小説 フジモリとデモクラシア

2000年の大統領選挙。あのときペルーで何がおきたのか。

天下をとる

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デモクラシア(15)



 翌七月二十九日、マチュ・ピチュで大統領就任を祝う式典がおこなわれた。

 その模様を、メディアは次のように伝えた。


 壮大なインカの都市、マチュ・ピチュで、大統領アレハンドロ・トレドは、二十九日、国民の手で貧困と汚職を撲滅するための政治をおこなうことを誓い、われわれの最も純粋な先住民族を放置することなくペルーを近代化への道に乗せると約束した。

 トレドは、歴史を思い起こさせる象徴的な儀式をおこない、チリとコスタリカの大統領、スペインの皇太子アストゥリアス公、その他の要人とともにマチュ・ピチュの遺跡をまわった。

 マチュ・ピチュでの儀式には、真っ青な空の下、インカの衣装で飾りたてた男女が登場し、風にたなびくタウアンティンスーヨの旗をかざし、ケチュアの声と歌が会場を制した。

 儀式は四十分間続き、トレド大統領とエリアン・カープ夫人は、民族衣装を着たインカの四つの行政区画クアトロ・スーヨスの男女の代表から、贈り物を受けた。

 その後、ヘリコプターで一行はサクサイウアマンの遺跡に向かった。

 トレド新大統領はそこで、警察官や教職員、保健医療従業者の給与の引き上げを約束するとともに、罷免された前大統領アルベルト・フジモリが、政権時代の汚職の追及を逃れるために日本国籍の陰にかくれていることを非難する演説をおこなった。

 新国家元首は、「フジモリは、裏切り的な日本国籍の陰に隠れるために、裏口から逃げ出した」と厳しい口調で演説した。

 サクサイウアマンの遺跡の舞台から聞こえてくるトレドの言葉に、参加者たちは声をあげて、日本に対し、裁判に服させるために前大統領を引渡せと叫んだという。



 翌七月三十日、三軍および国家警察の総司令官でもあるトレド新大統領は、大統領就任後最初の国家行事として、独立記念日の軍事パレードを主催した。

 一年前、三選をはたしたフジモリ大統領は騒然とした政治環境の中、やむなく軍参謀本部の中庭でこの儀式をおこなったが、トレド新大統領は、舞台をブラジル通りに移し、オープンカーに乗って晴れやかに、大々的な凱旋のパレードをおこなった。

 国民は、ペルーにデモクラシアが復活したと歓喜した。

 諸外国は、民主主義をペルーに回復した大統領としてアレハンドロ・トレドをたたえ、民主主義の強化と貧困との闘いを支援するというメッセージを送った。


 ここにアレハンドロ・トレドの天下とりは完了した。




「第3部 天下をとる」
(了)


デモクラシア(14)



 七月二十八日、土曜日。

 アレハンドロ・トレド・マンリケ新大統領の就任式の日がやってきた。

 就任式には諸外国から十二名の大統領、四名の副大統領、一名のファースト・レディ、一名の皇太子、その他各国の閣僚、国会議員、大使、国際機関代表などが出席した。

 大統領として出席したのは、パナマのミレイヤ・モスコソ、パラグアイのルイス・ゴンザレス・マッキ、ベネズエラのウゴ・チャベス、コロンビアのアンドレス・パストラーナ、コスタリカのミグエル・アンヘル・ロドリゲス、エクアドルのグスタボ・ノボア。

 それにアルゼンチンのフェルナンド・デ・ラ・ルア、ウルグアイのホルヘ・バトレ、ブラジルのフェルナンド・エンリケ・カルドーソ、ドミニカ共和国のイポリト・メヒア、チリのリカルド・ラゴス、ボリビアのホルヘ・キロガ。

 そのほかグアテマラの副大統領フランシスコ・レイエス・ロペス、エル・サルバドルのカルロス・キンタニージャ、マレイシアのダトゥク・モハメド・シャフィーなどが出席した。

 イスラエルからは外相シモン・ペレス、アメリカからは通商代表ロバート・ゼーリック、日本からは文部科学大臣アツコ・トオヤマ、メキシコからはファースト・レディ(大統領夫人)マルタ・サウム・デ・フォックス、スペインからは皇太子フィリッペ・デ・ボルボンと外務大臣ジョセフ・ピケ、チェコからは外務大臣ウゴ・マテなどが出席した。



