見逃してやらなかった。……教師がありえないレベルの仕事を要求される半面、生徒は自分の取り組みについてほとんど責任を負わされておらず、落第することもありえない&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;もう一つ、オレゴン州の高校教師の投書&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：：&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:10.65pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;1992&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;年頃までは、どのクラスにも課題をまったくやってこない子が１人はいた。そういう子が２人いるのはかなり問題があるクラスだ。それが今は&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;10&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;～&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;15&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;人いる。最近、&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;1980&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;年代に作ったテストを見てみた。難しい包括的なテストで、ヒントも示されていない。今ならこういうテストで合格点を取れる子はほとんどいないだろう。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;　私たちは授業のレベルを下げている。その低下はとどまるところがなく、いずれどんなに出来の悪い生徒でも合格点をもらえるようになるだろう。昔も今も子供の『本質』は同じだ。……違うのは、昔の子供たちはいやいやながらも宿題をやってきたことだ。今はやってこない&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot; size=&quot;3&quot; face=&quot;Times New Roman&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;FONT-FAMILY:&#039;serif&#039;;&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot; size=&quot;3&quot;&gt;　どちらも他国とは思えないような共感できる教師の叫び（ぼやき）である。幸運にも我が校の現状はここまで酷くはない。だが、確実にこの状況に近づいていることは確かだ。教育問題は先進国の間で共通であり、正解のない問題ということだ。&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/56089542.html</link>
			<pubDate>Tue, 28 Jan 2014 10:28:58 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>日体大　集団行動</title>
			<description>&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:11pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;日体大には毎年1つ大きな大会ある。その大会のメインイベントとして70から80人による集団行動がある。一糸乱れぬ行進で、前進交差や後進交差などを行い、観客を魅了する。だが、わずか11分の演技のために選手たちは２００日にも渡る辛い練習を重ねているのだ。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:11pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;練習の前半はひたすら歩くことだけで終わる。 1つは11分の集団行動するための体力をつけるためだ。全身に力を入れて、駆け足程度の速さで歩調を合わせることは我々が想像しているよりも遙かに体力を消耗する。その体力を得るために、彼らは毎日6，7時間もただ歩き続けるのである。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:11pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;だが、ただ歩き続けることはもう一つの意味がある。自分の弱さと戦い、限界を超えるためだ。彼は終わりの時間を決めないでただ歩かせる。いつ終わるともわからない練習を続ける事ほど苦痛はない。人は終わりが見えていた方ががんばれる。だが、彼はそれを許さない。常にベストを要求し、継続する事を求める。その中で、自分が思う限界に一人一人が近づいていく。