備後山城風土記

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初代の備後守護土肥実平
 
 治承四年(1180 )、源氏再興の旗を揚げた源頼朝は、石橋山の合戦でもろくも破れてしまいます。降りしきる雨の中、頼朝は主従数騎になりながら、山中で夜の明けるのを待ちました。頼朝は、この敗北でよほど打ちひしがれたのでしょうか。一時は自害を決意したといいます。
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土肥実平の築城という服部泉山城址
 この時、頼朝に自害をいさめた武士がいました。それが後に初代の備後守護となった土肥実平です。実平は言いました、「大将の自害には、それなりの作法があるものでごさるぞ」
 
 実平の言葉に決意をひるがえした頼朝は、実平に導かれて虎口を脱出、やがて平家の軍勢を打ち破り、日本最初の武家政権鎌倉幕府の創始者となるのです。
 
 頼朝なしには、鎌倉幕府はなかったわけですから、石橋山の山中での実平の一言は、日本に中世の幕開けをつげた、正に歴史的な名言と言えましょう。
土肥実平は、相模国土肥郷(神奈川県湯河原市)を本拠としたきっすいの東国武士です。
 
 実平と備後との関係は、源平の内乱の最中に始まります。一の谷から落ち行く平家を迫 
って鎌倉から軍勢が派遣されましたが、この中に土肥実平もいました。そして、頼朝から、
備後、備中、備前の支配を命ぜられ、平家の軍勢を追いながら、備後にやってきたのです。
 
 備後は、平家の勢力が強かった地域ですから、実平は、いわば源氏の進駐軍としてやってきたと言えましょうか。
 
 のち、幕府が正式に開設され、全国に守護、地頭が置かれると、実平は正式に備後守護
任命されています。
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三原米山寺小早川氏墓地
実平の子孫は安芸に移り小早川氏となった。
 頼朝を助けて、鎌倉幕府の開設に功のあった実平ですが、備後の人々にとっては余りあ
りがたくない存在だったようです。
 
 当時の記録を見ますと、「実平が庄園で乱暴を働くから何とかして欲しい」「実平が年貢
を横取りするので困る」と言った訴えが次々と頼朝のもとに提出されています。
 
 このため、土肥氏の備後守護は実平一代でおわり、同氏の備後土着は成功しませんでし
た。よほど、在地の人々の反発が強かったものと思われます。(田口義之「備後ゆかりの歴史人物伝」福山リビング新聞社刊)
平家物語の人々、備後国住人額入道西寂
 
源平の内乱は多くの人々の運をもてあそびました。
 
栄華をきわめておごる平家、その陰で乱れる人心、そして源氏の再興と平家の都落ち
めまぐるしく移り変わる世相の中、備後の人々も波間に浮き沈む流木のように、時代に
流されて行きました。
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入道の居城と伝える小奴可(東城町)の亀山城址
 『平家物語』に登場する額入道西寂もその一人です。
 
 彼が登場するのは、四国の豪族河野通清の源氏方旗揚げのくだりです。
 
 治承四年(1180)十二月、四国伊予(愛媛県)の豪族河野通清は、源頼朝の挙兵を聞い
て反平家の旗を揚げました。これを聞いた平家は、東に頼朝が勢力を伸ばし、今ここで西国が離反してはと、さっそく味方に通清討伐を命じます。
 
 この平家軍の大将が「備後の国の住人怒賀野入道高信法師」(長門本平家物語)こと、
額入道西寂でした。
 
 西寂は、備後から伊予に押し渡り、河野通清の仙龍る高直城に攻め寄せます。
 
 この時は、河野氏に味方する武士が意外に少なく、城はあっけなく落ち、西寂は通清を
討ち取って意気ようようと備後に引き揚げて来ます。
 
 ところが、ここから物語は意外な方向へ展開して行きます。
 
 通清の子息通信が西寂を親のかたき、とつけねらうのです。
 
 通信に命をねらわれているとはつゆ知らず、西寂はのんきなものでした。
 
 伊予から引き揚げて来た西寂は備後のに上陸、ここで「遊君遊女共めしあつめて、あ
そびたはぶれさかもりけるが、後先も知らず」酔いつぶれてしまった。
 
 この様子を見た河野通信は百人ばかりの手下を集め、西寂の宿にどっと攻めかかりまし
た。                           デ
 
 西寂方は三百人ほどの軍勢だったそうですが、酒盛りの最中を襲われたのですからたま
りません。軍勢は離散し、西寂は生け捕られてしまいました。
 
 この後、通信は西寂を伊予に連れ帰り、父が討たれた高直城で「のこぎり」で首をきっ
て恨みを晴らしたということです(平家物語六)。
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城址の居館跡に残る要害桜
 坊主頭でどんちゃん騒ぎのあげく、捕らえられ、のこぎり引きの刑に処せられるとは、
何となくユーモラスなわが備後人の最期ですが、伝承では彼は奴可郡(庄原市東部)の豪
族ということになっています。(備後古城記など)。
 
