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対米関係を考える
沖縄の怒りが止まない。オスプレイの普天間配備に続き、米兵の女性暴行致傷事件と、連続して県民の神経を逆なでする事件が続いている。特に、繰り返される米兵の女性暴行事件は、沖縄県民の怨嗟の的となっている。今回の事件は、初動捜査が成功し、事件を起こした米兵を宿泊場所であった民間のホテルで逮捕し、日本の警察が、捜査権を握ることが出来た。アメリカ側の対応もすばやく、在日米軍の司令官自ら県民に謝罪し、米兵の外出禁止など、再犯防止措置を取った。
これはオスプレイの普天間配備をめぐって高まった沖縄県民の反米感情に配慮したためであったが、もし事件を起こした米兵がすばやくアメリカ軍基地に逃げ込んでいたらどうなっていたか…。「日米地位協定」によって、米兵や軍属が公務中、或いは基地内で起こした事件であったならば、その一次捜査権はアメリカ側にあり、日本の警察は身柄引き渡しを要求できるだけで、米兵が帰国してしまえば日本側は手も足も出なかった。 もちろん、これは日米安全保障条約によって、米軍の日本駐留を認めているためである。
このように、基地がない地域の住民にとっては縁のないような問題でも、基地が集中する沖縄の人にとっては、アメリカと言う国は現実に権力を及ぼす隣国なのである。我々は、この沖縄の皆さんの犠牲の上に、平和な日常生活を謳歌していることを忘れてはならない。
こうしたアメリカとの関係は一朝一夕に生まれたものではない。その起源は、史上名高い1853年のペリーの浦賀来航までさかのぼることは間違いない。ペリー来航の目的は、西太平洋に進出していたアメリカの捕鯨船の寄港地を日本に求めることであったが、既にイギリス・フランスなどの列強は中国大陸に進出しており、その真の狙いは中国進出の足掛かりを作ることであった。
黒船来航によって太平の眠りから覚めた日本は明治維新によっていち早く近代化を遂げ、富国強兵策によって、自らも列強の一員となって大陸に進出しようとした。もちろんこれは大陸進出をもくろむアメリカの外交政策と対立することとなり、最終的には武力で決着を着けることとなった。これがいわゆる太平洋戦争であった。勝利したアメリカは日本を支配下に置き、極東の支配権を握ろうとした。これが1945年の敗戦から今日まで続く大きな歴史の流れである。ペリーの野望は今日充分果たされていると言っていいだろう。
このように日本の近現代は、アメリカと如何にうまく付き合うかが国際関係の基調となっている。私たちは、今一度このことに、真剣に向き合うべき時に来ていると思う。(田口義之「話題を追う」中国ビジネス情報2012年11月10日号掲載)
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話題を追う
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日中関係を考える
尖閣諸島の国有化に反対して、中国国内で「反日デモ」が起り、暴徒化した一部が日系企業などを襲っている。憂うべき事態だが、中国政府の対応には呆れてしまう。デモを容認するのはいいとしても、「襲撃によって受けた被害の責任は日本にある」、というのだ。21世紀の法治国家の責任ある地位の人物の発言としては頷けない。
中国側としては、デモと暴動は、日本が尖閣諸島を国有化したことに端を発しているのだから、それによって引き起こされた日系企業の被害の責任も日本が負うべきだ、と言いたいのだろう。だが、そもそも国内の治安に責任を持つ国家が、その責任を他に転嫁するということ自体がおかしいのではないか。自己の無能振りを世界にさらしだしたに等しい。
中国のこうした姿勢は、何も今に始まったことではない。近代史を紐解くと、清朝末期の「義和団事件」以来、幾度となく繰り返されて来た。不幸なことだが、20世紀前半の日本の大陸進出も、中国国内の暴動から「居留民を保護する」を名目に行なわれた。
最近でも、反日デモ、暴動は中国政府によって、日本への圧力として度々利用されてきた。小泉首相の靖国神社参拝をめぐる日中の緊迫した関係は記憶に新しいところだ。
こうした時に、我が国のとるべき態度は、「姿勢を変えない」と言うことに尽きると思う。中国にとっては、「民衆の動き」も外交カードの一つである。21世紀の大国にとってはありえない話だが、現実は現実だ。
中国は、「中華」人民共和国と称しているように、「中華」すなわち、世界の中心を自負している国である。19世紀以来、西欧諸国を中心に発達してきた国際法の世界とは相容れない存在だ。中国にとって、国内問題も国際問題も同じ意味を持っている。中国自体が世界の中心であり、外国は、中華世界の周辺に存在する衛星国に過ぎない。特に歴史的に見て東南アジアから、日本を含む東アジアの国々に対する認識はそうである。