そのとき、実生活での甘えや日常生活での中途半端さが全部出てくる。自分の弱さや甘えが出てきて、ほとんどの人はあきらめてしまう。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;　ごく少数の自分の弱さに打ち勝ったものだけがこの壁を乗り越えることができる。だが、その人々でさえ、自分だけでは限界を超えることができない。周りの様々なサポートがあって初めてその壁を乗り越えることができるのだ。そして、その壁を乗り越えることができた人だけが、酔いしれることができる達成感がある。その達成感が人を成長させ、自信を与えてくれる。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;　限界に挑戦している時には一人の例外も許されない。誰もが、逃げ道を探しているときに、ダメになったら離れて、元気になったら戻るということを繰り返していたらダメだ。何処かで線を引かないと。これ以下の人はダメだという線を引かないとダメだ。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&amp;nbsp; &lt;/span&gt;では、その壁を乗り越えられなかった人は全員だめなのだろうか。いや、ある事柄に関して、限界を乗り越えられなくても、自分をあまり責めてはいけない。努力が大切で結果はその次である。指導者の中には明確な到達点がある。その到達点へたどり着くため、一つのことを仕上げるための厳しさには指導者は妥協できない。でも、それについていけなかったからといって、だめではない。人には向き不向きがあり、全員が一つの目標に対してクリアできるわけではない。努力しても、たどり着けなかった人は、また、別の目標に向かっていけば良い。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;　集団行動では個人個人の自分勝手な意識でやっていてはいけない。自分で集団行動はこんなものだと思ってやっているだけではだめだ。勝手に決めてはいけない。指導者が言っている通りにやる必要がある。集団行動では監督が絶対なのだから。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;　監督の話は、どれもが心に突き刺さる。サンダル履きで合宿へ来た生徒への言葉もそうだ。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;「階段で躓いて怪我したら、自分が一人怪我とか病気をしたら周りに迷惑がかかるという意識があるのか？それが集団なんだと意識してきたか？こんな格好で、こんな意識でいたら、話にならない。こういう集団なのか？これが日体大か？」&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;「限界に挑戦している時はそれだけに専心しなければだめ。」&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;「自分たちの成長に自信を持てるようになった時期が大切。」&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;しかし、なんと言っても演技を終えた、彼らに言った言葉が素晴らしい。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;「ごめんね、長いこと文句ばかり言って。」&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:11pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;能力のある人間に、どれだけ厳しい指導をできるのかが、指導者の分かれ道。彼は、自分がどんなに大変な負荷を生徒達にかけていたのか十分知っている。知っている上で、彼らの限界を超えさせ、一つの明確な到達点にたどり着いたのだ。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;div style=&quot;TEXT-INDENT:11pt;MARGIN:0mm 0mm 0pt;&quot; class=&quot;MsoBodyText&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;&lt;font size=&quot;3&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;陳腐な言葉だが、教育は愛情だ。彼言うと説得力がある。たとえ、指導法が間違っていたとしても、指導する人が一生懸命真剣に訴えたら、人はわかる。いくら綺麗なことを言っても、裏で不満を言っている人はわかる。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;span style=&quot;FONT-SIZE:12pt;&quot; lang=&quot;EN-US&quot;&gt;&lt;font color=&quot;#000000&quot;&gt;一生懸命何かをやるのは素晴らしい。それは言葉ではわかっているが、実際体験できる人は少ない。そういったチャンスを与えてくれた環境や指導者に彼らは感謝すべきだと心から思った。&lt;/font&gt;&lt;/span&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/56066282.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Jan 2014 11:14:37 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>アベノミクスと英語教育</title>
