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日本について思うこと(308)
このブログの著者であるわたくしは1940年3月9日に生まれて戦後の日本に70年以上生きてきた日本人です。 そのうちアメリカと戦争をしていた幼児期の5年間を除き、人生の大部分である70年以上はアメリカとの関係を抜きには考えられない戦後の日本の歴史を体験してきました。 この長い間に得たわたくしの実感は、身近であるようでいてすこしも身近に感じられないアメリカでした。 70年間も密接な関係にありながら、このよそよそしさはいったい何なんだろう。 そこでたどりついた結論は、われわれ日本人は、実は、アメリカやアメリカ人のことがあまりわかっていないのではないかということでした。 そしてさらに言うならば、アメリカ人もまた、日本や日本人のことをあまりわかっていないのではないかということでした。 そこで人生の最終段階に到った今、日本人とアメリカ人を比較して「アメリカ人論」を書いてみたいと思いました。 あらためて日本人とアメリカ人を比較してみると、日本人は日本人自身のこともわかっていないのではないかという疑問もわいてきました。 そこで「アメリカ人論」は必然的に日本人についても論じることになりました。 ことなる文化圏の民族を比較することは本来、比較文学・比較文化、あるいは文化人類学の専門家の仕事です。 しかし、わたくしは比較文学・比較文化や文化人類学の専門家ではありません。 日々の社会生活のなかでその日その日に出会う問題の処理に追われるあわただしい人生を送ってきた普通の日本人です。 このような者に、膨大な量の日米の書籍を読みあさり国民性を比較研究するのは不可能なことです。それこそ専門家に任せるべきことなのではないかと思いました。 また、アフリカの類人猿の生活習慣や集団行動を調査することから始めてアメリカ人や日本人を理解するのはあまりにも遠い話になってしまいますので、それも専門家に任せるべきことではないかと思いました。 そこでアカデミックな「アメリカ人論」を書くことはやめて、子供の頃からの人生体験と成人してからの海外での実務体験から得られた知識をもとにして、自分なりのやり方で日本人とアメリカ人を比較してみたのがこのブログです。 アメリカと戦争をしていた幼い間は、福島の田舎に疎開していたために東京大空襲は経験しませんでしたが、田舎の学校の校庭で玉音放送を聞き、終戦になって東京に帰ってきたときの荒廃した風景は覚えています。 親戚のあった本所一帯の焼け野原、浅草の闇市をうろうろする貧しい日本人の雑踏、そこで売られている軍服の古着や靴などの生活用品、白い衣服をまとって街角で物乞いをする傷痍軍人、そして銀座四丁目の和光のビルの周辺にたむろして女と戯れる大勢のアメリカ兵の姿には子供心ながら不快な思いをしたのを覚えています。 小学校に行くようになってからはDDTの散布と脱脂粉乳のミルクとコッペパン。中学に越境入学してからはすし詰めの教室で受ける民主主義教育。高校への進学競争。 大学受験を控えての結核の再発。長い療養生活の後の大学入学。学生がみな安保反対のデモに行ってしまった後のがらんとした教室。専門課程に進学してからの日本人やフランス人の先生たちの高い知性との出会い。そして就職。 わたくしのその後の実務経験とは、おもに次のような外国における勤務体験でした。 1974年に国連関係の仕事についたときには開発途上国による天然資源の恒久主権主張の嵐が吹き、先進国が世界の開発途上国に突き上げられるという毎日。 1977年にアフリカのザイールに転勤した時にはアンゴラから旧カタンガ兵が攻めて来て米ソ冷戦の代理戦争がおこり、現地で働く日本人の安否が懸念されました。そこで見たものは独裁者として欧米から厳しく批判されていたモブツ大統領の必死になって国を守る姿でした。 1983年にブリュッセルに赴任した時には日米貿易摩擦のヨーロッパ版である日欧貿易摩擦で激しい日本たたきにあいました。 1989年にふたたび国連の仕事についたときには、イラクによるクエートの軍事侵略により湾岸戦争がおこり、日本に対する高額の財政負担の圧力が押し寄せてきました。そしてベルリンの壁の崩壊から1991年のソ連の消滅とソ連圏の分裂という大きな歴史の転換を経験しました。 そして、1992年に赴任したパリではユーゴスラビアの分裂と民族紛争のニュースにあふれていました。 その後、1994年に転勤した中米のグアテマラでは35年に及ぶ政府とゲリラの間の内戦がまだ続いており、人権侵害の犠牲者の遺骨の発掘がおこなわれ、和平達成への努力が続けられていました。 そして、2000年に赴任したペルーでは、第三期目の選挙に当選して成立したフジモリ政権が側近の腐敗によって崩壊し、大統領自身が日本に亡命してきて日・ペルー関係は最悪の状態になりました。 これらの勤務体験は、国際社会のさまざまに異なる文化、異なる民族の「ものの見方、考え方、価値観」のちがいを教えてくれました。そして、それに伴う国家間、民族間の利害の対立、摩擦、紛争のありさまを見せてくれました。 2007年に従軍慰安婦問題をめぐるアメリカからの日本に対する思いがけない激しい攻勢がおきたときには、ペルーの日系人フジモリ大統領に対するアメリカからの激しい攻勢に重ね合わせして見ることができるものを感じました。 そこで、この機会に、わたくしの70年以上の人生をともに歩んできた日米関係を、ペルーの例と比較しながらふりかえってみようと思いこのブログを書いてみることにしました。 しかし、比較文学・比較文化、あるいは文化人類学の専門家でもないものが「アメリカ人論」を書くことに躊躇を感じないわけではありませんでした。 また、このブログに書かれた「アメリカ人論」は、日本人の一般的な常識から言えばかなり変わった見方ですので、読者にどのように受けとられるか懸念がありました。 それに、日米関係を緊密にしなければならないこの時期に、このような「アメリカ人論」を論じてもよいものかどうかという迷いもありました。 しかし、身近であるようでいてすこしも身近に感じられないアメリカを身近に感じるために、そしてなによりも日米関係をより緊密なものにするためには、日本人がアメリカとアメリカ人のことをどう見ているかということを率直に明らかにして、アメリカの人たちに知ってもらうことが、是非、必要なことだと思いました。 このようにして日本人による「アメリカ人論」としての「日本について思うこと」のブログを発表した次第ですが、全体をお読みになって率直なコメント、ご批判をいただければ幸いです。
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無条件に非核を訴える絶対的な平和主義論のロジックって、核兵器の悲惨さを訴えれば、全ての人間は非核に同意するという思い込みだけで、動いているようですね。それと日本人には核を持たせないで、必要な場合にはアメリカが日本への核の配備を引き受けるという発想は、未だにアメリカは戦勝国気分でいるという事でしょう。
2009/8/16(日) 午後 1:34
NHKのWebアンケートに答え、番組内での世論調査結果をすべてまとめました。
3つの記事をトラックバックしますのでよければご参照ください。
2009/8/16(日) 午後 4:41