長い歴史の中で、日本もこの「中華」を自負する国と、様々な関係を結んできた。古い時代は、周辺諸国と同様、中国皇帝に「朝貢」した。
この中国との関係を変えようとしたのが聖徳太子であった。太子は、遣隋使の派遣に当たって使者に対等な国書を持たせ、隋の皇帝を激怒させた。 以後、遣唐使の時代、日宋貿易の時代、日明貿易の時代、など様々な関係を結んで今日に至った。
何と言っても日中関係は、日米関係と共に日本外交の根幹をなす関係である。だからと言って、今回のような無理押しを受け入れてはいけない。主張することは主張し、守るべきことは断固と守り通すべきである。(田口義之「話題を追う」中国ビジネス情報2012年10月1日号掲載)
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中国ビジネス情報9月1日号の「話題を追う」です
ここのところ、国境が騒がしいですね。皆さん少し心配した方が云いと思います
国家の威信が問われている
ここのところ日本の国境が騒がしい。8月10日、韓国の李明博大統領が島根県の竹島に上陸。同15日、香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸、入管法違反で強制送還された。
これら一連の事件に関して、日本国民の反応は冷静そのものである。島国の国民性であろうか、国境を侵された危機感もなく、政府の対応に反発した様子もない。確かに、これらの島は無人島で、日本国の領土という感覚が薄いのかもしれない。報道も今までの経過を委しく紹介するでもなく、単に韓国、中国が領有権を主張し、日本との間で問題となっている、と紹介するのみで、日本に正当性があるという認識が乏しいためかもしれない。
今回の韓国大統領の竹島上陸、及び一連の日本を侮辱する発言は暴挙と言っても過言ではない。
竹島が日本の正当な領土であることは紛れもない事実だ。17世紀の初頭、伯耆国(鳥取県)の海運業者であった大谷甚吉が韓国の鬱陵島に上陸、江戸幕府の許可を受けてアシカ猟やアワビの採取を行なった。当時「松島」と呼ばれていた竹島は、鬱陵島と隠岐との丁度中間にあって、鬱陵島へ渡る中継地として盛んに利用され、江戸幕府も同島への正式な渡航許可を出した(1656)。明治新政府はこの竹島を1905年、正式に島根県に編入、国際法的にも日本領となった。
この竹島を韓国が不法に占領したのは1954年のことであった。戦後、韓国は竹島海域を含む李承晩ラインを設定、多くの日本漁船が拿捕され、44人の漁民が銃撃を受け死傷した。この時韓国はアメリカ政府に竹島を日本の施政権から外すよう要求したが「竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から島根県隠岐庁の管轄下にあり、この島がかつて朝鮮政府によって領有権の主張がなされたとはみなせない」として韓国の要求を却下した。これに対して韓国は1954年同島を軍事占領、以後今日に至った。歴史的、国際法上も竹島が日本領であることは紛れもない事実である。尖閣諸島にいたっては、1974年まで日本が平穏に領有し、誰も異論を挟まなかったことは度々述べてきたところである。
問題は今後の対応である。竹島、尖閣諸島については、韓国大統領の一連の暴言を含めて強い対抗措置をとるべきである。「戦争になったらどうするか…」という声もあるだろう。
だが、ここで忘れてならないことは、国土はそれがたとえ大洋に浮かぶ小島であっても、近代国家の根幹をなす重要な要素である、ということである。国家は国土と国民という二つで成り立っている。それが犯されるとき「自衛権」が発動される。国家の威信が問われているのだ。
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半年くらい前に「中国ビジネス情報」の「話題を追う」に掲載した文章です。ちょっとした「中国ブーム」のようなので…
不思議の国「中国」
またまた中国の動きが世界のひんしゅくを買っている。言わずと知れた劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に絡んだ中国政府の対応だ。
劉暁波氏のノーベル平和賞をめぐっては、受賞発表の前から中国政府の発言に非難が集中した。中国外務省の高官がノルウェー政府に「劉暁波氏にノーベル平和賞が与えられれば両国関係に悪影響を与える」と恫喝したのだ。
受賞決定後にも中国政府の対応は世界を呆れさせた。中国外務省の馬朝旭報道局長は、劉暁波氏のノーベル平和賞の受賞について、「劉暁波は中国の法律を犯し、中国の司法機関が懲役刑を科した罪人である。このような人物に同賞を与えることは、賞の目的に背き、これを汚すものだ」と強く反発し、相次いで予定されていたノルウェー政府との交流を中止してしまった。