 朝九時からカテドラルでミサがおこなわれ、十一時から議会で就任式がはじまった。

 まず移行政府大統領バレンティン・パニアグアによる国民への離任の挨拶がおこなわれ、ついで十一時四十五分、カルロス・フェレーロ議長が、トレド新大統領に大統領としての紅白の襷をおごそかにかけた。

 これによって二〇〇一年七月二十八日から二〇〇六年七月二十八日までの任期の第五十七代ペルー共和国大統領アレハンドロ・トレド・マンリケが誕生した。


 次いでトレド新大統領は、大統領就任の演説をおこなった。

 その中でトレド大統領は、貧困との闘い、汚職、麻薬との闘いを強調した。

 トレド大統領は、一年前には予想もしていなかったが、政権をとることになったと述べることからはじまり、自分は、汚職追放とデモクラシアの回復に努力する。後戻りのきかないデモクラシアへの道を踏み出した。民衆がクアトロ・スーヨスでデモクラシアを勝ち取ったと述べた。

 新大統領は、国民に奉仕する政府をめざすと述べ、雇用創出、保健、教育、水、電気など貧困との闘いに全力をあげると述べた。

 われわれは多民族国家であり、国民の五四%が貧困に喘いでいる。貧困の打破と近代化への道を歩む。インフレなき経済財政政策をおこなう。持続的経済成長と競争力の強化をめざし、アンデス共同市場の促進と国境密貿易の取締をおこなうと述べた。

 トレド新大統領は、また、経済の民主化なしには真の民主制度の改革はできない。短期的な経済活性化政策と新規投資による雇用創出、外国投資誘致のための法的安定の確保、経済政策の安定、農業、観光、建設、鉱業の活性化。アグロ・インダストリー振興による雇用創設。住宅建設を増し、観光を振興する。マイクロ企業の振興をはかり、小規模融資制度をつくる。社会生産増加のための地方の振興をはかるなどと述べた。

 トレド新大統領は、援助国会議におけるスペイン、フランス、ドイツ、EUの協力に期待を表明し、労働問題については、ILO条約による労働権の保障、組合権、全国労働評議会の強化を約束し、多民族、多文化社会の尊重を訴えた。

 市場経済の尊重を説き、教育の近代化と国家予算の三〇%を教育に振り向けること、健康保健制度の導入、若者達の行政への参加促進を約束した。

 トレド新大統領は、民主主義の確保と人権の保障を約束し、自由と国際的平等を求めた。

 反汚職と反麻薬との闘いの推進を誓い、米、加、欧州との関係は相互平等であるべきことを訴え、ラ米の大統領に武器購入の即時凍結を求めるとし、武器を必要としないラ米平和地帯を構築したいと述べた。

 トレド新大統領は、国家資金を教育と貧困との闘いのために使いたいとし、民主主義制度と地方分権の促進をはかり、二〇〇二年十一月には地方選挙をおこなうと述べた。

 また、真相糾明委員会への支援を表明し、その独立を保障したいと述べた。

 汚職と犯罪の撲滅のために検察制度の独立自治をはかり、汚職捜査の権限と手段を付与したいと述べ、麻薬捜査と資金洗浄の捜査のために、大統領とは独立した権限を付与したいと述べた。

 トレド新大統領は、また、報道の自由を保障する、軍と警察の全面的改革をおこなう、国防大臣は文民とすることなどを約束し、国民の統合と協調と和解を求め、民族と文化の多様性のなかでの統合を求めた。

 トレド大統領は、しかし、注目されていた農業銀行の創設問題とフジモリ前大統領の引き渡し問題には言及しないで演説を終えた。

 そのため、二階の傍聴席から「日本よ、ドロボーを返せ」というシュプレヒコールがおこった。
デモクラシア(13)



