備後山城風土記

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備後の山城

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朝山二子城と楢崎氏(15)
 
 本領芦田郡草(久佐)村に於ける楢崎氏の存在形態については、ほとんど手がかりになるものがない。現地に残っているものは朝山二子城跡と、楢崎氏のものと伝わる一群の古墓のみである。
 
竹馬寺(玉禅寺)跡の古墓群
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 現在、楢崎氏の墓石は城下安全寺に移されているが、これは本来、久佐盆地の北端の小高い場所にあった玉禅寺と称した楢崎氏の菩提寺にあったものである。玉禅寺は元竹馬寺(ちくばんじ)と称し、奈良時代役の行者の開基と伝える古刹で、楢崎氏がこの地の領主となった際、仏通寺派の臨済宗の寺院に改宗して、菩提寺とした。やや小高い場所にある寺跡に行って見ると、庭園の跡や二基の宝篋印塔、三十数基の五輪石塔が苔むして残っている。
 
 また、楢崎氏が再建したと伝える久佐の八幡社は、朝山二子城から芦田川を隔てた南側の小高い丘の上に建っている。そこは比高五〇メートルほどの急峻な尾根上にあり、朝山二子城の対塁とするには格好の場所で、一朝有事にはここも城の一部として使われたはずだ。
 
 楢崎氏はこの城に拠って領主として君臨した。『浄土寺文書』四十九号「備後国芦田郡草(久佐)村浄土寺分収納目録」によると、同地には年貢を負担した百姓の中に、「長野兵衛」「護摩堂孫太郎」「井手左京亮」「番木三郎兵衛」「馬場覚善」三谷左近」など、名字を持った有力百姓(侍分という)の名が散見する。彼等は草村の領主権が浄土寺から楢崎氏に移った時、同氏の家臣団(被官と呼ばれた)に繰り込まれたはずである。『毛利家文書』三七四号「永禄十二年(1569)卯月一七日牛尾要害切崩候時討捕首注文」の「楢崎手」として登場する「西山藤次郎」などもそうした在地の「侍分」で楢崎氏の被官となったものであろう。(続く)
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朝山二子城と楢崎氏(14)
 
 永禄九年(1566)、尼子が毛利の軍門に下り、戦線が九州に移動してからは、豊景は備後に在国し、信景が楢崎氏を代表して出陣した。永禄十二年(1569)五月、筑前立花城を巡って大友勢と戦った際には、逆襲に転じた大友勢に対し、信景は毛利氏から鉄砲隊の配属を受け、かろうじてこれを撃退した。同年十月、在国した豊景が一族子弟を率いて、藤井氏の一揆を鎮圧し、藤井皓玄を討ち、その首を元就の本陣に送り届けたことは以前に述べた。
 
 天正年間に入ると、豊景・信景は老い、信景の子元兼が楢崎氏を代表して活躍する。
 
元兼が一時在城した高田城址(左上)
手前は勝山の町並
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 元兼の主な活躍舞台は、楢崎氏の古巣備中北部から美作にかけてで、美作月田山城に在城して、毛利氏最前線の部将として西進する織田勢の矢表に立って奮戦した。天正三年(1575)、元兼は毛利氏から因幡の関所の守備を命ぜられ、織田信長の密使として草刈氏の下に派遣された大谷慶松を召し取り、持っていた草刈氏宛ての信長の朱印状を奪取して、草刈氏の現形(裏切り)を未然に防いだ。
 
 元兼は調略にも長けた武将であった。天正六年(1578)備前宇喜多直家が毛利氏を裏切り織田氏に味方した際には、元兼は計略を用いて宇喜多氏の重臣明石飛騨守・同三郎左衛門父子と、主君直家の間を離反させ、明石氏を毛利方に引き入れると言う手柄を立てた。
 
 更に、天正十年(1582)六月、備後の上原元将が備中日幡城で毛利氏を裏切り、羽柴秀吉に内通した際には、毛利氏と秀吉の和議が結ばれるや直ちに備後に取って返し、上原氏の居城沼城(世羅郡世羅町)を攻め落とし、元将の内室(元就の娘であった)を取り返し、これを安芸吉田に送り届けた(以上「萩藩閥閲録」五三楢崎与兵衛)。(続く)
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朝山二子城と楢崎氏(13)
 
 毛利氏の部将としての楢崎氏歴代の活躍は目覚しいものであった。
 
 豊景の子信景の名がはじめて登場するのは、弘治三年(1557)の毛利氏が大内義長を長府に追い詰めたときのことであった。この時、元就は義長退治に腹心の福原貞俊を遣わしたが、元就は信景と熊谷信直にその介添えを命じ、両人とも見事に使命を果たした。
 