 父を討たれた西寂の子は、妻は、残念ながらわかりません。とまれ、こうしたさまざ
まな悲喜劇を演じ時代は古代から中世へと、大きく移り変わって行くのです。(田口義之「備後ゆかりの歴史人物伝」福山リビング新聞社刊)
    
 平家と備後 大田庄と敷名の泊まり
 古代末期の動乱の中で、政治の実権は、平安貴族の手から武士の手へと移って行きました。その先がけをなしたのが平家一族です。今まで貴族に〝侍として奉仕してきた武士たちが我もの顔に都大路をかっ歩し、平清盛は太政大臣として位人臣を極める
 
 平氏の主な勢力圏は、瀬戸内海沿岸でしたから、私たちの備後地方にも多くの史実と伝説を残しています。
 
 史実として有名なのは、世羅台地をしめた広大な庄園〝大田庄の物語です。
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下津屋十二坊の仁王像
 時は永万二年 (二六六) といいますから、平安時代末のこと。平清盛の五男、平垂衡は、世羅郡内の所領を後白河法皇に寄進しました。(そもそも在地の橘一族の所領であった
ことは先に述べました) そして、自分は預所として実権を握る一方、名目的な領主として後白河法皇を仰ぎ、国に庄園(私的な領地)として独占的な支配権を認めさせることに成功しました。
 
 大田庄は、平家の全盛と共に、またたく間に庄域を拡大して行きました。鎌倉時代に入るころには六百町歩の田地があったといいますから、山林原野を含めると、いかに広大な庄園であったかが分かります。
 
 大田庄は米どころとして、平家の経済力の基盤でしたが、清盛が中国貿易に注目したよ
うに、平家は海の豪族として海上交通にも強い関心を持っていました。
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平家谷(沼隈町中山南横倉)
 福山市の中心部から南へ約二十キロ、水呑町洗谷から山を越えると、沼隈町の海
岸に出ますが、ここにも平家の足跡が残っています。
『平家物語』によりますと、治承四年(1180)三月、厳島神社に詣でた高倉上皇は、二十九日夜、厳島を出帆して、翌日、備後敷名の泊(沼隈町敷名)に到着されたとあり、この地で平清盛は、上皇をお迎えする用意をしていたところ、上皇は上陸されず、備前児島の泊まりに向かわれた、とあります。
 
 この話なども〝海の平家〟として、平氏一族が備後の沿岸部に勢力を持っていた証拠で
しょ
 
 古代は平家の滅亡をもっで終わります。全盛を極めた平家も、源氏の旗揚げによって追
いつめられ、やがて壇の浦の海の藻くずと消え去りました。その栄華が華やかであったれ
ばこそ、その滅亡は国民の一大叙事詩として語り伝えられ、文学としては『平家物語』を、
伝説としては各地に平家谷を生みました。
 
 備後でも、沼隈半島の横倉谷、世羅郡の伊尾(世羅町)に平家谷の伝承が残っています。
伊尾は大田庄の故地、横倉は数名の泊まりから山一つ越えたところ。いずれも平家の史実
が残る地です。(田口義之「備後ゆかりの歴史人物伝」福山リビング新聞社刊)
備後国大田庄と橘一族
 平安の都で貴族たちが安逸をむさぼっていたころ、草深い田舎では時代の新しい主役、
武士たちの活躍が始まっていました。
 
 ここ備後の国、世羅郡でも彼らの動きは活発です。
 
 世羅台地に広がる広大な美田は、これまで大田郷、桑原郷と呼ばれる古代以来の郡郷
制の中にありましたが、この両郷の郷司として在地に勢力を振るつたのが橘一族でした。
 
 橘一族の先祖ははっきりしませんいつのころよりか世羅郡で威を張るようになり、
平安時代の終わりころには、大田郷を本拠とする大田太郎光家と、桑原郷に館を構えた世
良庄司兼隆が出て、武士としても勢力を持つようになりました
 
