【ROKBOX】三日月みっつ♪

9/9◆かなり忙しいので、ちょっとお休みさせてもらっています。年末まで忙しいのですが、時間が出来たら遊びに行きますね!

戦国〜WARELIKE〜

[ リスト | 詳細 ]

戦国時代に関する記事を、僕の視点で書いていきます。

ですから、教科書通りになってはいないこともあります。
記事検索
検索


上杉防御のため仕事師・柴田勝家を北国官僚とし、さらに部下には

滝川一益・羽柴秀吉・丹羽長秀・斎藤新五・氏家直通・安藤守就
稲葉一鉄・不破光治・前田利家・佐々成政・原長頼・金森長近

といった蒼蒼たるメンバーをそろえた



そして越後・新潟から上杉謙信がやってきた

半分は上杉領と言ってもいい越中・富山を攻略している限り

避けられないことだった


数は織田家が上

しかし、北陸は現在も人口が少ないように

未開の地が多かった

冬は雪に閉ざされるのが原因であろう


未開であったため大群の移動には不向き

そして織田兵個人の力は弱かった


逆に上杉は強兵で知られており

特に騎馬隊は少数精鋭だった


そこで謙信は動いた

兵は強いといっても国力差が大きすぎる

上杉:130万石
織田:400万石

さらに上杉領には北条勢がいつ来るかわからない状態で

北条が攻めてきたらこの戦場から引かねばならなかった

そこで上杉は強国に対する常套手段・夜襲を敢行した

まだ両軍の距離が歩いて3日分はある

しかしそこを謙信は精鋭騎馬隊を1.5日で走らせ

もちろん相手の偵察部隊に対しカモフラージュ

そして織田軍を夜襲した


まだ当然来ないものと思っている織田軍は壊乱

すかさず信長は全軍撤退させたが

1000人という甚大な被害が出た


このまま謙信が入京すると思われたが

結局、北条の来襲で謙信は引き上げねばならなかったのが

運のなさだろう


これが謙信の最後の戦いで

信玄同様、謙信もまた織田にとって絶妙のタイミングで死去した


信長44歳、謙信48歳、秀吉42歳、家康36歳だった



しかしここで事件が起こっていた

秀吉が信長を怒らせてしまったのだ

秀吉は信長の命令を無視し北陸から自らの城へ帰っていた

たとえ秀吉といえど、信長の逆鱗に触れれば待つのは【死】

秀吉の汚名返上劇がはじまる


宿敵 浅井・朝倉両家を滅ぼし

天敵 武田家の弱体化に成功した


残るは本願寺など弱体化させた勢力の掃討戦だ

このころになると、筆頭戦力だった柴田勝家に

若手の秀吉・光秀はほぼならんでいた


[1576年]


余裕の出来た信長は、安土城の築城にも着手


反逆していた松永親子(正確には子の方だけが反逆だが)もすでに

許され帰還(とはいっても干され気味だったが)


大坂本願寺には光秀が牽制攻撃・調略をいれつつ

越前本願寺一向宗はすでに攻め潰した


[1577年]


そして本願寺方の紀州和歌山の雑賀衆は

滝川一益・明智光秀・丹羽長秀・細川藤孝・筒井順慶

らが包囲し貧困させ中心の土橋家・鈴木家などを降伏させた


ここでまた松永親子が謀反を企てた

大和国信貴山城(奈良北西・大坂中部のすぐ東)

に篭った

しかし、織田信忠を中心に佐久間信盛・羽柴秀吉・明智光秀・丹羽長秀

らに攻められあえなく敗北を悟った

三好家を乗っ取り

足利将軍を殺し

織田家を裏切ってきた松永久秀

最後には弾薬で名茶器を破壊・奈良の大仏殿を焼失させるなど

最後まで非道の限りを尽くした



その中唯一のピンチが越中・富山の対上杉謙信戦だった


越中切り取り・上杉防御のため仕事師・柴田勝家を北国官僚とし、さらに部下には

滝川一益・羽柴秀吉・丹羽長秀・斎藤新五・氏家直通・安藤守就
稲葉一鉄・不破光治・前田利家・佐々成政・原長頼・金森長近

といった蒼蒼たるメンバーをそろえた

まだ噂だが、越後・新潟から謙信が来ると勝家は常に恐れていた・・



浅井朝倉を滅ぼた信長の勢いは止まらなかった

9月終わりには浅井朝倉残党狩り

その後の伊勢・三重の一揆鎮圧は台風の影響で失敗するが

11月には三好を殲滅した

冬の間は内政が進み

次の年の1574年7月には伊勢・三重の長嶋一揆を兵糧攻めで殲滅した

[1575年]

