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日本について思うこと(230) 6 欧米思考と日本思考 (欧米思考は行き過ぎの危険性がある) (1)日米摩擦は、日本人とアメリカ人のものの見方、考え方、価値観の基本的な違いからくる摩擦だと思います。 欧米の人たちは、ものごとを観察するすぐれた能力をもっており、日本を観察する目は鋭く、緻密で、詳細で、批判的です。 しかし、そのような鋭い観察から導き出される結論は、欧米人の思考を経ると、いずれの場合も日本人は「西欧の論理的尺度では測れない」という壁に突き当ります。 そして、そこから先は、欧米人の日本人を見る目が迷走を始め、著しく思考が短絡し、論理が飛躍して、結局、日本人そのものに問題があるという結論に達し、現実の日本人とは正反対にちがう日本人像が形成されるのです。 日本人の持って生まれたものの見方、考え方、価値観は、論理の明確な軸足が示されないために欧米人には理解しにくく、欧米人の思考と価値観を通して見ると、情緒性、非合理性、非論理性、不透明性が目についてきます。 そのために、不可解な日本人、西欧の論理的尺度では測ることのできない日本人、ひとをたぶらかす日本人、狡猾な日本人、といった日本人像が形成され、理不尽な日本たたきにつながってゆくのではないかと思います。 しかし、日本人と欧米人のものの見方、考え方、価値観を比較した場合、日本人のものの見方、考え方、価値観は決して間違っていないのです。 (2)ひとつの価値観のもとに一方的に相手を審判し、相手のほうが悪いという確信をもって攻めてくる欧米人の思考は、思考の短絡と論理の飛躍を生みます。 妥協を許さない単眼的な欧米人の思考は、自らが間違っているのではないかという反省が生まれてくる余地がないので自制がきかず、行き着くところまで行きつかないと止まるところを知りません。 そのために、とかく大きな行き過ぎの過ちを犯す傾向があるように思います。 十字軍の派遣も、奴隷制度も、ホロコーストも、アパルトヘイトも、そして広島・長崎への原爆の投下も、みな欧米人の思考の行き過ぎの結果なのではないのかと考えられます。 それに対して日本人は、江戸から明治にかけての革命を、日本を内戦に陥れることなくやりとげ、江戸を火の海から救ったのです。 戦後の平和国家、民主国家への革命的な変革も、広島・長崎の悲劇を平和への誓いにかえることによって、日本人の血も、アメリカ人の血も流すことなく成し遂げたのです。 (人間社会のためには日本人の思考のほうがよい) (3)ひとつの価値観をもって相手を攻め、妥協を許さないアメリカ人の思考は、攻撃的であるが故に国際社会に緊張をもたらします。 アメリカ人の標的とされた相手は、当然、警戒心をもちます。そして、それを見てアメリカ人はさらに自らの猜疑心をふくらませます。 こうして果てしなく闘争が繰り返され、エスカレートしてゆくのです。 欧米的な思考は、ひとつの価値観ですべてを律しようとするものです。 それに対して日本人の思考は、ものごとをできるだけ包括的、多面的にとらえて、公平、公正、客観的、中立的に判断しようとするものです。 それは、自分のこころのなかで複数の価値観が競合しますので他人を攻撃する迫力に欠けますし、自己反省を伴いますので自分の意見に絶対的な確信を持つこともできません。 そして調和と協力を好む日本人の思考は、自らの不正に対しても、他人の不正に対しても、鈍感だったり、無関心だったり、甘いということになります。 しかし、人間は生きた動物であり、精神的な存在です。過ちもおかせば、悔いもする。理屈と気持ちの間は常に一致するものではないのです。 ひとつの価値観で、人間や人間社会を律しようとするのは間違っていると思うのです。 ひとつの価値観だけで人間の問題を解決することはできないように思います。 人間社会のためにはことなる価値観をそのまま受け入れる日本人のものの見方、考え方、価値観のほうがよいのです。 欠点はありますが、ものごとの多面性をそのまま受け入れて、調和と協調を第一と考えて、柔軟に対応する日本人の思考のほうが、日本人のためにも、また、異文化社会が共存する国際社会の平和のためにもよいのではないかと考えるのです。 日本人とアメリカ人とのものの見方、考え方、価値観のちがいは、わかりやすくいえば真珠湾を日本に対する警戒の合言葉にしているのに対し、日本人は広島、長崎の悲劇をアメリカに対する復讐の合言葉にはしないで、平和への誓いにしているという違いです。 「日本人は原爆を落とされたのになぜアメリカ人と仲がよいのだ」という質問に、欧米人に理解できるような説明ができない日本人の方が正しいのです。 アメリカ人の思考は、間違っているのではないかと思うのです。 ものの見方、考え方、価値観が正しいかどうかは、「西欧の論理的な尺度」で説明できるか、できないか、にあるのではなく、そこから導き出される結論が、より正しいかどうかにかかっているのではないかと思います。 |
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う〜ん大変参考になりましたが日本人的思考方途と西洋人的な思考回路の説明では不十分と思われます。私は海外で青年時代をすごし成人して帰国しました、つまり脳内構造が日本人と西洋人の二つの回路で構成されています。
日本人の発言もまた西洋人の発言も理解してどちらかに重みがかかるかと申せばやはり西洋人となります、西洋人から見た日本人像は奇妙奇天烈で論理回路がまったく理解不可能です、西洋人は思想を明確に説明できない人間には価値を置きません、日本人がそれに当たります。日本人は長屋の住民で井戸端会議が大好きで談合政治を好みます、この日本人の「あ・うん」の呼吸が西洋人にはまったく理解できない、私が見ても日本人の思考回路には首をかしげるような有様です。
2009/5/3(日) 午後 0:49
コメントありがとうございました。こんどは、どうでしょうか?
(5月5日のブログ「思考回路の混乱」をみてください)
2009/5/5(火) 午前 3:14 [ rokurogen ]
英語と日本語を比較すれば分かりますけど、英語は1人称を統一し、
長台詞よりも短い台詞で真意を突く構造になっています。なので、
あなたが仰る「鋭く、緻密で、詳細で、批判的」になりやすいのです。
しかしイタリアの友人も指摘していますが、英語やドイツ語などの
ゲルマン系言語はラテン系言語に比べると表現の幅は狭く、情緒や
著者の気持ちを考えると言う発想はありません。あくまで著者に対して
自己解釈で、批判します。つまり忖度という感情も生まれず、客観的に
自分の意見を言うので批判的になるのです。こうなると新しい考えにも
批判的になり、イギリス人やドイツ人が気難しいのは言語が原因とされます。
関西人がなぜ関東人と性格が違うのかも言語です。言葉は性格を作ります。
2018/7/6(金) 午後 1:25 [ - ]