備後山城風土記

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有木民部大輔吉兼

有木民部太夫吉兼
生没年不詳、備後國沼隈郡山田一乗山城主渡辺越中守兼の嫡男。初名渡辺源五郎、同国神石郡有木中山城主有木氏の家を継ぎ有木民部太夫吉兼と号す。
 
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                             吉兼の父渡辺越中守兼木像(福山市常国寺蔵)
有木氏は備後一宮吉備津神社の社家で、備後の吉備津神社が備中から分霊された時、共にしたがって備後に来たといわれる。但し、備後神石郡には鎌倉時代以来「有木郷」があり、宮氏の一族が同地に土着して宮有木氏を称したという説もある。
 
『神石郡誌』によれば、応仁の乱の頃、有木能登守は宮政信に従い戦功を立て豊松庄を拝領して中山城を築いたという。吉兼は能登守の跡目と言われ、以後伊豆守、弥次郎久親、民部太夫親忠、平内親宗と四代相続し、天正年間に滅んだと言う。
 
吉兼は天文22年(1553)頃には東城から南下した久代宮氏の勢力下に入り(譜録渡辺三郎左衛門)、以後同氏と消長を共にしたと考えられ、その滅亡も天正19年(1591)の久代宮氏の改易によると思われ、同年には有木氏の旧領は安芸熊谷氏の一門小四郎に与えられた(閥閲録3巻P708毛利輝元書状など)。
 
イメージ 2
                                   有木小次郎宛宮親忠書状(尾多賀文書)
猶、この有木氏の同族で吉備津神社の祠官を務めた有木氏は宮氏の有力被官としても活躍し、明応5年(1496)12月には民部丞忠宗が、永正8年(1511)4月には小次郎がそれぞれ宮政盛より家督相続の安堵状を得ている(尾多賀文書)。

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