			<description>高等学校で､新学習指導要領に基づいて英語が行われるようになって半年が経過した。&lt;br&gt;
「授業は英語で行うこととする」などという訳の分からない変更とともに、相も変わらず新しい指導法が押しつけられている。今のはやりはcan-doリストというものだ。要するに生徒が時期ごとに､何ができるようになるかを明示したリストであり、それに基づいて授業を計画するわけだ。英語の４技能のうちライティングを例に取ると、１年生の終わりには「身の回りの生活について５，６文で英語で表現できる」とか、２年生の終わりには「社会の問題に関して、意見を述べる事ができる。」なんて書いてある。それを､各学校で４技能について細かく作れというわけだ。さらに、can-doリストとシラバスを連動させ、バックワードデザインを元にして授業計画を作り、ルーブリックを用いて評価をしなさいと注文が来る。いったいこれは日本語なんだろうか？&lt;br&gt;
　さて、表題に移りますが、アベノミクスに関してどう感じているだろうか?実は､専門家の間でも評価が割れています。「アベノミクスは効果が無い。景気回復基調は野田政権末期から始まっているし、株高もアメリカの景気が良くなってきたからに過ぎない。異次元の緩和策によってそのうち国債が暴落してしまう。」などという経済学者もいるし、首相のブレーンのエール大学の浜田さんなんかは、アベノミクス効果を信じて疑っていない。実は､経済学は学問として完成されていない。以前、ノーベル賞を取った経済学者たちがアメリカでヘッジファンドを建てたが､破綻してしまったという話があったが、絶対的に正しい理論など存在しないのだ。これはあまりにも不確定要素が多い人間が関わる活動だからであろう。宇宙のひも理論や数学理論などは人間の介在する場所が無い。したがって、紆余曲折はあっても、真理に向かって進んでいけるはずだ。だが、経済学はケインズ理論であっても､ある特定の条件でのみ成立するという人もいるし、真っ向から否定している人もいる。経済学はまだまだ未発達の分野であるか、地震予知学のように元々不可能な分野である可能性が高い。&lt;br&gt;
　英語教授法も実は完成されていない。母国語の獲得方法でさえ、まだ分かっていない事が多いのだ。「いわんや外国語をや」である。脳科学が発達してきたここ10年でようやくおぼろげに記憶のメカニズムがはっきりしたばかりである。シュリーマンのような言語の天才と一般人の違いもよく分かっていない。したがって、ここ30年だけでもいろいろな学者が英語学習の方法論や理論を発表している。そして、そのたびに日本の英語教育は右&lt;br&gt;
往左往しているのだ。「文法訳読法」から「オーラルメソッド」や「オーラルアプローチ」など様々な方法を経ている。しかし、注意しなければいけないのは、学者が発表している理論はあくまで仮説の域を出ないことだ。ある特定の状況下でのみ、その効果が認められているに過ぎない。例えるなら、「リンゴダイエット」の次に「紅茶キノコダイエット」「断食ダイエット」とめまぐるしく変わるキャッチーなダイエット方法に食いついていくようなものだ。その度に､現場では少なからず混乱がおき、慣れない方法に四苦八苦して授業を進めることになる。can-doリストにしても、英語で授業を行うこと(イマージョン）に関しても、日本での実績があるわけでは無い。そんなあやふやな方法を全国で右へならえで実施するリスクにどう対処するのだろうか？&lt;br&gt;
　我々に必要なのは優れた理論ではなく、優れた実践である。教育現場は、まだまだ未発達の英語教育理論を行う実験場ではない。理論に裏付けされてなくても、日本という地理的にも言語的にも特殊な状況下で､ある程度効果があった実践方法を行うしかない。まだ、科学が発達しておらず、ウイルスや細菌の知識がなかった頃でも、風邪を引いたときには十分効果がある治療法があった。もちろん、現代科学で否定された民間療法もあるが、その多くは今では十分科学的裏付けがなされている。英語教育も同じである。耳障りの良いカタカナの方法論に飛びつくのでなく、上位下達で強制的に教授法を返させるのではなく、現場の教師達が試行錯誤しながら日々行っている実践を続けていくべきだと考える。　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55822247.html</link>
			<pubDate>Sat, 14 Sep 2013 11:58:27 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>学力幻想</title>
			<description>&lt;div&gt;　全体的には難しすぎて、私の能力では理解することができませんでした。ただ、部分的に理解できたところに面白い内容が書いてあったので、まとめてみました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;□なぜジョニーは読むことができないのか&lt;br&gt;
