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福山最古の古墳か、新市町の潮崎山古墳
最近の新聞には発掘や発見などの考古学に関連したニュースが多い。過去からのメッセ−ジにはそれだけ関心が深いということだろう。
これは昔の人も変わらない。古くは『続日本紀』に銅鐸出土の記録がある。備後の人も同じだ。江戸時代後期の文政十(一八二七)年春、芦田郡相方村(現福山市新市町相方)の潮崎神社境内で古墳が発掘され、話題を呼んだ。
潮崎山古墳登り口
「地をならしけるに、其丘に老小松十文字に植えたるようにて、いと古くかせたるあり。是を穿ち捨て地をならしけるに、自然石の長五尺はかり、横三尺余もある岩あり、是をかへしみれば、下は石槨なり。割ままの石を石灰にて詰めたり。其の中に石を置き、石の上に差し渡し八九寸の円鏡あり…」(『西備名区』芦田郡相方村の条)
意味不明の個所もあるが、要するに神社の背後の丘を掘ったら石室が現れ、蓋を開けたら直径二〇センチほどの青銅の鏡が出て来たと言うわけだ。
潮崎山古墳後円部を望む
石塔のあたりから石室が発見された
これが備後南部最古の古墳と言われる新市町の潮崎山古墳発見の経緯である。
現地を訪ねてみると、潮崎山は、芦田川南岸に聳える比高五〇㍍程の円錐形の丘で、山頂に墓地があり、一段低くなったところに潮崎神社の小さな祠が建っている。近年の測量調査で、全長三〇㍍ほどの前方後円墳と考えられているが、埴輪やはっきりした「前方部」はなく、断定は出来ない。
潮崎山古墳前方部
神社の造営で削平されている
潮崎山古墳が備後南部最古の古墳として注目されるのは、文政十年に出土した「円鏡」にある。この円鏡は、永く民家に秘蔵されていたが、村上正名先生が実見され、直径二十二㌢の三角縁神獣鏡であることが確認された。
「三角縁神獣鏡」は謎の鏡だ。前期古墳から大量に出土し、有名な邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」と言われているが、中国大陸からは、現在まで一枚も出土していない。
潮崎山古墳出土三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡を持つ古墳は、各地で一番古い古墳であることが多い。これが、潮崎山古墳が注目される理由だ。ただし、古墳の立地や内容など考えなければならない点も多い。なぜ、神辺平野西端に築かれたのか…。果たして前方後円墳だったのか、等などである。(田口義之「新びんご今昔物語」)
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新びんご今昔物語
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