|
中世山城の「縄張」(6)
―備後宮・杉原氏の築城術―
『縄張』に類似性が見られるのは、宮氏系の山城のみではない。
宮氏と並んで備後の中世に大きな足跡を残した杉原氏系の山城もまた、独特の縄張と築城法を持っているように見える。
杉原氏の伝承を持つ山城の中で、特に注目されるのは、八尾山城跡(府中市出口町)、鷲尾山城跡(尾道市木之庄町)、銀山城跡(福山市山手町)の三城跡である。
八尾山城址縄張図(山城探訪)
この三つの山城はいずれも主峰から南、あるいは東に突出した半独立峰に築かれた山城で、各曲輪は、山頂の主郭を中心にして、四方に流れる尾根上に連続して築かれている。
鷲尾山城縄張図(同上)
一見すると、これらの山城の曲輪は地形に従って築かれているように見える。しかし、縄張図を見比べるとほとんどその構造は同じである。この場合、似たような山を利用したため類似の山城になった、と単純に考えて良いものであろうか。
銀山城址縄張図(同上)
自分の家に伝わる「築城法」を実現するために似たような山を選んだ、こう考えても良いのである。
傍証はある。これら三城を築いた杉原氏の系譜がそれだ。
八尾山城の杉原氏は、備後杉原氏の惣領家である。同城は鎌倉期に杉原氏の始祖光平が築城したと伝え、以後中世を通じて杉原氏惣領家の居城として使われた。
府中八尾山城址遠望
鷲尾山城の杉原氏はその有力庶家である。南北朝期、惣領家から出た木梨流の鼻祖杉原信平・為平兄弟は足利尊氏に従って戦功を挙げ、恩賞として備後国木梨庄の地頭職を獲得した。鷲尾山城はその本拠として木梨庄内に築かれた山城である。
木梨鷲尾山城址遠望
そして、福山市山手町にそびえる銀山城は、信平の弟為平の後裔が室町期に木梨から山手に本拠を移し築城した山城である
さらに現地を踏査すると、この三城に共通する遺構を見ることができる。
鷲尾山城址の削り残し土塁
(内側が石塁となっている)
「削り残し」の土塁がそれだ。「削り残し」の土塁とは、上下に連続して築かれた曲輪と曲輪の間を片側のみ削り残すことによって、通路と土塁の役目を持たせたもので、備後南部ではこの三城にのみ特徴的に見られるものである。
山手銀山城址近影
八尾山城跡では主郭から東に伸びた尾根上の曲輪の北側に見られ、鷲尾山では主郭から西に築かれた曲輪群の北、銀山城では八尾山と同じく、主郭から東に派生した曲輪群の北側に「削り残し」の土塁が残っている。備後南部の他の山城跡にはほとんど見られないことから、「削り残し」の土塁は杉原氏独特の築城法として良いのではあるまいか。(続く) |
中世山城の縄張り
[ リスト ]