　1950年代のアメリカで学力低下問題が起こったとき、教師が教え方をもっと熟達すべきという議論が起こり、文字の教え方について伝統的な方法を批判し新しい教授法を提案したルドルフ・フレッシュの「なぜジョニーは読むことができないのか」が話題となった。アレントは学力低下をあおり､教授法の革新を唱える風潮を厳しく批判した。これによって､教育は解決困難な課題を抱え込んだと憂慮した。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　アメリカの学力がヨーロッパより劣っているのは、かの国より水準が劣っているからではなく、逆に、教育という特定分野で最も進んでいるからだ。アメリカの教育の危機は進歩主義教育の破産を意味している。さらに、この危機が大衆社会の要請に応えることから生じたが故の恐ろしく困難な問題の存在を告げている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　学力低下は教育の不足ではなく、教育の過剰によってこそ引き起こされる。教育学は教授法一般の科学になってしまい、その結果教師が身につける技能は教え方であって、特定の専門科目に習熟していることではないと考えられるようになってしまう問題である。学力問題が教育の方法や技術の問題へと還元されている。このことは日本における教員養成や教育改革の風潮にも色濃く影を落としている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;□ポピュリズムの罠&lt;br&gt;
　「ポピュリズム」は、「頑張ればみんなできる」という幻想に立脚しているという。言い換えれば平等主義と能力主義の結びつきである。そこには、大衆に対して、生まれたときはみんな平等、機会均等、あとは頑張って勉強すれば、社会的な地位が配分される、というメッセージが発せられている。したがって、「ポピュリズム」には自己責任論がつきまとう。できないのは、努力しない本人のせいである。&lt;br&gt;
　この流れの中で、「親力」つまり、家庭や親の果たす役割の重要性を説く傾向がある。家庭でもきちんと知的な訓練をしないと、学力向上は望めないという脅迫的対応へと向かっている。だが、親力の及ばないような子供の持って生まれてきたものや、その社会が与えるものが存在するので、親は子に対して決定的たり得ない。社会的、能力的不平等が再生産されるだけ。ポピュリズムの思想はヨーロッパでは1970年代には崩れ始めている。&lt;br&gt;
&amp;nbsp; また、明治の学制における「級」の思想（能力別生徒編成≒メリトクラシー）から「組」の思想（生活を共にする同年齢別生徒編成）へと移行してきたのが、再び、「級」の方向へ向かおうとしている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;□学校選択制とアカウンタビリティの特徴&lt;br&gt;
　ミネアポリス市&lt;br&gt;
1970年～2002年&lt;br&gt;
　学校選択の指標は「スクールアチーブメントデータ」という学校評価点。あわせて、学校ごとの貧困家庭の比率と英語を第一言語にしない児童生徒の比率が記載。したがって、学校評価点は単純に比較されず、貧困家庭の比率が高い、あるいは英語を第一言語にしない児童生徒の比率が高いにもかかわらず、ある一定の評価点を確保すれば、ハンディを克服した学校として高い評価が得られる。ただ単に点数が高いから人気があると言うことにはならなかった。&lt;br&gt;
2002年～2012年　　　　ＮＣＬＢ法施行&lt;br&gt;
　テストで基礎学力を測定、テストは人種や生育環境を同じくするグループごとに分けて数値化。すべてのグループが同一の学力基準に到達できない場合には、学校はそれに対して説明責任を負わなければならない。具体的には、連続して到達できない場合には、制裁としてチャータースクールへの転換が迫られる。&lt;br&gt;
　結果としては、以前の制度で「ハンディを克服した学校」として表彰された学校（貧困家庭率８０％、英語を第一言語にしない生徒率３６％で、5点満点で3.11点）が警告を受けるという事態になった（黒人グループと低所得者グループが基準に達しなかった）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;2013年～　　　オバマ政権によりＮＣＬＢ法破棄が認められる&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　以上が、私が気になった部分である。これを読むと第一次安倍政権とこれから安部さんがやろうとしていることが如何に的外れかが分かる。まず第一に、学力低下を教員の質の向上という発想で克服しようとした教員免許制度である。質の向上に少しでも役に立つならまだ良いが、教える側の大学も参加している教員も罰ゲームとしか思っていない質の低い講習会である。今や何のためにやっているのかさっぱり分からない。また、特に英語教育で酷いが、教授法について文法訳読式は悪であるという発想の元、「英語で授業」やcan-doリスト、ルーブリック､タスクの活用といった大学で英語学を研究している大学教授の思いつきにつきあわされている。&lt;br&gt;