 トレド次期大統領の就任式が近付いてきた。

 七月二十六日付の新聞は、日本からの出席者について、次のように伝えた。

 ベネズエラの大統領ウゴ・チャベスはトレド大統領の就任式に出席するかどうかを検討中であるが、日本からはアツコ・トオヤマが代表としてやってくることになった。

 日本が前大統領フジモリとその家族を保護していることから、両国間には緊張が高まっているさなかではあるが、二十七日にトレド次期大統領と会談をする。

 会談では、日本政府が、フジモリの引き渡しのみならず、アリトミの引き渡しについても困難にしたことも議題になろう。

 トオヤマは、文部科学担当の大臣で、就任式の日本の代表団長をつとめる。

 ペルーの外交筋によれば、ペルーの元大使の日本帰化問題にもかかわらず、両国間の外交関係を維持しようという日本政府の意思の現れだという。



 同じ二十六日、ヘスス・マリア区長フランシスカ・イスキエルドはブルトーザーを持ってきて、日本大使館前のテロ防護壁を取り壊した。

 各紙が写真とともにその模様を伝えたが、七月二十七付のラ・レプブリカ紙は、次のように報じている。114


 ヘスス・マリア区の日本大使館前に設置されていた壁が、違法に建設され通行の邪魔となっていたために、二十六日、取り壊された。

 この措置は、区の決議第一一六二・二〇〇一号に基づくもので、この決議は、サン・フェリッペ通り三五六の大使館前の公道に建設された壁を取り壊すことを決定した。

 区長フランシスカ・イスキエルドは、七月二十日に出された区の決定を履行するために大使館前の現場にやってきた。

 現場には区関係者、市民団体、政治家、レジステンシア・シビルの闘士たちが、フジモリの引渡しを求めるプラカードやペルー国旗をもって、大勢待ちうけていた。

 長年大使館を護ってきた幅五メートル、高さ二・五メートルの十三枚のコンクリートの壁は、ブルトーザーによって短時間のうちに破壊された。

 防護壁は、一九九一年と一九九二年に大使館が自動車爆弾をつかったテロリストの攻撃対象になったあと、テロの攻撃から大使館を護る手段として一九九三年に建設された。

 イスキエルド区長は、防護壁の取り壊しはなんら政治的動機によるものではなく、日本政府が前大統領をペルーの司法に服させるための引渡しを拒否したことに対する復讐ではないと述べた。

「われわれは単に規則を守っただけで、ペルーの土地は尊重してもらわなければならない」と述べた。

 日本大使館は、「ヘスス・マリア区が大使館の同意なしにこのような決定をおこなったことを遺憾とする。ことの重大性に鑑みて、大使館は外交的、司法的に可能な措置について検討する」というコミュニケを出した。

 ペルー外務省筋は、本件は「大使館とヘスス・マリア区との問題」と考えるので、政府としてはいかなる立場もとらない」と述べた。

 大使館は、壁の設置は違法ではなく、壁を建設するにあたっては区の決議による許可を得たと述べ、治安情勢が改善したときに取り壊すという約束になっていると説明している。



 七月二十七日にも、午後十二時五十分から十四時半まで、約一八〇名が、日本大使館に抗議のデモにやってきた。

 抗議行動参加団体は、レジステンシア・シビル、民主主義人権擁護弁護士協会、反汚職・反不処罰同盟運動、市民社会集団、青年ヒューマニズム同盟運動、人民集会運動、サンボルハ住民運動などだった。

 プラカードには、「日本は犯罪者の揺りかご」、「フジモリたちをペルーに奪い返せ」、「フジモリよ、監獄に入れてやる」などと書かれてあり、参加者たちは、全員で「十月十日、日本大使館を占拠する」と叫び、「日本の誠実さはどうした」、「日本人万歳、日本政府打倒」などとシュプレヒコールをあげた。

 この抗議運動には、約二十名のメディア関係者が取材にきていた。




114 La República, Perú, Viernes 27 de julio del 2001
"Derriban muros de embajada del Japón"
デモクラシア(12)



 七月二十三日、ヘスス・マリア区の日本大使館の事務所前で、彫刻家ビクトル・デルフィンが主催するラ・レジステンシアが召集した抗議行動をおこなわれた。

 午後五時四十分から九時過ぎまで、総勢約一二〇〇名ほどが日本大使館前に結集、日本政府に対する抗議デモをおこなった。

 参加団体は、市民抵抗、人権擁護協会、民主主義人権学生協会、賢者の団体運動、ペルー・ポッシブレ党、青年ヒューマニズム同盟運動、アルファとオメガ宗教団体、ペルー学生連盟、若い民衆の力運動、民衆集会運動、コンスティトゥヨ青年運動、テレフォニカ電話会社解雇者組合、建設業労働者組合、ペルー教職員組合、サンタロサ花市場運動、エンリケ・グスマン・バリェ大学、国立美術学校、ペルー統一運動党ハビエル・ディエス・カンセコ議員、独立浄化戦線党エリベルト・ベニテス議員などだった。

