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福山市熊野町の中世石塔群
熊野町にある中世の石塔群です。
写真中央の大きな寶篋印塔が宮近門民部左衛門尉定信の墓と伝わるものです。
熊野町の中世石塔群
宮近門は熊野町の一乗山城を築いた渡辺越中守兼に討ち取られたと伝わっていますが、石塔の特徴から兼に討たれたという永正年間(16世紀初頭)の造立ではなく、もっと古い、室町初期に遡るものではないかと考えられます。
宮近門の墓と伝わる寶篋印塔
中世の石塔群の様子を見ると、群中ひときわ大きな寶篋印塔が族祖のもので、後のものはそれより小さな寶篋印塔や五輪石塔の場合が多いようです。この観点からこの石塔群を観察すると、一番大きな宮近門の墓と称されているものが族祖の墓で、もし宮近門が伝えられているように渡辺兼に討ち取られた人物とすれば、それ以外の小さな石塔と考えられます。
常国寺の曼荼羅本尊、日親の花押の左に
「宮長門民部左衛門尉信定戒名定親」とある
なお、「宮近門民部左衛門尉」は実在の人物で、正しくは常国寺の日親自筆の曼荼羅本尊の宛所「宮長門民部左衛門尉藤原信定戒名定親」です。長門の草書体が近門に似ていることから誤って伝えられたものです。
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石塔見て歩き
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