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有地川流域の歴史(1)原始古代
芦田川流域の歴史は、支流から開けていった。縄文時代前期、今から六千年前に大きく神辺平野に広がった「穴の海」は、次第に狭まりつつも、歴史時代にはいっても御幸や森脇の辺りに痕跡を残し、有地川や服部川、加茂川などの河川は、当初は芦田川の支流と言うよりも、この穴の海に河口をもつ独立した河川であった。したがって、古墳時代までの各流域の歴史は、それぞれで大きな特徴をもっている。
茶臼山遺跡(古墳)の石列
有地川流域の古代遺跡は、今まで大きく誤解されていた。古墳時代後期の横穴式古墳は存在するが、それほど古く大きなものはないと考えられてきた。ところがこの遺跡の「空白地帯」と考えられてきた有地川流域の古代史は、ここ二〇年ほどで一変した。一九八〇年、駅家町大橋の石鎚権現遺跡が発掘され、その五号墳は全長三七㍍の前方後円墳であったことが判明した。また、十年ほど前には、新市町の相方で団地造成の事前調査として大規模な発掘調査が実施され、弥生時代から古墳時代にかけての墳墓や住居址が多数発見された。五年前の「茶臼山遺跡」の発掘もまだ記憶に新しい。
茶臼山遺跡の土抗墓
これらは今まで我々が等閑にしていた、芦田川の右岸での発見である。これまで研究者は神辺平野の北側にばかり目を向け、南側は遺跡の希薄な所と考えて来た。これが誤りであったことをこれら一連の発掘が証明した。(田口義之「芦田の歴史」より)
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芦田の歴史
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