備後山城風土記

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謎の白塚

謎の白塚
 終末期の古墳とは、飛鳥時代の古墳のことである。飛鳥時代とは聖徳太子の活躍した時代から奈良に都が移された約100年のことをいう。この時代は日本の歴史でも戦国、幕末と並んで稀に見る激動の時代であった。古墳時代は江戸時代の幕藩体制に似ている。大和の大王(天皇)を中心に各地の王たちが自分の国を支配しながら連合して国家をかたちづくっていた。大王の地位は相対的なもので、各地の王の中には大王を凌ぐ権力を持つ者も現れた。地方に吉備の造山・作山の大前方後円墳が築かれたのはそのためだ。飛鳥時代は、この地方分権的な国家を中央集権的な国家に衣替えした時期にあたる。
 
 この時代に入ると古墳の築造に権力が介入してくる。古墳は、初期のころのそれと同じく天皇や有力豪族のみに許される特権的な存在となった。備後地方でも、6世紀の末まで盛んに造られていた横穴式石室をもつ小古墳の築造は7世紀に入るとぴたりと止まり、以後は小数の特色をもった古墳のみが築かれ、645年の「大化の薄葬令」によって古墳の築造は終了する。
 
 7世紀前半の古墳の特色は、石室が綺麗に磨かれた花崗岩の切石で築かれていることである。福山地方で最初に築かれたこの時期の古墳は、神辺町西中条の県史跡大坊古墳である。
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狼塚四号古墳、これも終末期古墳の一つ
 大坊古墳は、中条谷の西にそびえる遍照寺山の東の麓に築かれた円墳(方墳ともいう)で、南面して巨大な横穴式石室が口を開けている。玄室、羨道ともほぼ同じ造りで、側石・鏡石とも巨大な花崗岩の切石を使用し、全長約10メートル、高さ1,9メートル、幅1,9メートルを測り、玄室と羨道の間には両側に石柱を立てて部屋の間仕切りとしている。早くから開口されて遺物は知られていないが、綺麗に加工された切石を使用していることと、玄室と羨道が同一寸法で造られていることなどから7世紀前半の築造と考えられている。
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大佐山白塚古墳の石室
 大坊古墳と同時期か、やや遅れて築かれたと考えられているのが、新市町の県史跡大佐山白塚古墳である。この古墳は、山麓に築かれた大坊古墳と違って、新市市街の東北に聳える標高188メートルの大佐山の山頂南側に存在し、眺望絶景の地に築かれている。石室の構造は、大坊古墳とほぼ同じで、全長約7メートルとこちらのほうがやや小さい。注目されるのは石室に漆喰が塗られた痕跡が残っていることだ。白塚の名称は、石室の内面に塗られていた白い漆喰からきたのに違いない。白く輝く壁面には何が描かれていたのだろうか…。

掛迫古墳の謎

掛迫古墳の謎
 終戦後間もない頃のことという。小学生が山道を通って帰宅していると、小山のてっぺんに近い平らなところに穴があいていて、中をのぞくと径25センチほどの、土瓶の蓋のようなものが見えた。取り上げて見ると、ピカピカに磨かれた丸い銅版で裏に何やら怪奇な模様が描かれている。気持ち悪くなった小学生はその銅版をそばに放り投げて家路に急いだ。備後南部の代表的な前期古墳として有名な掛迫古墳(福山市駅家町法成寺)の発見だ。
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手紙に添えられていた図
 この銅版は「三角縁神獣鏡」と言って、古い古墳から出土する銅鏡であった。丁度その頃、この種の鏡は全国の考古学者の注目を集めていた。邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝からプレゼントされた「銅鏡百枚」こそ、三角縁神獣鏡に違いない…。
 掛迫古墳の銅鏡はその後人手に渡り、世間に知れ渡った。当時府中高校で歴史を教えていた豊元国氏は、この銅鏡を研究するには古墳の発掘が必要と、調査に乗り出した。昭和29年夏、豊氏を中心に「掛迫古墳調査団」が組織され、真夏の太陽の照りつける中、発掘が行なわれた。人々の関心も高く、連日見学者で賑わい、登り口には屋台の店が並んだという。
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掛迫古墳とRCCのお姉さん
 調査の成果は、『芸備文化第5.6合併号』に「備後掛迫古墳」として発表された。それによると、この古墳は全長46メートルの前方後円墳で、後円部に2基の竪穴式石室があり、中央石室からは人骨とダ竜鏡が出土し、三角縁神獣鏡が副葬されていたのは、その南側の石室であることが判明した。
 
