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「その風俗は淫らではない。…婦人は髪をゆってうしろで結んでいる。衣服は一枚の布で、真ん中に穴を開け、頭から被っている。…」
これは、今から一七〇〇年ほど前の中国の史書「三国志」魏書東夷伝倭人の条(通称魏志倭人伝)の一節です。
現在のようにシャンプーもなく、石鹸もなかったはずですが、私はこの記述を読むと、なぜかあの簡素な弥生式土器のような、清楚な女性を想像してしまいます。
大和撫子は、二千年前から変わらないのでしょうか。
しかし、気になる記述もあります。
「その俗は、身分のあるものは五、六人、庶民でも二、三人の妻をもっている。婦人は淫らでなく、嫉妬もしない…」
これはどうしたことでしょうか。当時の男性はアラビアの王様のようにハーレムを持っていたのでしょうか。
実は、私たちの遠い先祖は、当時まだ今日のような婚姻制度を持っていなかったのです。
古代のわが国の婚姻制度は、〝妻間婚″と言って、男性が女性の家に通いました。それも制度的なものではなく、女性が拒めば男性は別の女性を見つけなければなりません。生まれた子供は女性が育てましたから、当時の中国人から見れば、一人の男性がたくさんの妻を持っているように見えたのです。
このように『倭人伝』は、弥生時代の風俗を知る貴重な史料となっています。そして、政治的にも女性が王様であったという驚くべき情報を現代にもたらしてくれました。
それが有名な邪馬台国の女王、卑禰呼です。
卑禰呼は 〝よく鬼道を使い、衆を惑わした〃とあります。鬼道とは、神の言葉を伝えたり、占ったりする呪術のことです。つまり、彼女は巨大な権力を持った巫女だったのです。
古代人が好んだ勾玉
とすると、小国の上に立つ倭国王が女性だったわけですから、各地に存在した国々にも卑禰呼のような女性がいた可能性があります。果たしてわが備後にも女王がいたのでしょうか。
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備後の歴史を彩った女性たち
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