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足利義昭と備後(3)
―義昭の人物像―
義昭という人は、ドラマなどではお公家顔をした情けない人物、と描かれることが多い。が、残された史料から見ると、義昭の実像は、そんなものではない。なかなかどうして、現実的な乱世の武将である。
足利義昭を祀る惣堂神社(福山市津之郷町)
福山とのかかわりで言うと、「料所」の問題がある。料所とは将軍の直轄領の事で、江戸時代の「天領」にあたる。なぜ、このことが問題になるかというと、備後に「動座」した義昭は、毛利氏に料所の進上を強く要求、実現させているからだ。全く実力を持たなかった義昭は、それを「征夷大将軍」という権威のみで押し通した。
惣堂神社の足利義昭木像
「態と染筆候、当所(鞆)にながながと逗留候、余りに窮屈に候、然らば津郷(津之郷)然るべきの由に候の条、彼の地に至り移座したく候、きっと輝元に対し意見加うべし…」(10)
「輝元に対し、御座所の儀仰せ出され候条、この節津郷儀、ご進上候様、申し達せらるべきの段、尤も御祝着たるべく候、よって御内書をなされ候、誠に御面目の至り…」(11)
津郷公儀御座所跡(津之郷町御殿山)
いずれも、将軍たる自分に忠節を尽くし、奉公することは名誉なことで、料所の進上も当然とする高飛車なものだ。受け取った輝元や元春がどんな顔をしたか、困惑の表情が目に浮かぶようである。(続く)
(10)『吉川家文書』501号
(11)『三浦家文書』107号
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2013年01月10日
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