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悪党の根城
広葉樹の葉が落ちた晩秋から初冬にかけては、山城歩きの絶好の季節である。落ち葉を踏みしめて歩く里山は思ったほど寒くなく、雑木越しに見える青空は澄んで清々しい。
北から見た追畑城址(真ん中の尾根の山頂が城址)
落ち葉を踏み分けながら城跡を訪ねていると、時々不思議な山城に出くわすことがある。20年ほど前のことだが、神石郡油木町(現神石高原町)の教育委員会の依頼を受けて、同町内の山城をしらみつぶしに歩いた時のこと。ある冬の日、小野という集落の追畑城という山城跡に案内された。小野地区は、油木町でも東北の高原上の山村で、追畑城跡は、そのさらに南縁の高原が成羽川に落ち込む断崖上にあった。
その時作成した略測図(油木の古墳と山城)
自動車から降りて、瘠せ尾根を歩くこと30分、突然目の前に城の堀切が現れ、その向こうにぽっかりと盛りあがった追畑城に到着した。城跡に立ってぞっとした。左右は切り立った断崖で、はるか南下に川面が白く光っている。周囲には、斜面にへばりつくように数軒の農家があるのみで、谷田はおろか畑もない。
帝釈峡の矢不立(やたたず)城址
こういった周りに集落や街道もない断崖上の山城跡は、岡山や広島に点々と分布している。観光地として有名な帝釈峡の矢不立城や立石城など、渓谷の中にそそり立つ岩山といえば、その険しさの想像がつこう。
一体誰がこんな険しい断崖上に城を築いたのであろうか。城というものは、周りに集落や街道や耕地がなければ意味をなさない。
下帝釈の黒岩城址
築城者として浮かんでくるのは、「悪党」と呼ばれた中世の盗賊武士団である。彼等は集団で村落を略奪した。幕府の討伐軍がやって来ると、さっさと山奥の根城に逃げ込んだ。追畑城や帝釈峡の断崖上の山城は、彼等の根城だったのではあるまいか。
初冬の山城に登り、こうした空想に耽るのも山城歩きの楽しみの一つである。(田口義之「一日一題」山陽新聞連載) |
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