 ここから長い論争がはじまった。掛迫古墳は、前方後円墳とは言っても、形を確認できる埴輪や葺石といった外部施設はなく、自然の隆起を利用して築かれた古墳であった。見方によっては「円墳」にも見える。昭和38年刊の『福山市史』上巻で「?」が付き、昭和57年刊の『広島県大百科事典』では遂に「円墳」として紹介された。
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掛迫古墳の実測図
 円墳と前方後円墳では古墳の位置付けが全く違う。前方後円墳の方が、「格」がずっと上である。学者は掛迫古墳が円墳であることを理由に、備後南部はこの時代「吉備」の支配下にあったと主張した。
 
 平成7.8年に実施した、備陽史探訪の会の測量調査はこの論争に決着をつけるためのものだった。「歴史は市民の手で」をスローガンに、調査は毎回多くの人々の協力を得て行なわれ、大きな成果を収めた。
我々の出した結論は「掛迫古墳は前方後円墳」である。学者がこの結論をどう受けとめるか、見物である。

大元山古墳の謎

大元山古墳の謎
 古墳時代を前・中・後期の3期に分ける区分法によると、それまで古墳文化の中心として栄えた神辺平野周辺には目立った古墳が見られない、なぜだろうか…。
 
 二通りの解釈がある。一つは、この時期、備後南部は吉備の勢力下にあって、強大な吉備政権に統合されていたとする考えだ。古墳時代中期といえば、吉備の中枢では「造山」「作山」という畿内の天皇陵に匹敵する巨大古墳が築かれた時代である。造山古墳は全長360メートルと全国第4位の規模を誇り、一説によると五世紀半ばでは日本最大の古墳であったという。同時期、畿内にはこの古墳に匹敵する古墳は築かれなかったというのだから、その被葬者の権力のほどが想像される。ある学者は造山古墳の主は「倭王」に違いないという。
 
 しかし、別の見方もある。この時期、備後南部の支配者は、自己の墳墓を神辺平野ではなく、松永湾岸に築いたとする考えだ。事実、松永湾岸には五世紀代の大型古墳が連続的に築かれている。神村町の松本古墳は全長50メートルの帆立貝式古墳で、後円部のみでも径40メートルに達する大古墳である。また、尾道市高須町の黒崎山古墳は、形の整った前方後円墳で、破壊前の測量では70メートルの規模を持っていた。
 
 だが、50メートルや70メートルではやや説得力に欠ける。相手は300メートルを越える大古墳なのだ。
 
 ところが、この説を補強する有力な証拠が現れた。黒崎山古墳の北東側に存在した「大元山古墳」の全長は150メートルあったとする証言だ。この古墳は今まで全長50メートルの小型の前方後円墳であったと紹介されてきた。広大の潮見浩教授が『日本考古学年報』17号で発表された「広島県尾道市黒崎山古墳」の中で、大元山古墳の規模を全長50メートルの前方後円墳と記されたからだ。
 
 この古墳の跡である尾道市の旧浄水場に立って見ると、地形から50メートルの前方後円墳とはとても思えない。麓からの観察では相当な大古墳に思える。有力な証言がある。実際にこの古墳の破壊に立ち会われた故村上正名先生は、筆者に大元山の古墳の方が黒崎山古墳よりはるかに大きかったと証言された。また、尾道市の考古学者森重彰文氏も筆者の質問に、50メートルは150メートルの誤植だと答えられた。
 
 大元山古墳が全長150メートルの大前方後円墳であったとすると、これは立派な地域の大首長墓である。この時期、備後南部は吉備中枢の支配下にあったのではなく、吉備中枢と並んで大和朝廷の構成員であったことになる。なぜ、古墳を松永湾岸に築いたのかの謎は残るが…。
新市町の潮崎山古墳
 最近の新聞には発掘や発見などの考古学に関連したニュースが目に付く、過去からのメッセ−ジにはそれだけ関心が深いということだろう。
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潮崎山古墳の現状、正面が後円部
 これは昔の人も変わらない。古くは『続日本紀』という奈良時代の史書にも銅鐸出土の記録がある。備後の人も同じだ。江戸時代後期の文政十(1827)年春、芦田郡相方村(現福山市新市町相方)の潮崎神社の境内で古墳が発掘され、話題を呼んだ。各地の旧家に、この時の記録が残っている。
「地をならしけるに、其丘に老小松十文字に植えたるようにて、いと古くかせたるあり。是を穿ち捨て地をならしけるに、自然石の長五尺はかり、横三尺余もある岩あり、是をかへしみれば、下は石槨なり。割ままの石を石灰にて詰めたり。其の中に石を置き、石の上に差し渡し八九寸の円鏡あり…」
 