信玄の死後、以前の強さ・団結力はないとは言え

たびたび織田・徳川の国境を武田軍が脅かしていた

そしてこの年5月、決着をつけるときがきた

5月の中旬、信長は嫡子信忠とともに兵を率いて

すでに徳川と武田の合戦が始まっている長篠(愛知の東部・浜名湖の北)へと向かった


武田家当主・勝頼は戦の名人だった

しかし将の器ではなかった 自らに自信がありすぎたのだ

このようなタイプは当時多く、柴田勝家なども同タイプであったろう

このタイプは自信を持つだけあって、戦をやらせるとめっぽう強い

その自信と能力から正確な決断を下し、そして決断したからには

迷わず進むことが出来る

このタイプは信長と勝家の関係の様にそれ以上の才能を持つものに

使いこなされるならば、非常に有効な駒となる


しかし短所があり、ひどく傲慢(ごうまん)なところがある

傲慢になるがゆえ、人の意見を聞かず人望が薄くなる

同じ大将でも信長はこの点違い、人の意見は冷静に聞いた

その上で自分の感情すら無視し必要不要を判断していたのだが

勝頼は自分の感情のおもむくままに行動していたため

信玄時代に実績を上げていた有能な家臣団とは次第に溝が出来てきた


いよいよ長篠において勝負を決するときが来た

信長・家康軍は約3万、武田勢は約1万5千、織田勢が2倍だ

しかし相手は武田家、その兵の強さは織田の3倍とも言われている

そうすると実質的には見た目ほど差がないと見てよかった


教科書に、「このとき織田信長はその弱さを補うために

鉄砲を3段で撃つという画期的な方法で武田騎馬隊を撃退した」

とある・・実は嘘だ

いや、半分本当だが・・

現代(というか教科書の基礎が作られた時代)と違い鉄砲の射程距離は

たった100m強

殺傷能力があるのは200mだが名人といわれるほどでなければ

この距離では当たりはしない

弓矢の射程距離が25〜50mだったことから考えてもそれほど長くはないのだ

しかも相手は馬だ

100mは人間でも10数秒で走りきる距離、馬なら10秒いらない

いくら3段で構えようとも誰か一人騎馬兵が鉄砲隊にたどり着けば

鉄砲隊は刀で戦う(槍を持たない)ため騎馬隊には歯が立たず壊乱する


つまり勝てたとしても圧倒的な勝利は挙げられないのだ

ではなぜ信長は圧倒的に勝利を得たのか?


秘密は「柵」と三段撃ちにあった

信長はこのコロンブスの卵的考えを二つ生み出している


一つ目の三段撃ちはこの時初めて考えられたのは本当だが

実は二段打ちは前からあった

ないわけないがない 銃の数が多いのだから

横一線でばらばらに撃つより二段になるほうがいいに決まっている

三段にしようとは考え付かなかったらしいが

それだけでは前に書いたように意味はない


ここで大事なのが「柵」

丸太で作った柵を鉄砲隊の前に置くことにより

騎馬隊が近づいても容易に攻撃できないようにしたのだ

柵などの簡易防護壁を前におく戦い方が出てきたのは

この時が世界で最初とも言われている


一見簡単だがこの二つの新工夫により

相手は無力に陥った


1000人が城に篭城すると

それを倒すのに10倍の10000人は必要といわれていた

つまり1000人が篭城では(簡単に言うと)10倍の強さになるのだ


そのため野戦で兵力の高い方が勝つはずの戦いが

一転、篭城体制をとった信長軍が実質的に30万対1万5千の戦いになり

当然、一方的に倒し続けるといった状況が出来上がった


この時、信玄時代の多くの有能な将が死に

勝頼は孤立した まだ滅びはしない・・・しかし、もはや無力で

あとは秀吉らの調略で内部崩壊を起こさせ

十分武田が腐ったところで、その実を払い落とせばいいだけだった


武田すら倒した織田信長はこの年

1575年11月に右大将として任官された

(それまでは任官をかたくなに拒んでいた)

(しかし、武家が右大将になるのは源氏のとき以来、)

(数百年ぶりのことであったため、これを受けた)


そして11月終わりには、家督を嫡男信忠に譲り

(信長の子供は本当のアホばかりだったが、嫡男の信忠だけは)

(元服以降、常に信長の側にいることにより一流武将に育て上げられていた)

