日記
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今日福山競馬が63年の歴史に幕を閉じました。
生まれてよりこの方、朝な夕なに親しんできた競馬場がなくなると思うと感無量です。
ほんとに存続の道は無かったのか、疑問の残る幕引きでした。
最後に覗いてみましたが、色々と思い出が浮かんで涙が出てきました…
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今日は、朝10時に鞆町鞆の福山市役所鞆支所前に集合し、午後3時まで鞆の史跡を「足利氏の興亡」を通して案内してきた。参加者は広島県中小企業家同友会福山支部の皆さん18名。こじんまりしたグループだったのでゆっくり解説することが出来た。
大可島から望む医王寺
先ず、大可島で足利尊氏が鞆で院宣を得た話をし、古城山で足利義昭がこの地に来た理由を説明。安国寺まで歩き、お昼は沼名前神社で弁当を食べた。午後は法宣寺、阿弥陀寺などの古寺めぐりをして、医王寺へ。
医王寺から見た鞆港
天気に恵まれたせいか、このあたりに来るとじっとり汗ばむ始末。最後に医王寺の「太子殿」に登って、鞆港を一望…。3時に常夜塔前で解散した。ここのところ連日、歩き回っている為か、流石に疲れた1日であった。
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本日午前中、大門町の「大門貝塚」跡の側で、「大門貝塚」の記念碑の除幕式があり、出席して請われるままに、今回の記念碑建立の意義について述べてきました。
除幕式の式次第
記念碑の建立は備陽史探訪の会会員で地元大門郷土史研究会の代表でもあるS氏が発起したもので、義倉をはじめ多くの方々の義捐によって、今日の挙になったものです。
記念碑の傍らに立つS氏
大門貝塚は、備後地方ではじめて学会で紹介された縄文時代の貝塚で、昭和34年の国道2号線の建設で道路敷となり消滅しました。
この貝塚が発見された明治23年は、日本考古学界の揺籃期と言って良い時代で、その発見の意義は語っても語りつくせないほどの意義あるものでした。「貝塚論争」はその後、坪井正五郎や小金井良精などの「コロボックル、アイヌ論争」を経て、現在の日本原人論にたどり着きました。この長い論争で大門貝塚の出土品が学会を賑わせたと思うと、今回の義挙には感慨無量のものがあります。
小学生による除幕の様子
出席者は約30名、神事の後、小学生による除幕の後、直会で幕となりました。
午後は、駅家町の駅家東公民館で「備後の中世武士団」と題した講演を行い、今日の予定を終えました。
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