 意味不明の個所もあるが、要するに神社の背後の丘を掘ったら石室が現れ、蓋を開けたら直径20センチほどの青銅の鏡があったわけだ。
 
 これが備後南部最古の古墳と言われる新市町の潮崎山古墳発見の経緯である。何しろ二百年近い昔のことで現在では不明な点も多い。
 
現地を訪ねてみると、芦田川の南岸に聳える比高50メートル程の円錐形の丘で、山頂に墓地があり、一段低くなったところに潮崎神社の小さな祠が立っている。近年の測量調査で、全長30メートルほどの前方後円墳と考えられているが、埴輪やはっきりした墳丘はなく、断定は出来ない。
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潮崎山古墳出土の三角縁神獣鏡(新市町史より)
 潮崎山古墳が備後南部最古の古墳として注目されるのは、文政十年に出土した「円鏡」にある。この「円鏡」は、永く民家に秘蔵されていたが、考古学者村上正名氏が実見され、直径22㌢の極めて鋳上がり良好な三角縁神獣鏡であることが確認され、広く知られることになった。
 
 「三角縁神獣鏡」は謎の鏡である。古墳時代初期の古墳から大量に出土し、有名な邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」と言われるが、中国大陸からは現在まで一枚も出土していない。
 
 それはともかくとして、三角縁神獣鏡を副葬した古墳は、各地で一番古い古墳であることが多い。これが、潮崎山古墳が注目される理由である。ただし、古墳の立地や内容など考えなければならない点も多い。なぜ、神辺平野の西端の丘の上に築かれたのか…。果たして前方後円墳だったのか、等などである。
辰の口古墳(神石高原町高光)
 広島県は、全国有数の「古墳王国」である。確かに大阪府の仁徳天皇陵(470㍍)や岡山県の造山古墳(360㍍)のような巨大な古墳はない。現時点で広島県最大の古墳は、東広島市の三城古墳で、全長92㍍足らずである。だが、古墳の数は飛び抜けて多い、1万とも1万3千とも言う。岡山県が約6千、奈良県が7千と言われているから、古墳の数では広島県は全国でトップクラスなのである。
 
 この内、備後には8千の古墳が存在する。ほとんどは直径10メートル足らずの小円墳だが、中には前方後円墳も存在する。現存する古墳で最大のものは神石町にあって、最近の調査によって全長74㍍の前方後円墳であることが確認された。「辰の口(たつのくち)古墳」である。
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辰の口古墳の石室、横から見ると横穴式石室に見える
 この古墳は、当初ありふれた横穴式石室を持つ小円墳であると考えられていた。前期の長大な竪穴式石室の小口が破壊され、一見すると横穴式石室のように見えたからである。この古墳の「異常」に最初に気づいたのは、地元神石町文化財保護委員を務められていた故武島種一氏であった。横穴式石室にしては、積まれた石が扁平で幅も狭く、天井も低い…。武島さんは、このことを当時帝釈峡の発掘に来ていた広島大学の古瀬さんに話した。現地を訪れた古瀬さん(現教授)は驚いた。横穴式石室と思われていたのは、古墳時代前期の巨大な竪穴式石室である。墳丘も良く観察すると前方後円墳である。
 20年前に実施された発掘調査は、更に驚くべきことが判明した。この古墳の埋葬施設と墳丘は、奈良県の前期古墳のそれとほとんど同じだったのである。墳丘は三段に整形され、円筒埴輪が立て並べられていた。石室の作りも同じ頃に調査された奈良県の中山大塚古墳のそれと全く同じであった。
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墳丘測量図(古瀬・1995より)
 ここで疑問がわく。古墳の存在する神石町の高光は、吉備高原のありふれた山村で、古墳の周囲にそれほど大きな集落が存在したとは思えない。一体、誰がこんな山間僻地に畿内式の前方後円墳を築いたのか。古瀬さんの表現を借りれば、辰の口古墳は霞が関ビルを神石町に建てたのと同じ位の驚くべき存在なのである。
 
 ここで思い当たるのは、前に紹介した東城町の大迫山古墳の存在である。大迫山古墳も東城盆地に突然出現した畿内式の古墳であった。辰の口古墳も同じである。そして、以後この地域には目だった古墳は築かれない。ここから導かれる結論は、これらの古墳の被葬者は地元の人間ではない、ということである。陰陽の接点であるこの地域に、大和から派遣され、そして葬られた人物がいたのである。それは一体誰か、物部氏や大伴氏などの軍事氏族に違いない。
 

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