　さらに、「学びのすすめ」で家庭の教育の重要性を諭し、自ら学ぶ生徒（私はほとんどお目にかかったことがないが・・）による総合学習の時間での自立学習を勧め、全国統一テストを小５､中２？で実施して、アメリカよりもざっくりとした得点のみの発表をして、序列を作る。秋田や北陸などの教育を渇望し、誘惑がすくない県と大阪のような○○問題のある地域を多く抱え、学習以外に誘惑が多い県とを数値で比較しても仕方が無い。&lt;br&gt;
　勉強することが､将来への確実な切符ではなくなった先進国では、学力の問題はとても複雑で解決困難な課題である。もちろん、あきらめてはいるわけではないが、ちょっと方向性が違う現在の流れにただただ不安である。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55716672.html</link>
			<pubDate>Mon, 22 Jul 2013 15:45:39 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>キャリア教育のウソ</title>
			<description>&lt;div&gt;　学習指導要領が変わってから､キャリア教育が大流行です。我が学校でも職場訪問などと言う中学校の二番煎じをしております。相手方としては良い迷惑だろう。むげに断ることもできずに、おつきあいしてくださっています。本当に申し訳ない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　さて、今回読んだ本「キャリア教育のウソ」はそんな現在の状況について非常に示唆に富んだ内容です。少しまとめてみました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;■俗流キャリア教育＝「自己理解」系、「職業理解」系、「キャリアプラン」系&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　「やりたいこと」「なりたい自分」「就きたい職業」を重視し、「自己理解」を深めることから始められるが、「自己理解」を深めても「やりたいこと（仕事）」が簡単に見つけられるのか？高校生のなりたいものランキングは公務員以外教員、看護師などの専門職で溢れかえっている。しかし、ほとんどの子どもたちはそういった職業につけないし、そもそも「仕事が明確」な仕事につくことが日本では稀。ジョブ型ではない&lt;br&gt;
　社会についての知識がない中学生がこれまで身についてきた経験値だけでキャリアプランを立てたり、身近な所で職場体験することにはデメリットも含んでいる。人生は想像より遙かに多様で豊かな選択肢が存在する。それを知らずに、自らの「狭さ」や「殻」に閉じこもっている可能性に気づく必要がある。そのためには社会の現実やそこに生きる人々の生き様について、もっともっとよく知り学ぶ必要がある。アンテナさえ張っていれば､自ら学ぶチャンスはある。　&lt;br&gt;
　「自分を見つめ」→「目標を設定し」→「計画的に努力する」という一定の学習の順次性が想定されていること、こうした発想の背景にはアメリカを中心に発展してきたキャリアガイダンスの理論があることを指摘し、このアメリカの成人の「転職」支援の場面を軸に発達してきた理論を、社会も文化も異なる日本の若者を対象とする教育の場面に転用することには無理がある。キャリアプランの作成については、社会変化が激しく、将来の予測不可能な時代に、キャリアプランを描くことには「ためらい」がある&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　クランボルツ理論&lt;br&gt;
　　18歳の時に考えていた職業に現在就いている人は全体の約2％に過ぎない&lt;br&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　↓&lt;br&gt;
　　　　　　　　　もうキャリアプランはいらない&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;Q：生涯賃金という指標を持ち出すのは危険ではないか？&lt;br&gt;
A：就職後３年での離職率３０％。終身雇用の崩壊。年功序列制の賃金の廃止。このような状況で、４２年間勤め上げたと仮定した生涯賃金には意味が無い。いたずらにフリーターや非正規雇用との格差を際立たせて、正社員になりさえすれば大丈夫という誤解を生む。今日では､若者たちがどれほど努力しようと、非正規雇用者は一定のボリュームで構造的に生まれる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;Q職場体験？インターンシップ？&lt;br&gt;
A：職場体験＝働くこと、職業仕事について体験し、刺激を受ける「啓発的経験」&lt;br&gt;
　 インターンシップ＝学んでいる専門と関わる職業に関する「実習的経験」&lt;br&gt;
&amp;nbsp;大半の公立中学校で取り組まれている職場体験や高校でのインターンシップについては、「一過性のイベント」になってはいる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;■本流キャリア教育＝社会に出て行く準備＞＞＞仕事の世界に出て行く準備&lt;br&gt;
　&lt;br&gt;