ノーベル賞はダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルによって創設されたノーベル財団が主催し、与えられるもので、本来ノルウェー政府は無関係である。にもかかわらず、中国は劉暁波氏の受賞前からノルウェー政府に圧力をかけ、受賞後も執拗に続けている。
ノーベル賞は世界の普遍的な「価値」を体現している。物理や化学・医学の分野で受賞された学者はみな世界の発展に寄与した。平和賞は若干意味合いが違うかもしれないが、世界の普遍的な理念である人権、平和、民主主義に貢献した人物に与えられる。劉暁波氏は天安門事件以後中国政府に民主化と人権尊重を求めてきた人物である。その思想や活動は人類社会が長年かかって獲得してきたものを母国に主張しただけで、「犯罪者でもなんでもない」と我々は考える。
だが中国政府は劉暁波氏を釈放するどころか、平和賞やノルウェー政府に対する非難をやめそうにない。
中国政府は自国は法治国家であって、その法を犯したから劉暁波氏は犯罪者だと言う。
果たしてそうか…。「法」というものは「法」によって規制されるものだ。世界的にフランスの人権宣言以来、基本的人権という普遍的な理念を実現するため法律があると言っていい。
だが国家権力以外にそれを規制するものがない国にあっては、法は国家の「意思」にしか過ぎない。国家権力に楯突く者は犯罪者なのだ。中国は秦の始皇帝以来それこそ星の数程法律を制定し、法治国家の外観を取ってきた。しかし、その法律は皇帝などの権力者の為にあるものであって、人民を守るためではない。皇帝が共産党に変っただけでこれは今も変らない。超大国になりつつある中国がこれでは困るのだ。劉暁波氏のノーベル平和賞受賞はこの問題に対する世界からの警鐘と考えるべきだ。
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少し古くなりましたが、「中国ビジネス情報」2012年8月1日号の田口義之「話題を追う」です。
前門の虎、後門の狼
日本列島の南と北がキナ臭くなってきた。
南はもちろん「尖閣諸島」の問題だ。尖閣諸島は、国際法上、何の問題もなく日本の領土である。政府は1985年以降、何度も調査し、無人島であることを確認、1995年、日本領であることを表明、当時の清朝もこれを異議なく認めていた。
だが、1971年、中国外務省は同諸島を「中国領」であると表明、以後この問題が両国政府の間に棘のように突き刺さり、最近では同諸島の「国有化」方針が表明され、一層の激しさが増してきた。
わずか5平方キロにすぎない同諸島の領有が問題となるのは、周囲の大陸棚に石油天然ガスなどの豊富な地下資源があるとされているからだ。島の領有が問題なのではない。周辺の経済水域が問題なのである。
石原都知事の「都が買い上げる」発言から中国政府高官の発言はエスカレートしつつある。「戦争」をちらつかせ始めたのだ。そして極め付が「琉球は中国の属国だった」「人民解放軍は琉球を開放するべきだ」など軍幹部の発言だ。
「覇権」に反対してきたはずの中国が、前世紀の遺物である「砲艦外交」をちらつかせるとは、変われば変わるものだ。
北は国後・択捉の「北方領土」だ。このところロシアの世論も強硬化し、首相が堂々と両島を訪問、「国後択捉はロシア固有の領土だ」と高言する始末だ。もちろん、国後択捉は日本が正当な領有権を持ち、ロシアはソビエト時代、日本の敗戦のどさくさにまぎれて不法に占領し、居座っているに過ぎない。
ロシアといい中国といい、強大な軍事力を持つ大国だ。「前門の虎、後門の狼」といったところだろうか…。
中国・ロシアが外交的軍事的な攻勢を強めているのは、一に日本国内の政治情勢を見極め、組し易しと侮っているからだ。
本来、領土問題は政治情勢に左右されるべき問題ではなく、いかに国内が混乱していても、対外的には一致した姿勢を示さなければならない。
それがどうだ。既に占領されている北方領土は別にして、 国内の有識者の中には「尖閣諸島は日本固有の領土ではない」など、中国におもねる発言をする者もあり、外務省高官の中にも「国有化は中国を刺激する」と何処の国の役人かわからないような発言する者まである。
マスコミの報道も問われなければならない。そうした外国を利するような発言を報道して、「報道の公平さ」を示そうとしているが、それが一体何のためになるのか…。選挙の報道とは違うのである。徒にナショナリズムに走るのもいけないが、目前で日本の領土が失われようとしているのだ。ここは一致団結、国益を守るべきではないか。
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