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人間科学〜HUMAN〜
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ドンパ・カンパ・ミトゥさん製作です リンクフリーのところからお借りしました また詳しくは をご覧ください 【八紘一宇】(はっこういちう)
全世界を一つの家にすること この精神は戦前の日本の思想で、人種の平等や支配されている民族に自決権獲得をさせようと言う考え 「人類皆兄弟」という言葉はこの八紘一宇の現代語訳と言われている 1920年に私達の二代・三代前の近しい祖先が この様に世界へ誇れる「優しさ」を持っていた事を知らなければならない そして私達は誇るだけではなく、私達もその優しさを持ち続けなければならない 助けることを即決した外務省と日本赤十字社 救出に尽力した軍隊 日本国民から惜しみなく届けられた数々の物資 自分の衣服を与えた子供たち キスをしてくれた看護師さん そして、殉職した看護師さん・・ 彼らの功績と心意気をけして忘れてはならない ・・けして絶やしてはならない ・・・教育とは
自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです この事実を多くの人が知ることで ・・・優しさってなんだろう・・・ そういうことを一人でも多くの人が考えられればいいなと思って記事にしました 断りのコメントもトラックバックもいらないので
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添加物は大きく二つに分類でき ・食品から取り出したもの ・科学的に作り出したもの があります 科学的に作られた添加物からは
国に安全だと提示され かなりの量が市場に流通した後 いくつものアレルギー物質が確認されました またアレルギーを引き起こさないと言われている添加物でも
大量に摂取することで アレルギーを引き起こす危険があると言われています さらに、06/07/26現在
約70種の添加物には成分規格がありますが 400種以上の添加物には成分規格がありません また、添加物単体においての安全検査はされていますが
複数の添加物を混合した状態での安全検査は、なされていません しかし、添加物は薬品ゆえに反応しやすく さらに、ほとんどの食品に添加物が複数使われている状態なので その安全性は未知数です もちろん、アレルギーの原因は 農薬・大気汚染・水質汚濁 などもあげられます ですから、多くの方がそれらには注意をして過ごしているはずです 特に子供がいる方は、注意しているはずですが 添加物の危険性を知る方は非常に少ないのが現状です
砂糖・じゃがいも・寒天を危険だと思う方は少ないでしょうし
もちろん危険じゃありませんが 野菜エキス・チキンエキス・たんぱく加水分解質が科学的に作られた添加物です チキンエキスなどと聞いて、鶏肉から取り出しているのだろうと思っている方は多いと想いますが これはただの薬品です この様に書けば消費者が安心するだろうと考え、この様に表記しているのです これらのことを親子で知り カップラーメンや冷凍食品を買うならば それはしょうがないでしょう 例えアレルギーが発症しようとも自己責任だからです
それを知らずに子供へ食べさせていてアレルギーが発症した場合
親が悪くないと言えるでしょうか?
コンビニエンスストアのパンやおにぎりを毎日食べさせているだけで
親は加害者になり 子は被害者になることがあります ファーストフードやカップラーメン、出来合いの食べ物のほとんどに 添加物が入っています そうじゃなければあの色はありえません そうじゃなければあの匂いはありえません そうじゃなければあの味はありえません 添加物無しの食品は、色落ちし匂いも悪くなり味も落ちるので 売り物として16時間以上常温で放置できるものは ほとんどありません しかし、明太子やハムの赤さをはじめ それが添加物によるものだと疑う方ですら少数なのが現状です ですから これからはなるべく手作りでご飯を作ってあげてください その時間がないならば 買う前に原材料欄を見て できるだけ添加物の少ない物を買ってください 同じくらいの値段なら添加物は少ない方がいいに決まっています それも一つの愛情だと想います 教育とは
自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです この事を多くの人が知ることで ・・・少しだけでもなにかが変わるかも知れない・・・ そう思って記事にしました 断りのコメントもトラックバックもいらないので
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1985年 イランイラク戦争激化
3月17日 サダム・フセイン大統領が世界へ発信した そのころ、イラン在住の日本人は避難するためにテヘラン空港にいた そこで日本へ帰るための飛行機に乗るはずだったのだが 空港には、フセイン大統領の発信を聞いた人々が大挙した 空港は混乱した ・・日本の対応は遅れた・・ ・・二百十五人が取り残されていた・・ そこへ、トルコの飛行機が二機到着し
日本人を乗せたトルコ航空機はイランを飛び立った そしてギリギリのところで命からがら生き延びることができたのだった しかし・・ なぜトルコ人が日本人だけを助けてくれたのか? 当時、誰もわからなかった 1890年(明治29年)九月十六日
台風が日本を襲った その夜の九時ごろ、和歌山紀伊半島の南端にある串本(くしもと)町沖で事件が起きた 串本町の東端断崖には、日本最初で最古の石造灯台である 樫野崎灯台(かしのざきとうだい)があった 台風で雨が滝の様に降り 波が怪物の様に荒れ狂っている中 一人の半裸の男がその灯台へとやってきた 半裸の男には日本語が通じなかったので
灯台守は、身振り手振りでトルコ人だと言うこと トルコ軍艦に乗っていたと言うこと そして、多くの乗組員が助けを必要としていることを知った 応急手当を済ませた後、灯台守は樫野の村へ急いだ 樫野の村は五十を超えるか超えないかの小さな村だった 今、五十の家に助けを求め、何人がこの台風の中 助けに来るのだろうか? 村人を引きつれ、灯台守は海岸へと急いだ 灯台守の後には、村にいる全ての男が後に続いていた 男達は海岸へ到着すると、悲惨な光景に皆が目をつぶった ・・・海面に浮く瓦礫・・海岸に打ち上げられた遺体の山・・・ そんな中、一人の男が動く人を見つけた 「息があるぞ!」 しかし体は冷え切っていた 温めようとしたが、台風の中火を焚く事もできなかった そこで自分達の体温で温めるしかなかった 激しい雨にうたれ、風にさらされながらも 必死に異国の人々を温め続けた 救助されたトルコ人は、村で療養に入った
トルコ人から見ても、村の暮らしは貧しかったが それでも村人は手厚くトルコ人を看病した 村の食べ物は尽き、非常食の鶏にも手を出した ・・自分達の餓死の恐れもある・・迷った末の決断だった ・・村人達は自分達の食料を削ってでも 怪我で弱ったトルコ人を救護したのだった 村人達の努力の結果 トルコ軍艦・エルトゥールル号難破事件は 六百名近くの死者が出た大惨事だったが 六十九名ものトルコ人を助ける事が出来た さらにこの悲しい事件を知った全国の日本人は 被害者達の家族に対し弔慰金を送った そして生き残ったトルコ人は 村人をはじめとした日本人に厚く礼を言い 日本の軍艦で本国トルコへと帰り、その感動を本国へ広めた ・・イランイラク戦争でなぜ助けられたのか・・
日本人記者が当時のトルコ大使に聞いた そして大使はこういったと言う
この事は、トルコの教科書に載っているそうですが
日本の教科書には載っていませんでした ・・・教育とは 自分の持っている【知識・考え】を次の世代に託すことの様に思います それが文化の継承や国の発展につながっている気がするんです この事実を多くの人が知ることで ・・・何かに気付く人が、一人だけでもいるかもしれない・・・ そう思って記事にしました 断りのコメントも傑作もトラックバックもいらないので
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