|
昨日(5月19日)朝10時10分、携帯にメール着信の合図が。
あ、辺野古からだと思って見たら、「訃報」の文字。
「辺野古から訃報が届きました。」という最初の一文。
瞬間、胃がギュッと縮みあがりました。とうとう阻止行動で死者が…
でも、違いました。
「命を守る会代表の金城祐治さんが亡くなりました。……」
今度は、体が動かなくなりました。
入院されているのは知ってはいましたが、でも、まさか、こんな状況の時に…
さまざまな思いが頭をよぎります。
午後から予定されていた国労留萌闘争団の大谷英貴さんを偲ぶ会の前に、遅れている編集作業をするために出社しようとしていた矢先の事でした。
何も手がつかず茫然としていたら、10時59分、今度は電話。
「祐治さんが今朝亡くなった」
金城祐治さんを最初に紹介して下さった友人のAさんからでした。
電話を切った後も、体が動きません。
16日に別れたばかりの彼をはじめとした辺野古での友人・知人の顔が浮かびます。
結局、仕事には行けず、大谷さんを偲ぶ会に遅刻して参加。
辺野古に心を寄せる東京清掃労組のOさんに、祐治さんのことを泣きながら話した以外、
ほとんど誰とも、まともに会話をすることができないまま引き上げ、事務所で編集作業と来客の対応。
でも、ほとんど仕事にならない…
夜になって、沖縄在住のYさんに御霊前の立て替えを頼んだまま、弔電を打たなきゃと思いつつも…
やっとのことで数頁の編集を終え、弔電の受付終了時間間際に打電。
帰宅後も、ブログにも掲載しなきゃと思いつつも、また涙ぐみながら夜中の3時頃まで、何も手つかず。
今朝(5月20日)、やっと頑張らなきゃという気持ちに傾いてきました。
でも何故か、今日も偲ぶ会。
千葉の林廣治さんを偲ぶ会です。
去年、RJに鎌田慧さんに執筆していただいた三里塚の連載は彼のコーディネートです。
同い年、同じ月で、しかも一週間しか違わない誕生日。
ここ数年は、もう一人の同い年と3人で、会議後によく呑んだものでした。
大谷さんとは、94年秋、私がRJ専従になる前に留萌闘争団の事業体ルポで知り合いました。
その後、ビデオプレス製作の「人らしく生きよう」で“有名”になりましたが、
いつも飄々としていて、口をとがらして…
やはり、今日もほとんど仕事になりません。
でも、これを書くことで気持ちに区切りをつけ、先に進まなきゃ、
というより、ようやく書けるようになったのです。
これを書いている間にも、辺野古から金城祐治さんの言葉や、弔辞などがメールで送られてきます。
命を守る会事務局の富田晋君の、それこそ、思いを絞り出すような文章も…
そう言えば、晋君に「ジュゴンの家のHPだけでなく、晋君の辺野古日誌もみんな知りたいんじゃない?」などと言ったら、人手不足でジュゴンの家の日誌だけで大変だと言っていたのに、翌日から辺野古日誌が再開。再開は嬉しいけど、無理をしないで欲しい。
辺野古の新基地建設、三里塚、国鉄闘争…
全て「反対派」というレッテル貼り。
何に反対しているのか、何故反対なのか、何を阻止しているかの報道はほとんどない。
「国鉄闘争、三里塚、沖縄は、RJの三本柱」
先輩からの申し伝えです。
選りに選って、その三本柱が、葬儀・偲ぶ会という形で繋がるなんて…
その他、誌面掲載が間に合わないほどの問題山積…
人出が欲しい…
でも、明日からは気持ちを切り替えて、頑張ります。
次号を期待していて下さい。
訪沖前に、某氏のルポは721号から掲載予定だったのを、急きょ720号(5.25発売)に前倒し&増ページを決断。
やらなきゃいけないことは、山ほどあるのです。
知らせなきゃ!!!
浅井真由美《ケイタイ》
|