備後山城風土記

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窪田次郎の人と生涯

窪田次郎の人と生涯
その生い立ち
 福山を代表する明治の啓蒙思想家窪田次郎は、天保6年(1835)4月24日、備後国安那郡粟根村(現福山市加茂町粟根)で生まれた。今を去ること160年前のことである。父は、蘭方を業とする医師窪田亮貞。幼少の頃、病弱であったという次郎は、この父から大きな影響を受けたようである。
 
窪田邸の石垣
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次郎の父亮貞は、家運の傾いた窪田家に養子として入って家を継いだ人物である。かつては粟根村の庄屋として繁栄していた窪田家は、この頃ほとんど家産を失い、家屋敷を残すのみとなっていた。亮貞はこの窪田家を医師として再興しようとした。そして、その師に選んだのが、当時長崎鳴滝で塾を開いていたドイツ人医師シーボルトである。シーボルトについては、言うまでもないことであるが、日本に初めて体系的な西洋医学を紹介した人物である。その弟子には、後に日本の医学界はおろか、各界で活躍した人物は多い。
 
窪田次郎(広島県立歴史博物館蔵)
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次郎の先見性は、シーボルトの鳴滝塾という、当時日本で唯一開かれていた近代科学の「窓」で学んだ父亮貞の存在が大きいのである。幼少から西洋の学問や思想に触れていた次郎は、少年期から師を求めて各地を遊学している。
 
窪田邸の説明版
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「窪田次郎履歴書」によると、漢学の師は、有名な阪谷朗慮。備中簗瀬の出身で後に井原に興譲館を開いた人物である。近代思想を啓蒙した思想家の最初の師が漢学者というのも妙な話だが、これは当時一般的なことで驚くにあたらない。明治の偉大な思想家は、皆有名な漢学者について学問を始めており、かつ、当時西洋の書物は皆漢文に翻訳されて日本に紹介されており、漢学の素養が無ければ西洋の学問に触れるのはほとんど不可能であったためだ。
 
窪田邸の築山
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蘭方医学の方は、初め同じく備中簗瀬の山成好斎に学ぴ、後には京都・大阪方面に遊学して、有名な緒方洪庵門下の俊才、緒方郁蔵・赤沢寛輔・村上代三郎といった著名な蘭学者について修行、大いに見聞を広めている。緒方洪庵については、シーボルトの鳴滝塾同様、言うまでもないであろう。彼の開いた適塾からは、福沢諭吉・大村益次郎を始め、後の日本を背負って立った人物を輩出した所である。
 
窪田邸の土蔵
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窪田次郎は、後年、その履歴書のなかで、「都合八年五ケ月間医術に従事すといえども、数々窮乏を以て研究の時間は僅々五分の一に足らず」と言って謙遜しているが、彼の思想を理解するためには、次郎が適塾の流れを汲む人物について、西洋の学問・思想を学んだことを忘れてはならない。(田口義之「クローズアップ備陽史」より)

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