|
中世山城の「縄張」(5)
―備後宮・杉原氏の築城術―
次に、「主曲輪が二つある」の山城を築いた宮氏の系譜を考えてみる。亀寿山は、言うまでもなく宮氏の惣領家の居城として、古来有名な山城跡である。また、志川滝山城は、毛利氏と対立した宮氏一族が最後の拠点とした山城で、天文21年(1552)7月23日の「志川山合戦」の舞台となった山城として余りに有名である。
志川滝山城址(福山市加茂町)
そして、「人為的」に主曲輪を二分した山城として紹介した大谷城跡は、亀寿山の宮氏から分かれたと伝える有地氏が最初に築いた本格的な山城で、この有地氏が16世紀後半に本拠として築いた城が、総石垣作りの城として有名な相方城跡である。
有地氏の拠った大谷城址(福山市芦田町)
「主曲輪を二分する山城」の築城者は「亀寿山系の宮氏」、これが私の結論である。最近の宮氏の研究から亀寿山の宮氏、有地の宮氏は、いずれも南北朝期に活躍した宮兼信の後裔『宮上野介家』の人々と考えられているから、これらの山城を築いたのは宮上野介家の人々としてよい。
正戸山城址(福山市御幸町)
『山城探訪』で取り上げた、他の宮氏系の山城にこの特徴《主曲輪を二分》が見られないのは、同じ宮氏でも系譜が違うため、あるいはその支城として築かれたためと考えればよい。
掛迫城址に残る宮氏の石碑(同 駅家町)
正戸山は、志川滝山の支城と伝えられ、築城者も別の氏族である。掛迫は亀寿山の支城と伝えられるが、記録上ではこの地には「宮法成寺氏」という、別系の宮氏が拠点を置いていた。殿奥城は、上野系の有地氏の山城であるが、大谷城の主郭から東北眼下に見下ろすことができる山城で、やはり、大谷城の支城と考えたほうがよい。
宮下野守家の拠点柏城(同 新市町)
柏城跡は、小城郭が集まって構成された一大城郭で、築城者は室町期、宮上野介家と「宮惣領職」を争った「宮下野守家」の人々と考えられ、同じ宮氏でも対抗関係にあった家である。ただ、柏の「城塞群」も詳細に観察すると「二分された主郭」を持つ小城郭も見られる。宮下野守家系の山城の解明は今後の課題としたい。(続く)
|
中世山城の縄張り
[ リスト ]





