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中世山城の「縄張」(4)
―備後宮・杉原氏の築城術―
縄張の特徴で最初に目についたのは、宮氏系の山城である。
『山城探訪』では、宮氏が居城したとされる山城跡を八ヶ所取り上げた。志川滝山城跡(福山市加茂町)、正戸山城跡(福山市御幸町)、掛迫城跡(福山市駅家町)、殿奥城跡(福山市芦田町)、亀寿山城跡(福山市新市町)、相方城跡(同上)、柏城跡(同上)の各城跡である。この内、志川滝山・亀寿山・相方の各城跡の縄張に類似性が認められたのである。
亀寿山城図面
相方城図面
志川滝山城図面
どういうことかというと、これらの山城の主要部はいずれも東西に二分された構造になっているのである。図面を見ていただければ分かると思うが、これらの山城には主曲輪が「二つ」ある(ここでは便宜「主曲輪」・「副曲輪」と呼ぶ)。これは単なる偶然であろうか。
大谷城図面
(広島県中世城館遺跡総合調査報告書より)
さらに、『山城探訪』では取り上げなかったが、宮氏の一派有地氏の居城と伝える芦田町の大谷城跡も主要部が二分された山城で、この城の場合、他の三城跡が東西二つの峰にそれぞれ主郭が築かれ、縄張は地形によったとも考えられるのに対し、頂上の主曲輪は人為的に東西二つの曲輪に区分されている。これは偶然とは考えられない。(続く)
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