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広島県三次市吉舎町の大慈寺に和智氏実の肖像がある。
今は市立吉舎歴史民俗資料館に寄託されているが
肖像というよりも、禅僧のそれである「頂相」といった方がいい。
和智氏実肖像
氏実は備後和智氏の五代目で、仏通寺の開山愚中周及の高弟
宗綱を招いて大慈寺を建てた。
ある人が氏実の肖像を見て、「やはり武士の面構え」と言ったが同感
とわずがたりの著者二条が滞在した和智館跡
備後和智氏は武蔵広沢氏の庶家で地頭代として備後に土着した。
「とわずがたり」の著者二条がその館に滞在したことで知られ
「日々男女を打ち苛む悪行深重」の武士と語られた。
五代を経て、自らの考えで仏通寺派を選ぶとは、進歩したものだ。
戦国時代和智氏の居城だった南天山城跡
更に四代を経て、豊郷の時代には、尼子の大軍が城下に押寄せた。
「和智細沢山合戦」だ。
そして、その子誠春は元就によって宮島で殺された。
乱世の武士たちにとって、寺はひと時の安らぎ場所であったに違いない。
大慈寺観音堂「円通閣」
誠春の子元郷は元就に忠誠を誓って和智氏は滅亡を免れた
この観音堂は元郷が父の死の直後(1569)に再建したもの
おそらく、父の菩提を弔う意味があったと思われるが、
父の死が不慮の死であったため、その文字は無い
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2012年10月11日
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