備後山城風土記

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石塔見て歩き

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神石高原町豊松の米見山山頂の結晶質石灰岩(コゴメ石)の宝篋印塔。南朝の忠臣豊松新庄山城主内藤実豊が後醍醐天皇をこの地に迎えるため、天皇の「偽陵」として造立したと伝える。塔身・九輪を失いながらも2メートル近い堂々たるものである
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ここにはもう一つ気になるモニュメントがある。
これだ。
この写真は25年前に撮ったものだが、昨年行ってみたら
「まだあった」
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中世石造物の地方色

中世石造物の地方色
 備陽史探訪の会創立35周年を目指して、中世石造物の分布調査が進んでいる。中世の石造物は、決められた形式に則って製作されているようで、そうではないものもある。
 
 先日来、蔵橋純海夫氏や佐藤亜聖氏に、世羅台地や備後南部に残る南北朝期の寶篋印塔を詳細に説明して頂いた。確かにこの時期の花崗岩製の寶篋印塔は、どこでも判で押したように同じ形式のものが各地に造立されている。
 
 ところが、時代が下り、室町時代の中期になって結晶質石灰岩(コゴメ石)で作られたものから、各地で個性的な寶篋印塔が作られ始める。
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         福山市山野町の「白壁銘」宝篋印
 コゴメ石製の寶篋印塔で、最古のものは、山野町大原の「白壁」銘のそれである。白壁は、宮元盛の法名であって、元盛の死去は寛正年(1465日のことであるから(「福山志料」「親元日記」寛正11日)、その造立年代は、その直後のことと推定される。この寶篋印塔にはまだそれほどの個性は見られないが、その後に造立された神辺町中条の寒水寺古墓群では、すでに明確な個性が現れている。笠部の段は普通上六段、下二段であるが、この古墓群中の寶篋印塔のそれは五段のものが見られ、基壇の格狭間の形もそれぞれで微妙な違いがある。
 
 5月の徒歩例会で訪ねた福山市駅家町服部の福泉坊墓地のコゴメ石製の寶篋印塔では、さらに塔身に仏像が陽刻されている。
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  庄原市浄久寺・宮氏墓地、中央向かって左が景盛の墓
 塔身に仏像が陽刻されているコゴメ石製の寶篋印塔では、西城浄久寺の宮氏の墓石が有名。墓地の正面に二基のひときわ大きなコゴメ石の寶篋印塔があり、向かって右が宮氏の元祖宮利吉法名明栄の石塔、その左が宮氏の九代景盛の石塔で、基壇に「前賜五品総州太守傑叟昌英大禅定門如意珠日」と景盛の法名が刻まれている。左右に並んだ寶篋印塔は皆大同小異で、塔身に錫丈を持つ地蔵尊が陽刻されている。
 
 これらの石塔は寺が創建された永禄年間(1558から1570)から景盛の死去した慶長年(1602)にかけて造立されたものだ(『芸藩通志」「閥閲録」二十九)。更に目を引くのは、これらの寶篋印塔には相輪部に「九輪」がなく、それを簡略化した、請花の上に五輪塔の空風輪を載せた異形な相輪を笠部に載せていることである。初めて、この石塔を見た時は、寶篋印塔に五輪塔の空風輪を載せた、知識のない者の出鱈目な復元と考えていたのだが、今ではこれらは造立当初からのものと判断している。
 
 このように、コゴメ石製の寶篋印塔は時代が下るごとに個性的なものが各地に作られたと見ていい。そして、こうした段階を経て、江戸時代に入って「鞆の津塔」のような特定の地域にしか見られない石塔が造立されたのである。
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        備中塔(神石高原町豊松)
 五輪塔でも同じ傾向が見られ、室町後期になってコゴメ石製のものが造立されるようになると、掲載した写真のような五輪塔ながらも寶篋印塔の要素を持ったもの(備中塔と称されている)まで造られた。
 
 今後、分布調査に際しては、このような異形な石造物を「間違った復元」等と言って排除するのではなく、素直な目で観察することが肝要である。
 

大原石塔群の怪

6月10日、備陽史探訪の会で山野町の高尾石塔群と大原石塔群の調査に行く
 
下調べしていると、大原石塔群の30年前の写真と5年前の写真に違う部分があるではないか。何処が違うかわかりますか?
 
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30年前の写真です
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5年前の写真です
 福山市熊野町の中世石塔群
 
熊野町にある中世の石塔群です。
写真中央の大きな寶篋印塔が宮近門民部左衛門尉定信の墓と伝わるものです。
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熊野町の中世石塔群
宮近門は熊野町の一乗山城を築いた渡辺越中守兼に討ち取られたと伝わっていますが、石塔の特徴から兼に討たれたという永正年間(16世紀初頭)の造立ではなく、もっと古い、室町初期に遡るものではないかと考えられます。
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宮近門の墓と伝わる寶篋印塔
中世の石塔群の様子を見ると、群中ひときわ大きな寶篋印塔が族祖のもので、後のものはそれより小さな寶篋印塔や五輪石塔の場合が多いようです。この観点からこの石塔群を観察すると、一番大きな宮近門の墓と称されているものが族祖の墓で、もし宮近門が伝えられているように渡辺兼に討ち取られた人物とすれば、それ以外の小さな石塔と考えられます。
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常国寺の曼荼羅本尊、日親の花押の左に
「宮長門民部左衛門尉信定戒名定親」とある
なお、「宮近門民部左衛門尉」は実在の人物で、正しくは常国寺の日親自筆の曼荼羅本尊の宛所「宮長門民部左衛門尉藤原信定戒名定親」です。長門の草書体が近門に似ていることから誤って伝えられたものです。
ちょっと変、赤坂町早戸の寶篋印塔
 
福山市赤坂町早戸の艮(うしとら)神社境内、社殿の後ろの小高い所に室町時代の造立と推定される花崗岩製の寶篋印塔があります。写真をヨーク見てください。九輪の大きさと笠部以下の大きさが不自然です。よく見るとセメントで継いだ跡が…。とすると本来複数の寶篋印塔があった可能性があります。
 
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早戸は旧村で奈良時代の「隼人」に因む地名と言われています。艮神社は瀬戸から松永に通ずる「農免道路」の途中にある神社です。「トーヨド団地」の南山続きに建つ神社と言ったら分かりやすいと思います。

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