 抗議行動の参加者たちが振りかざすプラカードには次のような文言が書かれていた。

「許しの前に、まず刑務所だ」、「ヤクザが麻薬取引業者フジモリとアリトミを庇護している」、「日本よ、犯罪に国籍はない。彼を引渡せ」

「日本よ、お前が匿っているのはネズミと蛇だ」、「大統領の襷は大虐殺のあかしだ」、「尊厳は交渉の対象とすべきものではなく、守らなければならないものだ」

「残るのは誰だ。サンチャゴ・フジモリ、ケイコ・フジモリ、ペドロ・フジモリ、クリガミ、ヨシヤマ、ヒガオンナ、ミヤグスク」

「二世よ、真珠湾を覚えているか。裏切り者」など。

 この日の抗議行動の参加者たちは、「十月十日、日本大使館を占拠する」、「ペルーに尊厳あり」、「闘いなくして勝利なし」

「チーノと手下はヤナマヨ刑務所へゆけ」、「日本マフィアよ、人殺しフジモリを追い返せ」、「フジモリよ聞け、民衆は過去を忘れない」、「ラ・カントゥータ、バリオス・アルト事件を忘れない」

「帝国主義日本よ、テロリストを返せ」、「ヤクザ打倒」などと叫んだ。

 この抗議行動には、テレビ局、ラジオ局、新聞社など関係者二十五名あまりが取材に集まり、テレビの実況中継がおこなわれた。

 抗議行動の参加者たちは、大使館の建物に向かって生たまごやゴミを投げたり、タイヤにガソリンをまいて火をつけるなどの行為をおこなった。

 また、二〇〇名ほどの別のグループがハビエル・プラド通りにある大使公邸にも集まり、抗議行動をおこなった。



 翌二十四日のラ・レプブリカ紙は、デモの様子を次のように報じた。113


 大勢の群衆が、二十三日、囚人服を着たフジモリとモンテシーノスをかたどった張り子の人形を入れた巨大な鳥かごをかついで、日本大使館の前を練り歩いた。

 抗議運動の参加者たちは怒りをあらわにし、強い口調で抗議した。

 彫刻家で画家のビクトル・デルフィンが先頭に立ったラ・レジステンシアの呼び掛けには、いろいろな団体が参集した。

 アマウタ集団のような市民団体、人権擁護団体、サン・マルコス大学とカトリカ大学の学生、リマ弁護士会代表、ビジャ・エルサルバドル地区住民、一般市民などが参加した。

 とくに若者のデモ参加者たちは、プラカードや横断幕をかかげ、「日本よ、ペルーの裏切り者を返せ」、「日本は名誉を捨て、マフィアに成り下がった」、「チーノの人殺し、ヤナマヨの刑務所がお前を待っている」、「インプニダのない尊厳」、「フジ、ブラジ、独房がお前達を待っている」などと叫んでいた。

 群衆のなかには議員エリベルト・ベニテスがいた。

 ベニテス議員は、リマ弁護士会の名前で日本の弁護士会に書簡を送り、なぜフジモリの引渡を要求するかを説明し、司法への協力を求めた。

 「これはイデオロギーその他の政治闘争ではない。フジモリと共犯者は犯罪者として追求されているのであって、政治的迫害を受けているものではない。かれらは違法蓄財や脅迫、人道上の犯罪、人権侵害などの犯罪をおかした」と説明した。

 ベニテスは、これらの犯罪はペルーでも日本でも中国でもアメリカでも処罰される。通常犯罪で追求されているものはいかなる国においても政治的な保護があってはならないと強調した。

 彫刻家ビクトル・デルフィンは、国民が感じている怒りは当然のことで、日本政府はこの全国的に広がる抗議の声に耳を傾けなければならないと述べた。

 人権団体アプロデ(APRODEH)の委員長フランシスコ・ソベロンは、フジモリとアリトミを汚職ばかりでなく人道上の犯罪として裁く必要があるので、彼らの引渡しのためには、日本政府に対してもっと強硬な態度をとるべきだと次期大統領アレハンドロ・トレドに訴えたいと述べた。

 カトリカ大学のフェリックス・アルベレスは、人民が多くの犠牲をはらって結集し、多大の危険を覚悟で独裁者を倒すために戦ったように、今や同じ方法で、国を堕落させた者どもを不処罰のままにしておかないことを要求して、街に出るべきだと叫んだ。

 「われわれは、これは単にペルー政府の要求であるばかりでなく、国民すべての要求であるということを世界に理解させるために、われわれの司法当局と外務省の努力を支援すべきだ」と述べた。

 抗議に参加した団体は、この抗議行動は、フジモリ、アリトミの引渡し実現のためにペルー当局がおこなっている努力を国民的に支援する一連の国内的、国際的キャンペーンの一環をなす最初の抗議行動であると述べた。




113 La República, Perú, Martes 24 julio del 2001
“Miles reclaman a Japon que entregue a Fujimori”

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