自らは「公儀」つまり「大名より一段上の存在」として

これから物事を進めていくことになる



1573年8月初頭

三度、浅井・朝倉連合が動き始めた

動いたというより、あがいたに近い

浅井・朝倉は秀吉の調略によりすでに何人内通しているかすらわからない状態で

包囲網の作成者、足利将軍はすでに信長に追放され幕府は滅び

中国地方・毛利氏のところへ逃げた

大阪・本願寺も押しに押されて防戦しか出来なかった


浅井・朝倉このままでは間違いなく滅ぼされる

そこで浅井氏はまずは朝倉軍勢を呼び出す・・・

このとき朝倉軍2万と過去最大の数字であった

しかし、その軍が到着する前に信長が先手を打ってしまった

信長は浅井方の内通者を利用し次々に城・砦を落とし

部下たちは朝倉軍の足止めをした

こうなると浅井方にはわれもわれもと内通者が出始め

浅井はもはや虫の息となった


そこで信長はもっとも織田軍に近い朝倉方の城を自ら強襲し、即撃破した

そしてその敗兵を殺さず逃がすことによって

朝倉軍を撤退させようとした

撤退しているところを織田の主力で追撃・殲滅する作戦だ

本来ここで逃げねば数に勝る織田に敗北するのは必然なので

当然の読みといえる


しかし信長は怒り狂った

味方に問題があった

佐久間信盛・柴田勝家・滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・氏家直通・安藤守就・稲葉一鉄・稲葉貞通・稲葉典通・蒲生賢秀・蒲生氏郷・永原筑前・進藤山城守・永田刑部少輔・多賀新左衛門・弓徳左近・阿閉貞征・阿閉孫五郎・山岡景隆・山岡景宗・山岡景猶

このように、各軍団長や西美濃3人衆の氏家・安藤・稲葉、天才・蒲生氏郷など

そうそうたるメンバーをそろえていた・・・からこそ彼らは油断した

夜にまぎれて朝倉は逃げると読みきっていた信長は

再三、注意した

ただ「今夜敵は逃げるぞ」くらいにしか言っていないのだが

その言葉の裏に

「であるから、敵との距離をつめておけ」

「場合によっては攻めてもよい」

という意味を込めていた

しかし油断をし、それに気がつかない将たちに対し痺れを切らた信長は

信長自身が先駆けし、朝倉軍に近づいた

その報を聞いて驚いたのは柴田らだ

あわてて信長の後を追い、追いつくのだが信長の怒りはおさまらない

そこで皆、信長に対し次々に謝罪を申しあげた

謝っているのは将来日本の中核を担うものどもだったのだから

いかに信長が恐れられていたかがわかる



結局信長は怒りをこめたまま朝倉追撃に移り

信長の読みどおりに逃げていく朝倉軍は心体ともに疲れ果て

ついには朝倉氏からも裏切り者が出始め

それにより大名朝倉義景は切腹

裏切り者の朝倉景鏡も信長に殺され

ついに朝倉は滅んだ・・

このとき8月の終わりに差し掛かっていた

朝倉を失った浅井の落胆の色は濃く

それから一週間程度で浅井も滅んだ


信長包囲網はすでに破られていた

信長は各戸撃破の戦法を取らず

包囲網全勢力を、調略で弱らせていった


信長の配下の役割分担は明確に決まっており

進撃 柴田勝家・丹羽長秀・佐久間信盛・滝川一益

調略 豊臣秀吉(木下藤吉朗)

外交・偵察 明智光秀

となっていた

またこの6人含む全ての武将が各地の守りを固めていた


結果、包囲網は機能せずもっとも大きな勢力の浅井・朝倉でさえ

姉川の敗北から裏切りも有り士気は大きく落ち

信長が出向かなくとも秀吉だけで抑えられるほどになった


そのとき、ついに最強の軍団が動いた


『武田信玄』


信玄をはじめその配下の武将でさえ、戦闘の巧みさは誰にも引けを取らず

かつ、その兵の強さは尾張兵など相手にならなかった

その数、約3万


数は信長が上ではある

さらに武田には銃がない

甚大な被害は避けられないが、その利を生かせばいずれチャンスは訪れるだろう

つまり、鉄砲の威力が増す篭城をし、時を稼ぐのだ


しかし、家康の考えは違った

すぐに家康は打って出た

その兵わずか1万

無謀としか言いようがない

当然打って出るからには信長に援軍を頼んだ

信長も出さないわけにはいかず

主力の佐久間信盛とともに兵を3千ばかりだした

尾張兵3千が甲州兵相手になにができようか


それでも家康は突撃した

いざとなれば寝返ることすら出来た

かつて今川の下にいたときの様に

先鋒として織田家に噛み付くことも出来た

当時の家康は「たぬき」ではなく

清純な武将だった

(彼は調略などに手を出すようになってから)

(評判が落ち始める)

そんな彼には裏切ることは考えられなかったのかも知れない


武士として潔く正々堂々と立ち向かい

そして徳川勢は見事に崩壊した


一矢報いることすら出来なかった

家康はけして弱くなかったのに

信長や秀吉の様に先天的天才ではなく

後天的天才である家康がその手腕を発揮するのは

まだ後のことだが、すでに優秀な武将であったことは間違いなく

彼以上の大名というと

織田・武田・上杉・北条・長宗我部・毛利・大友・島津

くらいだったかもしれない

(実際に対戦していないのでなんとも言えないが)

その家康に対しほぼ無傷での勝利


最強の証拠だろう

(武田が滅んだ後、家康はこれを真似、完全に物にする)

(この辺、彼の天才的なところだった)


その武田に対して信長は挑まなければならなかった


・・・はずだった


信玄の寿命がつきた

年齢的にみて、別に早すぎる死ではなかった

信長の最大の敵が消えた瞬間だった


そして今こそ信長は浅井・朝倉と決着をつける


.
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

ヒロ
ヒロ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事