 平安末期といえば、中央では源平両氏が武士の棟梁の座をめぐつてしのぎを削っていた時代です。当然、地方武士である橘一族も〝親分の保護を求めて、源平両氏と結ぼうとしました。備後でも橘一族だけではなく、中小武士団が数多く現れ、たがいに覇を競っていましたから、橘氏む生存競争に勝ち抜くためには、源氏、平氏いずれかを主と仰ぐ必要があったのです。
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鎌倉末期の宝篋印塔
 橘一族の場合は、平家を選びました。平家は瀬戸内海の制海権を握り、隣の安芸国は平
家の強い地盤。こういった関係から橘一族は平家と結んだのでしょう。
 
 平家の御利益はてきめんでした。橘一族の勢力圏は、平家によって大田庄」という荘
園に指定され、平家を名目的な領主とし、自分は荘園の管理人下司として、実質的に
大田庄を自己の支配下におくことに成功したのです。
 
 鎌倉時代の記録に大田荘田地六百町歩とありますので、当時の橘一族の勢力がいか
に大きかったか、想像にあまりあるものがあります。
 
 しかし、平家の旗下に属したことは橘一族の命運を決めました。
 
 源平の合戦で平家が壇の浦の海のもくずと消えさると、橘一族も史上から消え行く
運命にあった。
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下津屋仁王門の金剛力士像
 栄華を誇った大田荘の橘一族ですが、地元に残る史跡は蓼々たるものです。
 府中市から「甲山ふれあいの里」を通って甲山町に入りますと、かつて桑原郷と呼ばれ
た伊尾という集落に到着しこの地の山際に残る仁王門がかつての橘一族の氏寺の
名残です。今は崩れかかった門だけになりましたが、橘氏全盛のころには十二の支院を持
っ大寺院だったそうです。背後の丘に登りますと、十数基の古墓が雑木林の中にひつそり
と立っています。
 
 ここに橘一族が眠っているのでしょうか。(田口義之「備後ゆかりの歴史人物伝」福山リビング新聞社刊より)

 備後の弘法伝説

 備後の弘法伝説
 〝お大師さんとして親しまれている、弘法大師空海の足跡も、点々と備後地方に残っ
ています。
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県重文弘法大師画像(蔵王町医王寺蔵)
 身近なところでは、津之郷町に〝弘法水〟と呼ばれる霊水があります。伝説によれば、
むかし、山伏が津之郷の山中で女性を斬り殺し、刀を谷川で洗ったところ、その水が悪水
となって人々を悩ませたそうです。ちょうどそのころ、弘法大師が近所を通り、それはお
困りだろうと、法力で霊水を出し、人々に「もし刀洗の水で腹痛せば、此れを飲むべし、
必ずその災を免るべし」と言われたそうです。
現在でもこの弘法水は、霊験あらたかとか。近在からの湯治客が絶えません。
 
 北に行くと、ゴルフ場と夏のキャンプで有名な仙養ケ原(油木町)も弘法伝説で有名なところです。
 
 弘仁五年(八一四)、この地にこられた大師は、仙養山に登り、牧童の苦しみをみて、泉を涌かせ、いばらを切りはらい、小石を取り集めて、仙養山を豊かな牧草地にされたそうです。
大師の法力によって湧き出た泉は、どんなひでりでも枯れません。
 
 このように各地で法力を現した弘法大師ですが、これをすべて歴史的事実と信じてはい けません。弘法伝説は全国各地に残っていますが、一定のパターンがあって、大師信仰が
広まるにつれ、各地に残る霊地、霊水の起源をみな弘法大師に求めたものです。
 
 歴史上の弘法大師は、奈良時代末に、現在の香川県に生まれ、僧となって中国に渡り、
真言密教の奥義を極め、帰国して高野山を開き、日本真言宗の開祖となつた人物です。
 
 弘法大師と備後との関係を調べていきますと、やはり目につくのは、寺院の創建に関す
る伝えです。
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弘法大師創建と伝える明王院(常福寺)
 例を、国宝五重の塔で有名な草戸町の明王院にとってみましょう。明王院は、かつて常
福寺と呼ばれた真言宗の古寺ですが、寺伝によると、平安時代初期の大同二年(八〇七)、
弘法大師の創建となっています。
 
 弘法大師の伝記をひもとくと、大同二年という年は、大師が中国から帰国した翌年にあ
たります。大師は、大同四年(八〇九)に、当時の都平安京に入っていますから、常福寺
の建立は、この間のことになります。
 
 先年、明王院本堂を解体修理した時、岩盤上に堀立柱の建物の跡がみつかりました。
 
〝これこそ、弘法大師創建の建物跡とさわがれたものですが
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草戸町の「お大師さん」
 それにしても備後地方は大師信仰のさかんなところ。今も各地に設けられた、新四国八
十八ケ所のお大師道には訪れる人影が絶えません。(田口義之「備後ゆかりの歴史人物伝」福山リビング新聞社刊)
 

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