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足利氏、鞆に興る
鞆と足利氏の結び付きは、初代将軍足利尊氏に始まる。ご存じのように、室町幕府を開いた足利尊氏の悩みの種は、後醍醐天皇を敵に廻したことであった。当時の日本では天皇の権威はまだ生きていた。如何に全国の武士の期待を担った尊氏といえども“朝敵”の烙印は重荷であった。そのため建武3年(1336)正月、一度は京都を占領しながらも、後醍醐天皇方の反撃を受けて九州への都落ちを余儀なくされたのである。
足利尊氏木像(京都・等持院)
しかし、さすがに尊氏である。ただでは転ばなかった。この時、尊氏は側近の助言を得て、密かに使いを当時逼塞していた後醍醐のライバル光厳上皇のもとに遣わしていた。
上皇の朝敵追討の院宣を獲得して、戦いを“君と君との軍にせばや”と画策したのである。光厳上皇の院宣は、同年2月15日、尊氏一行が丁度備後の鞆に滞在中に届いた。
現在の鞆港、沖より
“錦の御旗”の到来に尊氏軍の意気は大いに揚がった。そして、九州に下った尊氏は瞬く間に同地を平定、大軍を率いて東上し、京都に幕府を開くことになるのである。“足利氏鞆に興る”と言われる所以である。
重要文化財・安国寺釈迦堂
尊氏にとって鞆は自分の生涯を決めた忘れ難い地であった。現在、ここには足利氏が全国に建てた安国寺が法灯を伝えているが、鞆のような狭い場所にそれを建てるにはよほどの思い入れがあったはずである(もっとも現在の重要文化財釈迦堂は鎌倉時代に創建された金宝寺の遺構で尊氏は単に寺号を変えたに過ぎないが)。(続く)田口義之「備後散策」より
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2012年12月24日
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