 翌永禄元年(1558)五月、毛利氏の石見攻めに際しては、信景は父豊景と共に小早川隆景の手に属し、出雲から出陣してきた尼子晴久の軍勢を撃退し、毛利氏の石見攻略に貢献した。
 
 永禄五年(1562)から始まった毛利氏の尼子攻めに際しても楢崎氏は獅子奮迅の活躍を見せた。
 
富田月山城下の尼子晴久の墓
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 同六年(一五六三)八月、毛利勢の攻勢に対して、晴久亡き後尼子氏を継いだ義久は富田月山城を出撃、出雲馬潟原で毛利勢と激突、激しい戦いとなった。中でも、尼子の部将河添久盛・馬田杢允三百騎が小早川隆景の本陣に切り込み、本陣の旗本が斬りたてられ既に危うく見えた時、豊景と同じく備後の国衆長元信の手勢三百が尼子勢の横腹を突き、これを突き崩した。この時は豊景自ら槍を振るい、敵将馬田の首を挙げ、元就の感状を頂戴した。(続く)
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朝山二子城と楢崎氏(12)
 
 景好の「御断書(正式には「私申上条々事」)は、戦国末期の楢崎氏と備後の情勢を語って興味の尽きないものである。
 
 景好は、この文書の中で先ず自分の毛利家に対する忠節を述べている。
「私は、大坂引き分け(大坂夏冬の陣)の時に山口高峯在番を命ぜられ、既に隠居しており支度が調わないとお断り申上げましたが、たってのお望みということでお請し、在番いたしました」
 
 そして、父豊景が如何に毛利家に忠節を尽くしたかを述べ、せめて父豊景に与えられた隠居分を与えられんことを嘆願する。
 
東側より見た朝山城址
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「私の親三河守(豊景)は元就様、隆元様、殿様(輝元)に対して随分の忠節を尽くし、感状も十七通拝領しております。」
「中でも備後神辺の城、備中の藤井一類の者共が阿波の三好家と示し合わせて忍び取り、備後で毛利家に対する一揆が起りかけた時(永禄十二年)には、有地・木梨の両城に一族の者を入れて鎮め、自身は神辺の城に攻め寄せ、死人手負いの者を八十余人も出しながらも攻め落とし、無事取り返しました。この時には殿様の『御家を再興仕りたる』との有難い文言の入った感状を頂戴しました」
 
「また、先年(天正十年)太閤様が備中高松清水の城に取り懸かられ、上原の逆心によって毛利家が敗北寸前に追い詰められた時には、父豊景は先ず自らの人質として孫五郎、右衛門兄弟を隆景様の陣所に差し出し、併せて木梨・古志・有地・久代など寝返りの気配のあった備後の国人から人質を取り固め「無二の馳走」をしました。このことは吉川広家様が隆景様の陣所に夜が明けるまで御詰めなされておられたので、よくご存知のはずです」
 
 この、永禄十二年(一五六九)の神辺城奪回の功と、天正十年(一五八二)の備中高松城の合戦に於ける楢崎豊景の働きは、備後国衆としては抜群のもので、その子景好が毛利家に対して待遇の改善を要求する、充分な根拠となりうるものであった。(続く)
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朝山二子城と楢崎氏(11)
 
 『萩藩閥閲録』巻五三楢崎与兵衛書出に収められた大組楢崎与兵衛家の家伝文書は二十二通。その内十二通は楢崎豊景宛で、後は信景宛が五通、元兼宛が二通、豊景・信景連名宛のものが二通、その他一通となっている。 
 
朝山城址に残るほぞ穴のある礎石
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 この二十二通のうち十四通が楢崎豊景宛てというのは、偶然としてもやや不自然である。その理由は、書出の最後に収められた「楢崎筑後守御断書」によって判明する。
 
 筑後守の実名は景好といい、三河守豊景の三男であったが、その子元好が実子の無かった元兼の遺跡を継いだため、楢崎氏の惣領家という立場となった。 
 
 しかし、景好に対する毛利家の待遇は薄情なものであった。「御扶持方」として、七人扶持と歳末に「切米五石」が支給されたのみで、これでは「いかにも手前不如意」なので、せめて父三河守豊景に遣わされた隠居分を自分に下されたい。もし頂戴できるものなら「生々世々忝なくべく候」と、父豊景以来の楢崎氏の毛利家に対する忠節を書上げ、待遇の改善を嘆願したものである。すなわち、江戸時代の楢崎家に伝来した家伝文書は、豊景の三男景好の家に伝わったものであった。(続く)
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