　必ずしも特定の職業や仕事という次元に落とし込む必要は無い。技術系なのか、事務系なのか広い意味での対人サービスなのかと言った【方向感覚】と、自分が働いていく上で、人を支援したい、コツコツと物事を地道にやりたいなど、自分が働いていくうえで何を大切にしたいのか、何をやりとげたいのかという【価値観】をつかむようにさせる。実際に働いてみる前にすべてが分かるはずはないので、方向感覚や価値観は変わっても良い。しかし、高校生になればそうした変化はある程度の幅に収まるようになる。そうしたぶれない軸を持っていれば、特定の仕事につけなくても困ることにはならない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　　　価値観≒軸　・・・・・キャリア　アンカー&lt;br&gt;
　　　方向感覚・・・・・・・キャリア　アダブタビリティ&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　進路＝｛やりたいこと　∩　やれること　∩　やるべきこと｝&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;□社会に出て行く準備&lt;br&gt;
　&amp;#9312;生涯学び続けていく姿勢を身につける。&lt;br&gt;
&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp; パウロ・フレイレ　「銀行型教育」から&amp;nbsp; 「課題提起（料理教室）教育」へ&lt;br&gt;
　　「銀行型教育」学校で学んだ知識､スキルを預金として引き出しながら人生を過ごす。&lt;br&gt;
　　「料理教室教育」学び方を学ぶ&lt;br&gt;
　　　　　　料理のイロハ、つまり料理の仕方だけ教えてもらい、生涯いろいろなレシピを参考に自分で料理を作　　　　　　　る。創意工夫をして、自分なりの環境に合わせていく。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　&amp;#9313;就職できたら終わりではなく、自分の人生を引き受けていくキャリアデザインのマイ　　ンドを持って行動す　　　る。羅針盤、即ち自分の生き方の軸を持つこと&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;□仕事の世界に出て行く準備（具体的な方策）&lt;br&gt;
&amp;nbsp; &amp;#9312;非正規での働き方の多様性、メリットデメリット。&lt;br&gt;
　&amp;#9313;正社員への転換への見通しの立て方。&lt;br&gt;
　&amp;#9314;公的な職業訓練や休職者支援などについての情報提供。&lt;br&gt;
　&amp;#9315;労働法についての学習。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なかなか面白い。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55691848.html</link>
			<pubDate>Wed, 10 Jul 2013 11:43:31 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>英語教育幻想</title>
			<description>&amp;nbsp; 日本において、常に売れ筋になる本が少なくともに種類ある。ダイエット本と英語学習の本である。何十年たっても手を変え品を変えて、本が出てくると言うことは効果的かつ絶対的な方法論がないから友いえる。簡単で、できるだけ量力を使わずにという大衆の欲求を満たした本がないと言うことだ。不幸にして学校教育の現場でもこの欲求に答えようと週十年来、教授法がめまぐるしく変わってきた。&lt;br&gt;
　「学校で6年も英語を学んだのに英語ができない」というのは、学校英語を批判する人々の決まり文句だ。だが、この発言は二つの意味で大きく間違っている。まず第一に、この手の発言をする人に聞きたい。「あなたは学校で6年間しっかり英語を学習したんですか？」と。基本的な単語や文法をしっかり覚えましたが？英文を文構造を意識してないようをとらえましたか？音読をたくさんしましたか？ある程度読めるようになってからは多読をしましたか？おそらく多くの人はそこまでやっていないと思います。現に私が教えている生徒でも、これらを完璧にこなしている生徒は一割程度しかいません。しかし、この一割の人々はセンター試験で90％前後の得点を出し、海外へ短期で留学すると驚くほど上達して帰ってきます。学校の英語をしっかりと身につけていない人々が、学校英語を批判する資格があるのでしょうか。&lt;br&gt;
　おそらく批判している人はこう言うでしょう。「一割くらいの人しか完璧にこなせないような英語学習はやり方が悪いんだ」と。ここにもう一つの間違いが潜んでいます。誰でも、ほどほどに学校で英語を学習すれば、英語ができるようになり、字幕無しで英語が聞けたり、英字新聞をすらすら読めたり、外国人と会話ができるようになると考えていないだろうか。少し計算してみましょう。一週間に家庭学習を入れて7時間英語を学習します。1年で３６５時間、６年で２２００時間。一日に１６ｈ起きていると考えると、１３６日分になります。海外で４ヶ月集中して滞在するほうが、効果的ですが、それでも全くしゃべれない状態からどれほど上達するか疑問です。&lt;br&gt;
　文科省も、いい加減に学校英語を学んで、誰でも英語を使えるようになるという幻想をばらまくのはやめた方が良い。韓国や中国のTOEIC高得点者がいったいどれほどの猛勉強をしているか知っているのだろうか？そんな幻想のために、現場では右往左往して、がたがたになっていく。次回はその現場の様子をレポートしてみたい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55647920.html</link>
			<pubDate>Thu, 20 Jun 2013 10:12:58 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>教育行政に思う</title>
			<description>高等英語に新課程が導入されて２ヶ月がたった。「授業は英語で教える」というお題目のもとで、一学年を担当している英語教師は四苦八苦している。都道府県によって、文科省の威光にはかなり違いがあるが、私のところでは、文科省が右を向けと言ったら、全員右を向かなければならない。&lt;br&gt;
　さて、新課程だけでなく、最近の英語を取り巻く政治家や官僚の発言をどう思うだろうか？６年間英語をかじった人々は、「英語で授業」や｢TOEFL、TOEICの活用」「センター試験を廃止し、到達度テストを実施する」などと聞いて喝采をしているのではないだろうか。つくづく不思議なことは、政治家や官僚のやることにあれほど批判的なマスコミや一般世論が、教育関係だけはその精神が発揮せず、その主張を鵜呑みにする傾向があることだ。復興予算をでたらめに使っている官僚や利益誘導をしている政治家が、教育を語っていることを忘れているのではないだろうか。官僚や政治家がこの国の未来を真剣に考えて政治をしていると本気で思っているのだろうか？&lt;br&gt;
　いくつかうがった見方をしてみよう。ゆとり教育がもてはやされたが、これによって一番おいしい思いをしたのは間違いなく塾である。小学校に英語が導入されて、青色と息だった英検(公益財団法人)の小学生受験生が激増した。高校在学中に到達度テストを複数回行えば、中高一貫校が間違いなく有利である。&lt;br&gt;
　政治評論家や経済評論家は提灯持ちが多いが、多少は骨のある人もいる。しかし、教育評論家となるとどうも批判的精神がかけているように思える。既得権益が少ない文科省がどのように開拓しているのか、もう少しじっくりと見て欲しいものだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55625950.html</link>
			<pubDate>Mon, 10 Jun 2013 17:50:19 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		<item>
			<title>アベノミクス</title>
			<description>門外漢であるが、一庶民としてアベノミクスについて考えてみたい。デフレ脱却の切り札と調子づいている安倍首相であるが、素人としては？？？？という感じである。　要するにお金をじゃぶじゃぶばらまいく→景気浮揚→インフレということらしいですが、今でもかなり市場にはお金があふれているみたいだし、結局、お金を使うあてがないから借りないのではないか？　小泉政権のときは好景気だったらしいが、庶民の所得は減りっぱなしだった。グローバルスタンダードというの名の下で、企業のもうけは、株主へいくだけだった。所得が増えなければ、財布の紐は固くなり、デフレになる。&lt;br&gt;
そもそも、円高で苦しんでいますというソニーやらシャープは、為替の問題ではなくて、明らかに経営戦略が間違っていた。法人税率を下げて、1ドル120円でウハウハしていたときに、もう少し先を見通した戦略を打つべきだったのだ。それを円高のせいにしているだけではないだろうか？&lt;br&gt;
いままで、やったことがないのでやってみればいい。という評論家もいるが、あまりにもリスキーな感じがします。&lt;br&gt;
と、話がそれてしまいまいたが、やはり専門外の話というのは難しいですね。&lt;br&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55300445.html</link>
			<pubDate>Fri, 18 Jan 2013 14:01:20 +0900</pubDate>
			<category>FX、為替</category>
		</item>
		<item>
			<title>体罰問題</title>
			<description>桜宮高校の体罰による自殺事件があってから、またぞろマスコミが騒ぎ始めた体罰問題。センセーショナルに、なんでもかんでも「体罰」というカテゴリーに当てはめて、せっせと記事を書いて消費者をあおってます。本当に、うわべだけの「正義」を掲げている姿勢には本当にあきれてしまう。&lt;br&gt;
さて、体罰に関して私見を述べさせてもらう。まず、桜宮高校のバスケ部顧問に関しては、やり過ぎ、酷すぎと言わざる終えない。こういった極端な人の存在によって、教育現場はますます萎縮してしまうのである。したがって、彼を擁護する気はさらさらない。&lt;br&gt;
さて、体罰問題が出ると必ずといって出てくるのが法律である。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO026.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;学校教育法&lt;/a&gt;（昭和22年法律第26号）&lt;br&gt;
&lt;strong&gt;第十一条&lt;/strong&gt;　校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、&lt;br&gt;
児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
「体罰」とは，懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち&amp;#9312;身体に対する侵害を内容とする懲戒－なぐる・けるの 類－がこれに該当することはいうまでもないが，さらに，&amp;#9313;被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等，特定の姿勢を長時間にわたって保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
法律というのは、かなり曖昧な部分がある。体罰をどの範囲までにするかは上記にあるように難しい。杓子定規に体罰禁止となると本当に指一本触れることができなくなる。例えば、道路の速度制限などでも４０ｋｍのところを４０ｋｍで走行したらどうなるだろうか？実社会では多少の許容範囲が無いとうまく回らない。&lt;br&gt;
教育評論家や、法律家は法治主義に乗っ取って話を進めているが、現実の小学校で起こっている問題はちょっと違うのではないかと思う。私の子どもの通っている小学校の例をとってみよう。もはや学級崩壊を超えて学校崩壊となってしまったが、こんな具合である。&lt;br&gt;
４０人学級で、１０人ほどはほとんど席に着かない。ふらふら教室を歩き回り、廊下に出る。教師が注意したところで、聞く耳を持たない。手を持って「教室に行こう」というと、「痛い！体罰だ」と騒ぎまくる。女の子の場合には「セクハラ！」と騒ぐ。さて、このような状況でどのような手があるだろうか？&lt;br&gt;
法律家はこう言うだろう。&lt;br&gt;
学校教育法３５条の出席停止制度を活用すればいいと。
&lt;div&gt;市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。&lt;br&gt;
一 他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為&lt;br&gt;
二 職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為&lt;br&gt;
三 施設又は設備を損壊する行為&lt;br&gt;
四 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;さて、上記のような行動を繰り返す子どもに出席停止処分を科すことに世論は同意するだろうか？また、自分の子どものこととなると、モンスターとなる親は納得するだろうか？（実際、上記の子どもの親はそうなのだが・・）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;誤解を恐れずに言えば、小学校低学年などはものの通りが分からない猿みたいな子どももいる。その子達に同じような思考の親がついている。片方で、体罰禁止の法律を遵守といって、他方では、出席停止の運用を認めたがらないのでは、学校としてはどうしようもない。警察が介入できるような大事は本当に少なく、こういったある意味、些細な出来事が数え切れないほどあるのだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　教育関係者はこう言うかもしれない。教師の指導力が足りない。魅力的な授業をすれば自ずとついてくると。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;40人を毎日、毎時間　黒板に向ける術を私は知らない。そんなことができたなら、有名予備校へでも行って億単位の年収を稼ぎたいものだ。　さらに、小学校では学習障害者を普通学級に在籍させるという現状で、授業についていけない生徒がどれほどいるか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　部を強くするための体罰？（そんなものがあるとしたらであるが・・・)、学校の秩序を守るための体罰？　色々なものが、ごちゃ混ぜで議論され、一律に体罰禁止という流れは、予想はつくが正直やりきれない。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
&lt;br&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rodo_montade/55298524.html</link>
			<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 13:55:54 +0900</pubDate>
			<category>高校</category>
		</item>
		</channel>
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